先日、屋形船で花見をした。夜桜である。粋というか、乙というか、風情があるな、と思われた方、それは違う。何のことはない、歓送迎会、ただの宴会である。飲んで騒ぐには、船の上も陸の上も変わらない。おまけに寒いときた。遠目に見た桜は妖しく美しかったが、花より団子ならぬ、花よりお酒の2時間半だった。
一応コースを説明すると、晴海トリトンの近くから運河を通って隅田川に入り、浅草の先、桜橋あたりまで行って戻ってくるコース。本来の趣旨は、桜橋と言問橋の間で小一時間ほど停まり、船から隅田公園の桜を楽しもうというものである。
まあ、物は試し、一度経験されては如何かと思う。もっとも、できれば船を貸し切り、気の置けない仲間で楽しむか、少人数で静かに花を愛でるのが良いのではないだろうか。
屋形船は高い、お金がもったいないと思われる方には、水上バスがお勧め。日の出桟橋から浅草まで方道1,000円も掛からずに行ける。船は隅田公園の手前までしか行かないが、浅草の船着場から隅田公園までは歩いてもさほど距離はない。また、隅田公園まで行かずとも、途中の川岸でも結構桜が楽しめる。特に中央大橋の手前、リバーシティや聖路加のあたりの桜が綺麗だ。桜を楽しんだ後、浅草でちょっと一杯遣るも良し、下町情緒の中、思い思いに余韻に浸れるだろう。
東京の桜はこの週末あたりから満開になった。そろそろ散り始めかと思われたが、ここ2日の寒さで少し持つのではないかと期待している。それこそ、雨にも負けず、風にも負けず、咲いていて欲しい。
が、天邪鬼的に言えば、桜は散るから良いのかも知れない。いくら美しくても、年中咲いていては、いずれ飽きが来て見向きもされなくなるだろう。明日をも知れぬ命なればこそ、それが愛おしく、この上なく貴重なものに思えるのである。
英語で mortal というのは、“死ぬ運命にある”といった意味で、それは人間を意味する。その否定形、 immortal は“不死の”という意味で、これは神を意味する。確かギリシア神話の中に、不死である神となるより、自分は死すべき者、人間でありたい、といった一節があったと思う。限られた時間であればこそ、輝きに充ちた時間なのだと。
ここで我が身を振り返って反省、年とともに、だんだん怠惰な人間になっている気がする。目には見えないが、誰しも刻一刻死に近づいていることは紛れもない事実だ。短い一生を精一杯咲き続ける桜に恥じぬよう、明日から気を引き締めて生きて行かねば。
一応コースを説明すると、晴海トリトンの近くから運河を通って隅田川に入り、浅草の先、桜橋あたりまで行って戻ってくるコース。本来の趣旨は、桜橋と言問橋の間で小一時間ほど停まり、船から隅田公園の桜を楽しもうというものである。
まあ、物は試し、一度経験されては如何かと思う。もっとも、できれば船を貸し切り、気の置けない仲間で楽しむか、少人数で静かに花を愛でるのが良いのではないだろうか。
屋形船は高い、お金がもったいないと思われる方には、水上バスがお勧め。日の出桟橋から浅草まで方道1,000円も掛からずに行ける。船は隅田公園の手前までしか行かないが、浅草の船着場から隅田公園までは歩いてもさほど距離はない。また、隅田公園まで行かずとも、途中の川岸でも結構桜が楽しめる。特に中央大橋の手前、リバーシティや聖路加のあたりの桜が綺麗だ。桜を楽しんだ後、浅草でちょっと一杯遣るも良し、下町情緒の中、思い思いに余韻に浸れるだろう。
東京の桜はこの週末あたりから満開になった。そろそろ散り始めかと思われたが、ここ2日の寒さで少し持つのではないかと期待している。それこそ、雨にも負けず、風にも負けず、咲いていて欲しい。
が、天邪鬼的に言えば、桜は散るから良いのかも知れない。いくら美しくても、年中咲いていては、いずれ飽きが来て見向きもされなくなるだろう。明日をも知れぬ命なればこそ、それが愛おしく、この上なく貴重なものに思えるのである。
英語で mortal というのは、“死ぬ運命にある”といった意味で、それは人間を意味する。その否定形、 immortal は“不死の”という意味で、これは神を意味する。確かギリシア神話の中に、不死である神となるより、自分は死すべき者、人間でありたい、といった一節があったと思う。限られた時間であればこそ、輝きに充ちた時間なのだと。
ここで我が身を振り返って反省、年とともに、だんだん怠惰な人間になっている気がする。目には見えないが、誰しも刻一刻死に近づいていることは紛れもない事実だ。短い一生を精一杯咲き続ける桜に恥じぬよう、明日から気を引き締めて生きて行かねば。