人生においては、大決断の時、感情的なもの(不合理なもの)を含めた総合的な体験が重要と思うのだ!!
リーマンショック後の工場営業の困難等の苦労がたたってからか、心筋梗塞で突然亡くなった浩太(舞の父)。めぐみ(舞の母)は、連絡してない取引先がないか居間でチェックしていた。悠人(舞の兄)はパソコンに向かっている。舞が入ってきて、手伝おうかとめぐみの横に座ります。祥子(五島に住んでいる舞の祖母)は台所の片づけをしてだまって聞いている。
悠人 工場どないするん。こういう話は早い方がいい。おれもしょちゅう帰ってくるわけにはいかんし。
話を続ける悠人 売るのが一番いいて
めぐみ お父ちゃんは工場売るつもりはなかった。立て直すことだけを考えてた。
そのお父ちゃんの気持ち大事にしたいねん。
舞 何か続けられる方法はないの
悠人 親父がいなくなった今、状況はさらに悪くなっているねん。
めぐみ もうちょっと考えさせて。
場面は変わり悠人は自分の部屋で、けんか別れしたまま亡くなった浩太のことを思い出していましたが、そこに祥子(五島に住んでいる舞の祖母)が入ってきて話しかけた。
祥子 工場ば売ったほうがいいと思っているん。会社を継ぐつもりはないの。
悠人 はい、ないです。おれの仕事は投資家やし、この世界で一流になるために努力してきた。
投資家として冷静に計算して、今、工場を得るのがベストだと判断した。そんだけです。
祥子 賢かけん。じゃばってん、人間や馬鹿力ば出るときがあるとさ。
向かい風に強かけんが強くなることもあっとぞ。
悠人 それ、舞もいってました。
祥子 よく話し合えばよか。邪魔ばしたね。
いったん、工場をたたむことを決心しためぐみだったが、浩太の「日記」を見直し改めて彼の工場にかける思いや、信金が工場の価値を見積に来る日の朝早く皆がそうじをするような従業員の態度、また、夫を早く亡くしめぐみを中学生から育てた祥子の思いなどを聞いて、その判断を翻し、工場を続けることにしたのである。
それにしても、この「舞いあがれ」の作者は、人生におけるポイントを心得ており、それを脚本の中に反映させているのは見事というほかはない。⇒セリフの太字部分に留意
人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生まれ出て、あの世では体験できない様々な経験をする中で、魂の成長をしていくという。めぐみのように、社長であった夫がなくなってどうするかというような窮地に立たせれる状況では、精神的な負担を含め、相当大きな決断を伴う究極の体験をすることになろう。簡単にいうようだが、そういった体験を通して、初めて大きな魂の成長が可能となるものであろう。そういった経験は、どの人の人生において、必ず訪れるものだとも思う。
めぐみはいかに考えるべきか。冷静に考えれば、悠人のように今売るのが一番いいのかもしれないが、夫の会社にかける思いという一見合理的でない、感情的な思いというものも人生の分かれ目に立った時には、「つまらない」理由にはならないと思われる。感情的な夫の思いも、重要な要素となる。むしろ、夫の思いを実現したいというのを併せて決断するのが、この世での感情的な思いを含めた決断であろう。というのも、会社を売るというのは、今、分かっているだけの条件において「損得勘定」から見た判断(=この時点における考えられるの最適な解)であり、夫の思いを実現したいという「祥子がいう火事場のバカ力」が出てくる可能性は、全く含まれてはいないのである。未来は必ずしも悲観的に考えるべきではないのである。
人生の決断に迷ったときには、楽しい方を選択せよというが、この楽しいというのは、苦しいのを選ばないというのではなく、ワクワクする方を選ぶことの意味だという。どちらを選んだにせよ、本人が苦しいと自覚すれば苦しいのだし、ワクワクするのあればそちらの方がいいというか、頑張って未来を切り開くことができるのだ。もともと、どちらを選んでも、人生においては、選ぶべき道だったと捉えることもできるが、ワクワクするのを選べば、人生を切り開いていけるので、そちらの方がいいのではないかということである。そして、結果的には、人生のよりよい経験をすることになるのである。
私の場合を考えてみると、60歳定年の退職の際、職場が用意した仕事と資格を取っていたのでそれに関連する仕事するのかという「選択」には迷った。職場が用意した仕事は、いままで関連する仕事で同様の仕事を続ければよく、一方、資格関連の仕事は全く未知の仕事でどうなるか分からない仕事だった。しかし、職場が用意した仕事では、そのときのあっせんしてくれる上司が私のものすごくきらいな上司であって、その人の世話にはなりたくないという理由だけで断った。そんなばかな理由で、資格関連の仕事に就いた私だったが、今では、その仕事での経験をできたことは、良かったと思う。冷静に考えると、嫌いな上司が進める仕事とか考えずに、職場のあっせんを受けていれば、それなりの仕事はもらえたはずであるのだが、感情的には、人生そうはできないこともある、単に「自分の意地」というものかもしれないが・・・。一方で、「ワクワクできる仕事」として、何が起こるか分からない資格関連仕事を選んだのも事実である。今では、この仕事を選んで、いろんな経験をさせてもらってありがたいと思っているが、「上司との意地」で資格関連の仕事を選ばざるを得なかったのも間違いない。合理的な決断ではなく、感情的なものに動かされて決断するのも、人生における選択なのではないかと思う。
さて、この週では、主人公の舞は、社長となる母と一緒に会社の経営を行うことを決断するが、同じパイロットの道を進めなくなった舞は柏木と別れることとなるという、悲しい結末を迎えることになった。
さらに、パイロットの道をあきらめた(?)舞にとっては、テーマである「舞いあがれ」とは、別の意味付けをしなければならないことになるが、どうなるのだろうか。
