歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

福音歳時記 主の洗礼

2025-01-12 | 福音歳時記

福音歳時記 主の洗礼

 洗礼は光の神秘キリストに倣ひて祈る新(あらた)しき生

福音記者にとって、主イエスの洗礼は、キリスト者の洗礼の原型と言う意味があった。
 教皇ヨハネ・パウロ2世のさだめた、ロザリオの黙想「光の神秘」の第一番目は「イエス、ヨルダン川で洗礼を受ける」というテーマに想いを巡らすことである。 この一連を黙想しながら、洗礼の恵みを感謝し、聖霊に導かれて、新たな生を活きることを願うーそれは「主の洗礼」に倣うキリスト者の祈りでもある。

画像はアンドレア・デル・ヴェロッキオ、レオナルド・ダ・ヴィンチ《キリストの洗礼》1470-1475年

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福音歳時記 主の公現 前晩の祈り(Vesperae)

2025-01-11 | 福音歳時記

福音歳時記 主の公現 前晩の祈り(Vesperae)

    キリストの降臨恐るヘロデ王 天の御国を賜ふるかたは 滅びの国を奪うことなし

聖グレゴリオの家、献身者の集いのために来日されたベネディクト会ハヴィエル神父の司式「主の公現」前晩の祈り(Vesperae)に参列しました。はじめの祈り(deus in adjutorium intende)、賛歌(Hostis Herodes impie) 、詩編唱和、神の言葉、マニフィカト、AntiphonaAdmonitu Magi)、共同祈願、主の祈り(Pater Noster)、結び(Benedicamus Domino)の順番で、福音書朗読と共同祈願は日本語で、あとはグレゴリオ聖歌で歌います。


賛歌 Hostis Herodes impie の歌詞が福音の精神をよく表しているので、その日本語訳を以下に記します。


1 残酷なヘロデ王、キリストの来臨をなぜ恐れるのか。天の王を与ふる御方、死すべき国を奪うことなきに。
2 博士達は、見たる星に導かれ、その光によって光を探し、贈り物もて神を讃へむ。
3清い流れの河のほとりに天の子羊は立ちたまふ、罪を犯さぬ身にてありながら人の罪を引き受けたまふ
4 新しい力の不思議、主が一言のたまへば、水は葡萄酒に変わり、主は御栄えを現したまふ
5 諸国の民に現れ、イエス御身に栄えあれ、父と聖なる御霊にも、世々永久に、アーメン。


Youtube にもこのグレゴリオ聖歌がアップされていますので、それを参照します。

Hostis Herodes | Canto Gregoriano | Gregorian Chant

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神殿での少年イエス

2025-01-11 | 福音歳時記

福音歳時記  博士達のなかの少年イエス

  我が父の家にこそ居る少年に博士も親も驚きあやしむ

エスの両親は律法に従い、毎年過越の祭りの時にエルサレムに上京していたが、イエスが12歳になり、律法を守る義務の生じる年齢になったとき、イエスを同伴してエルサレム神殿に出かけた。ルカによる福音書はそのときのエピソードを語っている。都への上京中、巡礼者は詩編120-134篇を歌った(これらの詩編には「上京の歌」という表題がある)。普通、巡礼者の先頭には女子、そのあとに男子が従ったが、おそらく、マリアはイエスがヨセフと共に居ると思い、ヨセフはイエスがマリアと共に居ると思っていたので、イエスがエルサレムに残っていたことに気づかず、二日間さがした後に、エルサレムに戻り、神殿の中でイエスが博士達(律法学者)と問答をしているのを発見したのであろう。そのときのイエスの言葉ー何故われを尋ぬるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬかーは、福音書に記されているイエスの最初の言葉である。

(画像は、ハインリッヒ・ホフマンによる「博士達の中のイエス」(1884))

ルカ傳3:40-52(聖書協会 文語訳聖書-大正改訳)

