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ノーベル賞授賞式、ディランに代わりパティ・スミスが歌う

2016-12-08 21:16:59 | 最近思うこと
 今週の月曜、12/10のノーベル賞授賞式でパティ・スミスがボブ・ディランの“A Hard Rain's A-Gonna Fall”(激しい雨が降る)を歌うとの発表があった。また晩餐会にはディランからメッセージが寄せられているとのこと。誰がそのスピーチを読むかは当日のお楽しみのようだ。

 僕はボブ・ディランの音楽をほとんど聴いたことがない。歌うというより、ギターを弾きながら、ただ歌詞を読んでいる人みたいなイメージがあって、あまり好きではなかった。おそらく僕の英語力のなさゆえ、彼の詩を、彼の世界観を理解できなかったことが、その大きな理由だと思う。このため僕は、ディランがノーベル賞受賞につき沈黙していたことにも、受賞はするが式典は欠席することにも、取り立てて何の感情もなかった。

 無論、世の多くの方はボブ・ディランが授賞式に出ない、歌わないことを大変残念に思われていることだろう。が、気落ちせず、是非パティ・スミスの歌を聴いて頂きたい。彼女は詩人であり、そして「ロックの殿堂」入りを果たした一流のミュージシャンなのだから。ディランと相通ずるところもある。

 彼女は70年代にまず詩の朗読で舞台に立った。その後音楽をバックに詩を朗読するようになり、ついには自ら作詞作曲し歌うようになった。パンク・ロックの走りである。初めのうちは一部でしか評価されていなかったが、ブルース・スプリングスティーンとの共作“Because the Night”のヒットで一躍メジャーの仲間入り。ランボーに憧れ詩を書き始めた彼女の詩は、激しく、ときに反体制的であった。そして彼女の歌声もまた激しい。
 そんな彼女の歌を僕は高校時代によく聴いていた。一番のお気に入りは“Rock N Roll Nigger”。niggerに人種差別的な意味はなく、反逆的でありながらも尊敬されるべきアウトサイダーといった意味だったと思うが、nigger、niggerと連呼するこの曲、今では放送禁止かもしれない。

 知らなかったが、彼女は十代の頃からかれこれ50年ディランのファンだという。ディランとの交流も古く、彼の前座としてツアーを回ったこともあるそうだ。そんな経緯からディランの代役として彼女に白羽の矢が立ったのかと思ったが、元々彼女は今回の授賞式で歌うことになっていたという。9月に、ディラン受賞の発表前に、授賞式でオーケストラをバックに歌って欲しいとのオファーがあったそうだ。おそらく、ディランが出る・出ない、どっちに転んでもディランと親しいパテイ・スミスなら何とかしてくれるとノーベル側は考えたのであろう。さすがノーベル、用意周到である。

 今回は彼女の方で自分の歌ではなくディランの歌を歌うことを決めたという。“A Hard Rain’s A-Gonna Fall”を選んだのは、この歌がディランの最も美しい歌の一つだから。彼女曰く、この歌は彼のランボーのような卓越した言葉使いと、人間の苦悩や回復する力についての深い理解とを兼ね備えている。
 う~ん、難しい。自分で訳しておいてなんだが、何を言っているのかさっぱりわからない。皆さん、この意味を知るため、謎を解くため、是非授賞式を見よう。パティ・スミスの歌を聴こう。YouTubeなら全部見られるはずだ。
 で、おぼろげにでも彼女の言葉の意味が分かった方は僕に教えて下さい!



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
パティ・スミスのノーベル賞授賞式での映像 (えんちゃん)
2016-12-12 22:27:55
https://www.youtube.com/watch?v=DVXQaOhpfJU
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