今日はイースター、復活祭の日である。
イースターと言っても、キリスト教徒でない僕にとってはあまりピンと来ないが、イエスの復活を、十字架で処刑された後によみがえったことを祝う日である。「春分後の最初の満月の次の日曜日」ということで年によって変わるが、その定義から3月22日から4月25日までの間ということになる。
その由来については、ユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」から来るとする説もあれば、春の女神 Eostreに因んだゲルマン人の祭りに由来するとの説もある。もっともユダヤ教においてイエスは存在しないわけだし、いずれにしろ、長い寒く厳しい冬が終わり、草木が芽吹き、動物たちが再び活動を始める春が来たという喜びを、イエスの復活のイメージと重ね合わせた祝日なのであろう。
イースターで思い出すことといえば、『イースター・パレード』という映画があったな、ということと、パティ・スミスである。
パティ・スミスというのは詩人であり、ミュージシャンである。“パンクの女王”とも言われ、1970年代後半のニューヨーク・パンクを代表するアーティストの一人である。彼女の3枚目のアルバムが『 Easter(イースター)』。パンク通の中では、デビュー作『 Horses(ホーセズ)』や2作目の『 Radio Ethiopia(ラジオ・エチオピア)』を評価する声が強いが、僕はこの『 Easter 』が一番好きだった。“Because the night”や“ Rock’n’Roll Nigger”は最高に良かった。詩の朗読のような雰囲気から、一転歌へと繋がって行く“ Rock’n’Roll Nigger”、その独特の歌い方、迫力というか、その説得力には本当にゾクゾクした。英語力に乏しく、彼女の詩を理解できなかったのが悲しい。
彼女はまず詩人として活動を始めた。それは詩の朗読会であったり、ロックのライブの前座に自作の詩を披露したりしていた。バックに音楽を流して詩を詠んだり、時には歌うこともあったかもしれない。詩人として一部でカリスマ的人気を誇った彼女はついにレコード・デビューを果たした。熱狂的に評価するファンがいる一方、レコードの売れ行きは冴えなかった。
そこで梃入れを図るべく、若干ポップな要素を強めたのが、3作目『 Easter 』である。特に“Because the night”は、パティ・スミスの詩に当時売り出し中のブルース・スプリングスティーンが曲を書き、シングルとしてもチャートの上位に入った。
その後の彼女の活動についてはほとんど知らない。彼女が結婚して活動を一時中断したこと、僕が就職後あまり音楽を聴かなくなったことが理由である。持っていた『 Easter 』など彼女のLP3枚も実家の引越の際に処分されてしまった。今の僕に彼女の歌を聴く術はない。CDを買えば良いのだが、何もそこまではと思い、つい躊躇してしまう。
実は、以前スペインに行った際、数年、いや十数年振りに“Because the night”を耳にした。バスで田舎の畑の中を走っているとき、突然ラジオからパティ・スミスの声が響いて来たのである。懐かしい。見知らぬ土地で、偶然、旧知の友人に出会ったような嬉しさだ。
イエスは三日後に復活したそうだが、パティ・スミスの歌も三十年の歳月を経て復活すると良い。
イースターと言っても、キリスト教徒でない僕にとってはあまりピンと来ないが、イエスの復活を、十字架で処刑された後によみがえったことを祝う日である。「春分後の最初の満月の次の日曜日」ということで年によって変わるが、その定義から3月22日から4月25日までの間ということになる。
その由来については、ユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」から来るとする説もあれば、春の女神 Eostreに因んだゲルマン人の祭りに由来するとの説もある。もっともユダヤ教においてイエスは存在しないわけだし、いずれにしろ、長い寒く厳しい冬が終わり、草木が芽吹き、動物たちが再び活動を始める春が来たという喜びを、イエスの復活のイメージと重ね合わせた祝日なのであろう。
イースターで思い出すことといえば、『イースター・パレード』という映画があったな、ということと、パティ・スミスである。
パティ・スミスというのは詩人であり、ミュージシャンである。“パンクの女王”とも言われ、1970年代後半のニューヨーク・パンクを代表するアーティストの一人である。彼女の3枚目のアルバムが『 Easter(イースター)』。パンク通の中では、デビュー作『 Horses(ホーセズ)』や2作目の『 Radio Ethiopia(ラジオ・エチオピア)』を評価する声が強いが、僕はこの『 Easter 』が一番好きだった。“Because the night”や“ Rock’n’Roll Nigger”は最高に良かった。詩の朗読のような雰囲気から、一転歌へと繋がって行く“ Rock’n’Roll Nigger”、その独特の歌い方、迫力というか、その説得力には本当にゾクゾクした。英語力に乏しく、彼女の詩を理解できなかったのが悲しい。
彼女はまず詩人として活動を始めた。それは詩の朗読会であったり、ロックのライブの前座に自作の詩を披露したりしていた。バックに音楽を流して詩を詠んだり、時には歌うこともあったかもしれない。詩人として一部でカリスマ的人気を誇った彼女はついにレコード・デビューを果たした。熱狂的に評価するファンがいる一方、レコードの売れ行きは冴えなかった。
そこで梃入れを図るべく、若干ポップな要素を強めたのが、3作目『 Easter 』である。特に“Because the night”は、パティ・スミスの詩に当時売り出し中のブルース・スプリングスティーンが曲を書き、シングルとしてもチャートの上位に入った。
その後の彼女の活動についてはほとんど知らない。彼女が結婚して活動を一時中断したこと、僕が就職後あまり音楽を聴かなくなったことが理由である。持っていた『 Easter 』など彼女のLP3枚も実家の引越の際に処分されてしまった。今の僕に彼女の歌を聴く術はない。CDを買えば良いのだが、何もそこまではと思い、つい躊躇してしまう。
実は、以前スペインに行った際、数年、いや十数年振りに“Because the night”を耳にした。バスで田舎の畑の中を走っているとき、突然ラジオからパティ・スミスの声が響いて来たのである。懐かしい。見知らぬ土地で、偶然、旧知の友人に出会ったような嬉しさだ。
イエスは三日後に復活したそうだが、パティ・スミスの歌も三十年の歳月を経て復活すると良い。