幼兒は漸に成長して健かになり、智慧みち、かつ神の惠その上にありき。かくてその兩親、過越の祭には年毎にエルサレムに往きぬ。 イエスの十二歳のとき、祭の慣例に遵ひて上りゆき、 祭の日終りて歸る時、その子イエスはエルサレムに止りたまふ。兩親は之を知らずして、道伴のうちに居るならんと思ひ、一日路ゆきて、親族・知邊のうちを尋ぬれど、 遇はぬに因りて復たづねつつエルサレムに歸り、三日ののち、宮にて教師のなかに坐し、かつ聽き、かつ問ひゐ給ふに遇ふ。 聞く者は皆その聰と答とを怪しむ。 兩親イエスを見て、いたく驚き、母は言ふ『兒よ、何故かかる事を我らに爲しぞ、視よ、汝の父と我と憂ひて尋ねたり』 イエス言ひたまふ『何故われを尋ねたるか、我はわが父の家に居るべきを知らぬか』 兩親はその語りたまふ事を悟らず。かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて順ひ事へたまふ。其の母これらの事をことごとく心に藏む。イエス智慧も身のたけも彌まさり、神と人とにますます愛せられ給ふ。

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福音歳時記 正月の読書始め

2025-01-08 | 福音歳時記

福音歳時記 正月の読書始め

迫り来る「死」を「姉妹」とぞ呼びし人フランシスコの伝記読み始(そ)む

フランシスコについてもっとも信頼できる伝記のひとつは、彼から直接の教えを受けた弟子の一人であるチェラノのトマスの書いた伝記「敬慕する魂の追憶」であろう。

「(師父フランシスコは)仲間の兄弟たちの中でも特に愛していた兄弟たちに、自分と一緒にキリストを賛美するように願い、その帰天まで残されていた僅かな日々を讃美のうちにすごしたのでした。

(師父)自身は、その力の限りを尽くして、次の詩編を唱え始めました。「私は声を限りに主に叫び、私は声を限りに主に願います」云々と。また、嘗て(師父)自身が、神の愛を頌えるように励ますために作り上げた言葉を用いて、神を賛美するように、すべての被造物を招いたのでした。

そして、すべてのものにとって恐ろしく厭わしい死さえも賛美へと鼓舞し、喜び迎え、自分の客に加わるように招いて、「ようこそ、おいでくださいました、わたしの姉妹なる死よ」と言いました。医者に対してはこう言いました。「兄弟なる医者よ、勇気をもって、死が間近になったことを知らせて下さい。死は私にとって命の戸口となるのですから。」
(チェラノのトマスの、アッシジの聖フランシスコの第二伝記(小平正寿・フランソワ・ゲング共訳(あかし書房)257頁より引用)

下図はアッシジの聖フランチェスコ聖堂に描かれたジオットによるフレスコ画の連作「聖フランシスコの生涯」から「小鳥に説教するフランシスコ」

 

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東西文化交流の足跡ーザビエルの旅

2025-01-08 |  宗教 Religion

東西文化交流の足跡

裸足にて立つザビエルの辻説法   
        雪の比叡に大學望みて

 上智大学がザビエルの遺志にもとづいて建学されたという話をよく聞きましたが、これは、彼の書簡や当時のイエズス会宣教師の記録に基づくものです。
 スペイン出身の司祭で日本に帰化された結城了悟師の「ザビエル」史伝には、時代を隔てて受け継がれた宣教師の精神と日本の文化を大切に思う気持ちに溢れています。この本の表紙のザビエル像は、結城了悟師が館長をつとめておられた日本26聖人記念館にあるものですが、いかにも東洋の使徒にふさわしいイメージだと思いました。
 都を目指したザビエルの目的のひとつは比叡山に行くことでした。このときの彼は貧しい托鉢僧の身なりで(アッシジのフランシスと同じく)裸足で雪道を歩くという苦行を自らに課していました。そのときの乞食同然のザビエルの姿は、布教許可を獲得するという彼の目的には全くかなわないものでしたが、それでも堺の商人たちとの出会いと彼らの助力が後の日本布教に大いに手助けとなりました。
 時の権力者に贈呈する高価で珍しい進物や、西欧の王侯の使節と見まがうばかりの豪奢な装いをする南蛮の宣教師のイメージとは程遠い、このときのザビエルの乞食姿のほうに、私は惹かれます。

 

 

