歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

全生園での講演会の感想 2

2005-10-10 |  文学 Literature
二番目の講演者の野上氏は、晩年の松本さんの信仰のあり方を古くからの友人である御自身の信仰の立場から要約して話された。それは決して松本さんを偶像化することなくありしままに受け取ろうという姿勢が見られた。ただし、野上さんの講演のなかに、「松本さんの崩壊体験」とか「信仰の崩壊」という趣旨の言葉があったが、これは関根正雄の無教会信仰をよく知らない人にはミスリーディングであるかもしれない。

私は、この「崩壊」という言葉の意味を考えてみたい。松本馨さんは、関根正雄との出会いを次のように回想している。

「1952年に、始めて(関根正雄)先生が全生園に見えられ、十字架を私に指し示して下さった。私にとって第二の回心ともいうべき出来事であった。私の長年求めていた師が、先生であることを知り、その時以来、先生の十字架信仰に集中した。(中略)私が、厳しい試練に立たされたのは、Nが先生と別れて独立すると言いだし、先生か、自分か、どちらかを選ぶように二者択一を迫ったときであった。私は独立するだけの勉強もしていないし、先生から十字架の信仰を学ぶためにNと別れた。Nと別れることは、私にとって自分に死ぬことであった。私のために聖書と雑誌を読んでくれるものはN以外には居なかったからである。この問題の起こる前に、教会にとどまる事が良心を偽ることであり、神を試みる事であると知らされ、教会を出た。教会を出ることは聖書暗誦の奉仕者である二人の兄姉に別れることであり、聖書と訣別する事でもあった。このときも私は自己に死んだ。そして最後に残ったNとも別れたのである。」 (預言と福音 三百号に寄せて)

松本さんは、関根正雄の無教会信仰に従い、教会を離脱し、嘗て信仰を同じくしていた仲間から離れ、古き「自己」に死んだ。そして、盲目の自分のために聖書を読んでくれたN氏とも訣別し、単独者の道を選んだ。傍から見れば、信仰の崩壊とも言えよう。しかし、松本さんにとっては、その道を歩むことは必然であった。

通常の回心が、教会的キリスト教ー宗教的なイデオロギーとしてのキリスト教ーへの回心であるとすれば、松本さんは、完全な孤独の中でそのようなイデオロギー信仰の崩壊を経験したのである。しかし、関根正雄の言葉に導かれながら、松本さんは第二の回心を経験する。それは、どのようなものであるのか、言葉で表すことは難しい。松本さんは、それを関根正雄の言葉を用いて「無信仰の信仰」と表現した。それを敢えて言うならば、十字架のイエスを仰ぎ見ることによって、すべての人からも、そして神からも見捨てられる絶対的孤独の中で、イエスの信仰と松本さんの信仰が一つとなるような仕方で、第二の回心を経験したのである。この回心は決定的だった。その後の松本さんの活動は眼を瞠るばかりである。

晩年の松本さんについては、いろいろな人がいろいろなことをいっているという印象を受ける。しかし、まず松本さんが80歳を過ぎてから書かれた小説「零点状況」とそれに寄せた「1パーセントの神」というパンフレットを読むことによって、かれの最晩年の心境を伺うことができよう。小説執筆中に、恩師の関根正雄の死にであい、その死に対する応答として書かれたものが「1パーセントの神」である。そこに精神の乱れなどは全くみられないし、第二の回心で得た信仰は少しも変わりなきものとしてある。最晩年にかれが再び孤独に徹する道を選んだとしても、それは彼が、余人を交えずに、関根先生と「彼の内なる主」との語らいに入っていたと見なすべきであって、そういう単独者の道は覚悟の上であったと思う。
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