歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

過去と将来の世代に対する配慮と責任

2005-03-09 |  宗教 Religion
全生園=人権の森の樹木を守ろう

ガラクタ箱さんの制作されたビデオインタビュー 消えゆく並木を拝聴し、過去と未来の世代に対する配慮と責任ということを考えた。

過去の世代に対する責任はーここでの文脈に即して言えば-樫、欅、楓、桜、柿など全生園の様々な樹木を植えた人々に対する配慮から始まる。これらの樹木を植え、それらを育てた人々が、どのような思いを込めて世話をされたか、それを思い出すと言うこと。

ビデオの中でもお話しがあったが、1979年に刊行された「倶会一処」によると、全生園の「緑化」活動の目的は、東村山の地域住民のために、豊かな緑の森=人権の森を残すためであったとのこと。これは、過去の療養者の方々が-これを書かれた方々の多くはもう帰天されたが-将来の世代のことを配慮して植林されたものなのである。

樹木を植えるということは、療養所の方々が、地域の住民のために、それも現在の世代だけではなく、将来の世代のためにも為された貴重な仕事の一つであった。

都市化が進み緑が少なくなっていく東村山市のなかにあって、嘗ての武蔵野の面影を伝える全生園を保存すべきことは、いわゆる「環境倫理」の要請であるが、その根本には、過去・現在・未来の世代の繋がりを大切にする考えがある。療養所の方々は、この環境倫理の考え方を先取りして、すでに三〇年も前から実践されていたのである。

現在、全生園には「隠れた史跡」と呼ばれる案内板を多くの箇所で見ることが出来る。それは、「我が国におけるハンセン病対策の過ちを振り返って欲しい」という願いから建てられたものであるが、これもまた、我々が将来の世代に残し、語り伝えていくべき史跡である。それは過酷な事実を物語るものであるが、その過去の事実を直視すべきことを、この案内板は教えている。これらの史跡と共に、人権の森として、過去の療養者から我々に残された全生園の樹木を守り、将来の世代への彼等のメッセージを伝えることは、私達の責務ではないだろうか。
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