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福音歳時記  歌始めーラフマニノフの「晚禱」によせて 

2025-01-07 | 福音歳時記
福音歳時記  歌始めーラフマニノフの「晚禱」によせて   
 
   大地より昇る歌声響き合ふラフマニノフの晚禱を聴く
 
   夜を徹し祈れば初日昇り来るアレルヤこそは歌の始まり
 
   主は共にましますマリアのみならずヨセフも汝も永遠の伴侶に
 
   今日我は汝を生めり主の言葉霊にて受けよ生誕の御子
 
   無限小揺らぐ月日の生れしより百代過客御身も旅行く
 
徹夜祷 3番 悪人の謀 「東京トロイカ合唱団」
 
 
{歌唱は東京トロイカ合唱団ーラフマニノフを歌うために結成された合唱団とのこと。「晚禱」は宗教・宗派の壁を越えて響き渡るようです。歌詞は旧約聖書詩編第一篇に由来します。)

 

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福音歳時記 主の公現の祝日に寄せてーすべての兄弟姉妹たちへ

2025-01-05 | 福音歳時記
福音歳時記 主の公現の祝日に寄せてーすべての兄弟姉妹たちへ
 
  ムスリムに主の平和説くフランシス 今甦る十字架の愛 
  
 キリスト教信仰の核心には、人種、国境、文化、風習、そして宗教の違いを超える普遍性があること、異邦人や寄留の民にこそ向けられたものであることを強調した教皇フランシスコの2020年の回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」は、イスラム・スンニ派のイマーム(指導者)、アフマド・アル・タイーブ師との対話を機縁として生まれたものであった。前年の2019年は、十字軍の時代にイスラム世界との対話を望んだアッシジの聖フランシスコが、スルターン・マリク・アル=カーミルをエジプトに訪問してから丁度800年目に当たる年であった。教皇フランシスコは次のように言っている。  
 
 (アッシジの)フランシスコの人生には、出自、国籍、肌の色、宗教の違いを乗り越えることのできる、隔てのない心を示す出来事があります。それは、エジプトでのスルターン・マリク・アル=カーミル訪問です。彼の貧しさ、わずかな手持ち、隔たり、そして言語、文化、宗教の違いゆえに、訪問には多大な労力を要しました。あの十字軍の時代に、この旅は、すべての人を抱きしめたいと切望し、彼が生きたいと願ったその愛の壮大さを、いっそうはっきり示したのです。主に対する彼の忠実さは、兄弟姉妹への愛と比例していました。困難と危険から目をそらさずに、聖フランシスコは、弟子たちに要求したのと同じ態度でスルターンに会いに行きました。つまりそれは、「回教徒や非キリスト教徒の間」に行く際の、自らのアイデンティティは否定せずに、「口論や争いをせず、神のためにすべての人に従う態度です。..........このようにして彼は、兄弟姉妹的な社会という夢を呼び覚ます、創意あふれる父となったのです。「自身の動きに他なる存在が加わるのを受け入れる人だけが、しかも他者を自分のもとにとどめるためではなく、その人がよりいっそう自己を実現するのを助けるためにそうする人だけが、真の父となる」からです。(教皇フランシスコ回覧書簡「すべての兄弟姉妹たちへ」から)
 
 今日の日本でも、ミサ聖体拝領の前に「主よ、わたしは、あなたをお迎えするにふさわしいものではありません。おことばをいただくだけで救われます」という言葉が、会衆によって唱えられるようになった。これは、マタイ傳8:8に登場する百人隊長の言葉である。ローマの異邦人の兵士の信仰がキリスト者の共同体に受容されていたことを示すものであり、この言葉が、聖体拝領前の信仰告白として、これまで日本のミサで使われてきた使徒ペテロの言葉(ヨナネ傳6:68)と並んで唱えられるようになったことは意議深い。異邦人や寄留の民を大切にすることは、すでにイエスの生きていた時代から始まっていたのであるから。

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福音歳時記 エジプトの聖母子

2025-01-04 | 福音歳時記

福音歳時記  エジプトの聖母子

 

 難民となりし聖母子エジプトに憩わず目指すは夢の父祖の地

 

「主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしは告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探しだして殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしはエジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通じて言われていたことが実現するためであった。」(マタイによる福音書2:13-15)

