縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

常盤新平氏に捧ぐ

2013-02-02 00:08:54 | 芸術をひとかけら
 1月22日(奇しくも僕の誕生日であるが)、翻訳家で、直木賞作家でもある常盤新平氏が肺炎で亡くなられた。81歳だった。

 “The New Yorker” は、彼がこよなく愛した雑誌である。以前、“『夏服を着た女たち』の謎(2006.8.13)”で書いたが、この雑誌や、そこに掲載されていた男女の機微や人生の悲哀を描く都会小説を日本に広めた、浸透させたのは、氏の力が大変大きい。“The New Yorker”といえば常盤新平であり、同誌を代表する作家・アーウィン・ショーといえば常盤新平なのである。

 1986年、氏は『遠いアメリカ』で直木賞を受賞された。僕は、あの『夏服を着た女たち』を訳した常盤新平の本だったので、早速買うことにした。アメリカに憧れ、ペイパーバックを読みあさりながら、不安と希望を感じつつ翻訳の勉強をする若者の話である。氏自らの青春時代を描いた作品であろう。こんな自分に何ができるのだろうと悩みながらも、自分もいつかは・・・と夢を忘れない主人公に共感したことを覚えている。そう、当時は僕も若かったのである。カバーは相当色褪せてしまったが、今でもその本を持っている。

 『遠いアメリカ』が書かれたのは30年近く前、そこで描かれていた時代は1960年前後、つまり50年以上前、さらに『夏服を着た女たち』に至っては、1940年前後から50年代に書かれた短編が収められた本である。古典とまではいかないが、古いことに違いはない。
 氏の訃報に接し、改めてこの2冊をざっと読み返してみた。が、どうしてどうして、どちらも古さなど微塵も感じさせない。特に『夏服を着た女たち』は舞台がアメリカということもあって、21世紀の日本で読んでも何の違和感もない。

 もっとも、これは単に人間のやること、考えることが、いつの時代になっても変わらないせいかもしれない。男と女は恋をする。そして駆け引きもする。人生に成功する人間もいれば、失敗する人間もいる。世渡りの上手い人間もいれば、不器用な人間もいる。遠く万葉の昔から、あるいは卑弥呼の時代から、人は本質的なところではさほど変わっていないと思う。だからこそ古典は読み継がれるのであろう。
 そして『遠いアメリカ』も、誰もが経験した、不安と夢が錯綜する青春時代を描いた作品として、人々の記憶に残って行くのだと思う。常盤新平氏のご冥福をお祈りする。