困難な人生の渦中では「自分は舞台に立つ主人公でその役柄を演じているのだ」と考えると客観的・痛みの緩和に役立つ!!
眠れない舞は、航空会社の入社が1年延期にショックを受けたことをばんばに初めて明かす。そのときのばんばの台詞。
ばんばの船は、出せん日も多か。嵐の日や、家でじっとしてるしかなかとじゃ。しゃけん、そいや無駄な時間とは思わん。嵐の日やけん、出くるこつもある。体を休めたり、備品を修理したりしてな。いつかは空も晴れる。それまで、出来ることばやればよかとかなかか。(「翼を休める島」60回 12/23(金))
工場の受注が減少する中で胃潰瘍で入院したが、いまだ飛行機のねじを作ることに夢をいだく父。見舞に来た病院での舞のパイロット訓練の様子(セリフ)。
大変やったけど楽しかった。あかん、私には無理やと思っても仲間に教えてもらったり、元気になってもう少し頑張ろうと思うねん。ほんだら、前の日、出来へんかったことも次の日に出来て、後チョットがんばろうかなあと思って。そういう日の繰り返しやった。しんどい思いをしたから、空を飛んだ日、ホンマうれしかってん。がんばったんは、この日のためやなって、そう思った。お父ちゃん、その日のためにガンバッテンねんや。(「向かい風の中で」61回 12/26(月) )
人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生ま出て、あの世では体験できない様々な経験をして、魂の成長をすることに意義があるという。その成長度合いには、人それぞれであり、自分で今度はこんな経験がしてみたいという、ある程度の計画をもって生まれてくるという。それゆえ、個別に人生も違うものとなってくるものだし、人それぞれの体験も違ってくるのだ。舞のパイロットになる夢をもって努力するのもその人の人生だし、ばんばの海に生きるのもそうだし、定職を持たない親父を持ちナースになった久留美の人生もその人の個別の人生があるのだ。そして、それらの人生で経験する体験は、その人その人のかけがえのない貴重な体験となるのだ。
その中でも、貴司のように職場になじめずドロップアウトしてしまったりの人生も、次のステージに進むための貴重な体験をしたことになるといえる。ただ、その非常に困難な人生の渦中にいるときは、どうしたらいいのか分からないことがあろう。私の場合、転勤した職場が全くの初めての仕事で、部下に長年にわたりその仕事をしてきたものがおり、その人からパワハラを受けた経験がある。そのときどうしたかと言うと、自分は舞台に立つ主人公でその役柄を演じているのだと考えた。考えるに、あの世の精神世界が魂の故郷であり、「体験」するために、この世には(誤解を恐れずにいえば、また言葉としてどうかと思うが)「プレイ=Play」するために訪れておるのであり、この体験が終了すれば、またあの世に帰っていくのであると考えられる。
そうであれば、先ほど言ったが、「自分は舞台に立つ主人公でその厳しい役柄を演じているのだ」と考えても、なんら違和感はないだろう。そのことにより、自分を客観的にとらえることができたし、「痛み」もいくぶん緩和することができたと思う。 ※1 ただし、その痛みの和らいだパワハラの経験=「舞台の主人公の経験」であっても、経験は経験として残り、貴重な自分の体験として、記録されるのは間違いない。
※1 ただ、それは一時的なものであり、根本的な解決は、職場を変えてもらうことであり、直後の異動時期に動いたのを覚えている。
眠れない舞は、航空会社の入社が1年延期にショックを受けたことをばんばに初めて明かす。そのときのばんばの台詞。
ばんばの船は、出せん日も多か。嵐の日や、家でじっとしてるしかなかとじゃ。しゃけん、そいや無駄な時間とは思わん。嵐の日やけん、出くるこつもある。体を休めたり、備品を修理したりしてな。いつかは空も晴れる。それまで、出来ることばやればよかとかなかか。(「翼を休める島」60回 12/23(金))
工場の受注が減少する中で胃潰瘍で入院したが、いまだ飛行機のねじを作ることに夢をいだく父。見舞に来た病院での舞のパイロット訓練の様子(セリフ)。
大変やったけど楽しかった。あかん、私には無理やと思っても仲間に教えてもらったり、元気になってもう少し頑張ろうと思うねん。ほんだら、前の日、出来へんかったことも次の日に出来て、後チョットがんばろうかなあと思って。そういう日の繰り返しやった。しんどい思いをしたから、空を飛んだ日、ホンマうれしかってん。がんばったんは、この日のためやなって、そう思った。お父ちゃん、その日のためにガンバッテンねんや。(「向かい風の中で」61回 12/26(月) )
人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生ま出て、あの世では体験できない様々な経験をして、魂の成長をすることに意義があるという。その成長度合いには、人それぞれであり、自分で今度はこんな経験がしてみたいという、ある程度の計画をもって生まれてくるという。それゆえ、個別に人生も違うものとなってくるものだし、人それぞれの体験も違ってくるのだ。舞のパイロットになる夢をもって努力するのもその人の人生だし、ばんばの海に生きるのもそうだし、定職を持たない親父を持ちナースになった久留美の人生もその人の個別の人生があるのだ。そして、それらの人生で経験する体験は、その人その人のかけがえのない貴重な体験となるのだ。
その中でも、貴司のように職場になじめずドロップアウトしてしまったりの人生も、次のステージに進むための貴重な体験をしたことになるといえる。ただ、その非常に困難な人生の渦中にいるときは、どうしたらいいのか分からないことがあろう。私の場合、転勤した職場が全くの初めての仕事で、部下に長年にわたりその仕事をしてきたものがおり、その人からパワハラを受けた経験がある。そのときどうしたかと言うと、自分は舞台に立つ主人公でその役柄を演じているのだと考えた。考えるに、あの世の精神世界が魂の故郷であり、「体験」するために、この世には(誤解を恐れずにいえば、また言葉としてどうかと思うが)「プレイ=Play」するために訪れておるのであり、この体験が終了すれば、またあの世に帰っていくのであると考えられる。
そうであれば、先ほど言ったが、「自分は舞台に立つ主人公でその厳しい役柄を演じているのだ」と考えても、なんら違和感はないだろう。そのことにより、自分を客観的にとらえることができたし、「痛み」もいくぶん緩和することができたと思う。 ※1 ただし、その痛みの和らいだパワハラの経験=「舞台の主人公の経験」であっても、経験は経験として残り、貴重な自分の体験として、記録されるのは間違いない。
※1 ただ、それは一時的なものであり、根本的な解決は、職場を変えてもらうことであり、直後の異動時期に動いたのを覚えている。
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