 エジプトはギリシャやローマ帝国よりも遙か昔から存在した豊かな文明国。創世記にはファラオの夢を解いたヨセフの物語があり、出エジプト記には、自由を目指すユダヤ人同胞を叱咤激励して約束の地に向かうモーゼの物語がある。マタイは、預言者ホセアの言葉を引用し、イエスが「新しいイスラエル」として神に呼び出されていること、彼こそが約束されたメシアであることを暗示している。

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福音歳時記 岩窟の聖母

2025-01-03 | 福音歳時記
福音歳時記 岩窟の聖母
 
   洗礼者ヨハネ聖母に寄り添ひて十字架の悲を分つ岩窟
 
西欧の聖画には、聖母マリアと幼児の姿で描かれた洗礼者ヨハネとイエスを共に描いたものが多い。レオナルドダヴィンチの岩窟の聖母はその代表的なものの一つであるが、彼はこの主題で二つの作品を残している。ルーブルにある作品は、全体的に明るい印象を与えるが、ロンドンにあるものは、洗礼者ヨハネの持つ十字架と聖母の衣装の悲しみの青色が特徴的である。ロンドンのナショナルギャラリーにある方が後から書かれた作品であるらしい。私はこのロンドン版の方に惹かれた。洗礼者ヨハネも聖母マリアも十字架の悲愛を分有しているからである。
 
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福音歳時記  東方三博士の礼拝

2025-01-02 | 福音歳時記
福音歳時記  東方三博士の礼拝
 
キリストは何処にいます 今此処に汝の言葉のうちにこそ
 
「イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムにお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムに来て「お生まれになったユダヤ人の王はどこにおられますか。私たちはそのしるしの星がのぼるのを見て、拝みに来ました」(マタイによる福音書2:2-3)
 
ここに言う「博士たち(マーゴイ)」とは、占星術や医術の博士ととるのが一般的であるが、ラテン教会の公現節の典礼では、古くから彼等を「王」と呼んでいるので、西欧の古典絵画の中では「三王礼拝図」とも呼ばれる。
 詩編71-10に「王たちの贈り物」の様子が描かれ、イザヤ60:3-4に「主の栄光が現れるとき、王たちがそのもとに歩み寄る」と書かれている預言の成就とみる伝承に従ったと思われる。
 ニコラス・クザーヌスは公現節の講話で、この「何処に居ます?」という言葉を引用して、「此処こそがイエス("Ubi" est Jesus)」と答えている。
2000年前のベツレヘムに生まれた「ユダヤの王」の在所への問いとしてではなく、今此処、そして何処に於いてもキリストを信じる者は、「イエス・キリストに於いて(in Christ)」言葉を語るという意味であろう。
 
 
 
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福音歳時記 一月一日 イエスの奉献の日 

2025-01-01 | 福音歳時記

一月一日 イエスの奉献の日

   嬰児抱くシメオン賛歌あらたしき年始まりぬ主の奉献日

キリスト教歳時記では、降誕の日から八日後は「イエスの奉献」の日である。昔のローマ教会では、この日をクリスマスの期間の最後として「オクターブ」の典礼を行っていた。16世紀以降この日を西暦の新年のはじめの日とするようになったらしい。「初めて生まれた男子は皆、主のために聖別される」という律法に従い、山鳩ひとつがいか家鳩の雛二羽をもって、ヨゼフとマリアはイエスを奉献するために神殿に連れて行った。そこで彼等は、聖霊に導かれたシメオンという老人に出会い、賛美と祝福、そして預言のことばを受ける。ルカによる福音書2:29-35 の「シメオンの賛歌と預言」は、カトリック教会では5世紀頃から「終課」のなかで朗唱され、日本の「教会の祈り」でも「寝る前の祈り」のなかで唱えられている。また、「ロザリオの黙想」の信心行、「喜びの神秘の黙想」の第4番目の主題の一つでもある。

シメオンの賛歌
「主よ、今こそあなたは、お言葉の通り、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルのほまれです。
シメオンの預言
「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。ーあなた自身も剣で心を刺し貫かれますー多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

(『キリストの神殿奉献』シモン・ヴーエ ルーブル美術館蔵、1640-1641年頃の作では、聖母マリアとヨセフにシメオン老人が賛歌と預言の言葉を告げているところが描かれている)

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