9月30日朝、名古屋での懇話会の帰りに、小笠原登にゆかりの寺である円周寺に立ち寄りました。名古屋より30分ほど電車に乗って甚目寺で下車。これは観音様で有名なお寺の門前町が、そのまま駅名になっています。電車を降りて、車の往来のない古びた参道を暫く歩きましたが、途中に花屋さんがあったので、秋の草花を一式買いました。こういうことは、まったく予定していませんでしたが、小笠原登のお墓に献花したいという気持ちが突然に起きたのには自分でも驚いた。
甚目寺は真言宗の大きなお寺ですが、円周寺は浄土真宗で、目立たぬ場所にありました。幸い、ご住職(小笠原登さんの甥)の奥様がいらしたので、小笠原登の墓を教えて貰いました。実は、墓と云っても、小笠原家の墓碑があるわけではなく、多くの無縁の人と同じ場所に埋葬されることを望んだ故人の遺志で、お寺の墓地の一角のお地蔵様の側が、いうならば合同の墓所。そこに、小笠原医師のことを思いながら、献花しました。
私は、大谷藤郎先生が語られたエピソードを思い出しました。それは、ある患者が、「先生、なんで私だけがこんな業病を背負わなければならんのでしょうか」と訊ねたのに対して、小笠原さんは、「今は、あなたは患者で、私は医者だけれども、死ねば皆同じ所に行くのです」と云われたとか。浄土真宗で云う「倶会一処」と言う言葉の意味がすこしだけ分かったような気がしました。
飄々として病なし草の花
甚目寺は真言宗の大きなお寺ですが、円周寺は浄土真宗で、目立たぬ場所にありました。幸い、ご住職(小笠原登さんの甥)の奥様がいらしたので、小笠原登の墓を教えて貰いました。実は、墓と云っても、小笠原家の墓碑があるわけではなく、多くの無縁の人と同じ場所に埋葬されることを望んだ故人の遺志で、お寺の墓地の一角のお地蔵様の側が、いうならば合同の墓所。そこに、小笠原医師のことを思いながら、献花しました。
私は、大谷藤郎先生が語られたエピソードを思い出しました。それは、ある患者が、「先生、なんで私だけがこんな業病を背負わなければならんのでしょうか」と訊ねたのに対して、小笠原さんは、「今は、あなたは患者で、私は医者だけれども、死ねば皆同じ所に行くのです」と云われたとか。浄土真宗で云う「倶会一処」と言う言葉の意味がすこしだけ分かったような気がしました。
飄々として病なし草の花