元・還暦社労士の「ぼちぼち日記」

還暦をずっと前に迎えた(元)社労士の新たな挑戦!ボチボチとせこせこせず確実に、人生の価値を見出そうとするものです。

おかえりモネの早めの「人の役に立ちたい」(気象予報士)は東日本大震災の経験からか

2021-06-06 09:13:15 | 第2の人生・老後・趣味と勉強
 人生をなんとなく過ごしてきた自分 / 人生の目的・自分に合った何かを見つけるのは至難の業

 おかえりモネでは、東日本大震災の重い現実を、朝ドラにふさわしい形で主人公モネ=永浦百音(清原果邪)の一つのテーマとしている。モネは「ものおじ」しない性格の反面、なぜか人生を前に進めない、鬱積したものを持っていた。その謎が、先週のドラマ(5・31~6・4)の中で明かされた。

 モネは亀島(今は橋で繋がっているが当時船のみの往来、実際は気仙沼市大島のこと)に生まれ中学生の頃、積極的に吹奏楽部を作って活躍、両親の勧めもあり仙台の音楽科のある高校受験をしたが失敗、合格発表に付き添っていた父(内田聖陽)は学生によく行っていたジャズ喫茶に誘い食事をする、帰ろうとしていたその矢先にバンド演奏が始まりそのまま聞き入ってしまう。そして、大震災が起こり島に帰れなくなったモネは本土側の高台で島の火の手を見ることになる。数日後に帰島したモネは、悲惨な島の実態を見ることになり、そのとき、おばあちゃん永浦雅代(竹下景子、語り手)もなくなっていたのである。

 その体験があってモネは音楽は止めることになり、何をしたらいいのか分からなくなるようだ。内地の登米市で知り合いの新田サヤカ(夏木マリ)のつてを頼って森林組合で働きだしたモネは、その震災の体験からか「人のために役立ちたい」という思いを、いつしか持つようになる。しかし、人のためにという思いはあっても、具体的な方法性をつかめないモネ。里帰りした実家の妹=永浦未知(蒔田彩珠)の種かきの研究(海水温・風向きの情報が必要)や、その時森林組合に訪れた気象予報士朝岡覚(西島秀俊)の影響から気象予報士を目指すことになる。

 東日本大震災を経験したモネ。それゆえに、人生の進む道を早めに見つけたモネであるが、モネのように人生の目的を若い頃から見つけていくのは、あまりないようだ。夏木マリが番組宣伝で、自分の場合はなぜか人に誘われさそわれここまで来たが、やっとこの頃、自分にあったものを見つけたように思うと話していた。大多数の者にとってだれしもそうであろう。最後まで、人生の究極的なものについて、実際味わう感覚を持たないことで、事尽きる人もあろう。

 ある人に言わせると人生は、<自ら命を断たないで>最後まで生き切ることに意味があるそうだ。しかし、生き切るとはそんなに簡単ではないように思う。誰しもとことん落ち込むことはある。精神的に参ることは何度かあるだろう。そこを命尽きるまで生き切ることは至難の業だと思う。そんな中で、人生の中で何かを自分に合うものに出会えた者は、実に幸せものだと思う。

 私は父の勧めで、何も分からないまま、地方の公務員になった、そして、定年まで勤めた。はじめは、それこそ「みんなのために働く」という目的(確信的ものではない)があったように思う。しかし、その思いはあっても、自分に合った仕事が見つかるかは別である。というのも、事務職である地方公務員は数年ごとに職場が変わり職の内容も変わっていくので、これが自分に合った仕事といえるものは見つけられなかった。というより、見つけたと思っても次の職場に異動だったのである。定年後は、社労士関係の仕事をしばらくしたが、軌道に乗る前に、70歳で自発的に再定年を迎えた。結局、今までこれが自分の仕事だと胸を張れる仕事は見つかっていない。残り少ない人生でそんなものは見つかりそうもない。

 自分に合った仕事を持つことができた人は幸せである。今後のモネの気象予報士としての活躍、そしてそれが「人に役立つ」ことを期待している。

 そういえば、高校の頃「地学」(今はこの科目はないのでは?)が好きで岩石採集も行い、また宇宙に興味も持った。ある日の定期テストで「フェーン現象」の説明があり、その部分だけは満点を取ったことを覚えている。昔は気象予報士という言葉もなく、今一つの職業・資格となっている気象予報士であるが、これが自分の興味の向くところであったことは間違いない。その意味で、気象予報士にあこがれる者の一人として、おかえり「モネ」の今後の展開に期待したい。

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