リーマンショック後の工場営業の困難等の苦労がたたってからか、心筋梗塞で突然亡くなった浩太(舞の父)。めぐみ(舞の母)は、連絡してない取引先がないか居間でチェックしていた。悠人(舞の兄)はパソコンに向かっている。舞が入ってきて、手伝おうかとめぐみの横に座ります。祥子(五島に住んでいる舞の祖母)は台所の片づけをしてだまって聞いている。
悠人 工場どないするん。こういう話は早い方がいい。おれもしょちゅう帰ってくるわけにはいかんし。
話を続ける悠人 売るのが一番いいて
めぐみ お父ちゃんは工場売るつもりはなかった。立て直すことだけを考えてた。
そのお父ちゃんの気持ち大事にしたいねん。
舞 何か続けられる方法はないの
悠人 親父がいなくなった今、状況はさらに悪くなっているねん。
めぐみ もうちょっと考えさせて。
場面は変わり悠人は自分の部屋で、けんか別れしたまま亡くなった浩太のことを思い出していましたが、そこに祥子(五島に住んでいる舞の祖母)が入ってきて話しかけた。
祥子 工場ば売ったほうがいいと思っているん。会社を継ぐつもりはないの。
悠人 はい、ないです。おれの仕事は投資家やし、この世界で一流になるために努力してきた。
投資家として冷静に計算して、今、工場を得るのがベストだと判断した。そんだけです。
祥子 賢かけん。じゃばってん、人間や馬鹿力ば出るときがあるとさ。
向かい風に強かけんが強くなることもあっとぞ。
悠人 それ、舞もいってました。
祥子 よく話し合えばよか。邪魔ばしたね。
いったん、工場をたたむことを決心しためぐみだったが、浩太の「日記」を見直し改めて彼の工場にかける思いや、信金が工場の価値を見積に来る日の朝早く皆がそうじをするような従業員の態度、また、夫を早く亡くしめぐみを中学生から育てた祥子の思いなどを聞いて、その判断を翻し、工場を続けることにしたのである。
それにしても、この「舞いあがれ」の作者は、人生におけるポイントを心得ており、それを脚本の中に反映させているのは見事というほかはない。⇒セリフの太字部分に留意
人は、精神世界のあの世から、肉体を持ったこの世に生まれ出て、あの世では体験できない様々な経験をする中で、魂の成長をしていくという。めぐみのように、社長であった夫がなくなってどうするかというような窮地に立たせれる状況では、精神的な負担を含め、相当大きな決断を伴う究極の体験をすることになろう。簡単にいうようだが、そういった体験を通して、初めて大きな魂の成長が可能となるものであろう。そういった経験は、どの人の人生において、必ず訪れるものだとも思う。
めぐみはいかに考えるべきか。冷静に考えれば、悠人のように今売るのが一番いいのかもしれないが、夫の会社にかける思いという一見合理的でない、感情的な思いというものも人生の分かれ目に立った時には、「つまらない」理由にはならないと思われる。感情的な夫の思いも、重要な要素となる。むしろ、夫の思いを実現したいというのを併せて決断するのが、この世での感情的な思いを含めた決断であろう。というのも、会社を売るというのは、今、分かっているだけの条件において「損得勘定」から見た判断(=この時点における考えられるの最適な解)であり、夫の思いを実現したいという「祥子がいう火事場のバカ力」が出てくる可能性は、全く含まれてはいないのである。未来は必ずしも悲観的に考えるべきではないのである。
人生の決断に迷ったときには、楽しい方を選択せよというが、この楽しいというのは、苦しいのを選ばないというのではなく、ワクワクする方を選ぶことの意味だという。どちらを選んだにせよ、本人が苦しいと自覚すれば苦しいのだし、ワクワクするのあればそちらの方がいいというか、頑張って未来を切り開くことができるのだ。もともと、どちらを選んでも、人生においては、選ぶべき道だったと捉えることもできるが、ワクワクするのを選べば、人生を切り開いていけるので、そちらの方がいいのではないかということである。そして、結果的には、人生のよりよい経験をすることになるのである。
私の場合を考えてみると、60歳定年の退職の際、職場が用意した仕事と資格を取っていたのでそれに関連する仕事するのかという「選択」には迷った。職場が用意した仕事は、いままで関連する仕事で同様の仕事を続ければよく、一方、資格関連の仕事は全く未知の仕事でどうなるか分からない仕事だった。しかし、職場が用意した仕事では、そのときのあっせんしてくれる上司が私のものすごくきらいな上司であって、その人の世話にはなりたくないという理由だけで断った。そんなばかな理由で、資格関連の仕事に就いた私だったが、今では、その仕事での経験をできたことは、良かったと思う。冷静に考えると、嫌いな上司が進める仕事とか考えずに、職場のあっせんを受けていれば、それなりの仕事はもらえたはずであるのだが、感情的には、人生そうはできないこともある、単に「自分の意地」というものかもしれないが・・・。一方で、「ワクワクできる仕事」として、何が起こるか分からない資格関連仕事を選んだのも事実である。今では、この仕事を選んで、いろんな経験をさせてもらってありがたいと思っているが、「上司との意地」で資格関連の仕事を選ばざるを得なかったのも間違いない。合理的な決断ではなく、感情的なものに動かされて決断するのも、人生における選択なのではないかと思う。
さて、この週では、主人公の舞は、社長となる母と一緒に会社の経営を行うことを決断するが、同じパイロットの道を進めなくなった舞は柏木と別れることとなるという、悲しい結末を迎えることになった。
さらに、パイロットの道をあきらめた(?)舞にとっては、テーマである「舞いあがれ」とは、別の意味付けをしなければならないことになるが、どうなるのだろうか。
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