25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

空港にて

2015年04月07日 | 旅行
 遅いというか、早いというか、一週間がたった。今、空港にいる。出発までまだ1時間15分ある。
バリ島では多くの人の世話になった。感謝である。
 一仕事終えて、家路に向かう。美味しそうなウィスキーが並んでいるが世界一うまい日本のものはない。
 明日はラーメン食べるぞ、ってな感じであります。
 4月からおもしろいドラマが始まったのでしょうか。興味津々です。

衰退の一要因

2015年04月06日 | 社会・経済・政治
 日本って、職人技を貴重に思い、尊敬もされる。
 テレビでも職人技の番組が多い。それはそれでいいのだが、三次産業が職人も二次産業を牽引していることを忘れてはならない。ぼくはよく昔、二十年以上ほど前のことのなるが、高次産業にぉそ育成するべきだと、経済研究所やシンクタンクの人に言っていた。かれらは怪訝な顔をしていた。市政は相変わらず、地場産業の発展と、市長も市議も叫んでいた。高次産業が地場産業をじょっぱることができるのである。
 ソニーは二次産業であり、その売りこみや、企画は高次な分野である。そのソニーは完全にアメリカの高次産業、たとえばアップルに負けた。グーグルにも負けた。音楽機器を得意としたにもかかわらず、スマートフォンに負けた。
 尾鷲市にあらたな発想をする政治家がでていない。
 このまなでは、病院だけでなく、介護施設も支える人がいなくなる。つまり、人々が生活も糧を得るあらたな業種を形成してこなかったのである。
 デザインができる人すらいな
い。進展しまくっていくITにもついていく会社がない。
 国道沿いは地元の会社が少ない。

 これは尾鷲のことだけを言っているのではない。
 高次産業への理解がマスコミも、政治家もできていないのだと思う。おそらく、日本が衰退していった一要因だと思う。


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2015年04月06日 | 映画
 日本って、職人技を貴重に思い、尊敬もされる。
 テレビでも職人技の番組が多い。それはそれでいいのだが、三次産業が職人も二次産業を牽引していることを忘れてはならない。ぼくはよく昔、二十年以上ほど前のことのなるが、高次産業にぉそ育成するべきだと、経済研究所やシンクタンクの人に言っていた。かれらは怪訝な顔をしていた。市政は相変わらず、地場産業の発展と、市長も市議も叫んでいた。高次産業が地場産業をじょっぱることができるのである。
 ソニーは二次産業であり、その売りこみや、企画は高次な分野である。そのソニーは完全にアメリカの高次産業、たとえばアップルに負けた。グーグルにも負けた。音楽機器を得意としたにもかかわらず、スマートフォンに負けた。
 尾鷲市にあらたな発想をする政治家がでていない。
 このまなでは、病院だけでなく、介護施設も支える人がいなくなる。つまり、人々が生活も糧を得るあらたな業種を形成してこなかったのである。
 デザインができる人すらいな
い。進展しまくっていくITにもついていく会社がない。
 国道沿いは地元の会社が少ない。

 これは尾鷲のことだけを言っているのではない。
 高次産業への理解がマスコミも、政治家もできていないのだと思う。おそらく、日本が衰退していった一要因だと思う。


バリ人

2015年04月05日 | 旅行
 バリ島の人々の楽しむことは日本人が楽しむことと違うように
思える。カラオケやバーやクラブなどは外国人の行くところだし、 ゲームセンターもあるわけではない。
 普通のひとのことを言っているのである。
 外に遊びにいくことはほとんどないが、伝統的な行事には従順であり、強固な宗教意識を持っている。
 外国人の食べるものを食べたがらず、ナシチャンプルさえあれbよい。これがみごとな栄養バランスの整ったごはんである。
 最近の様変わりは、なんといっても、携帯電話やスマートフォン、それに車である。とにかく車が多くなったし、だれもが携帯電話を持つようになった。
 こもようになっても、外国人をおもてなすだけで、自分たちはひっそりと生きているように思える。
 人への気遣いも繊細である。
 アーミッシュほどではないかもしれないが、基本的に豊かでsるように思える。
 次第にヨーロッパ化はしているが、必死で独自の文化や習慣を守ろうとぢている。

究極は自分個人である。

2015年04月04日 | 映画
 「経済フロンティア」というNHKの番組をみた。つらつら思うに、日本経済はちっともよくなっていない。働かずして金を得るという株価が上っているだけだ。僕は株で儲ける人が増えたからら景気がよくなっているとは思わない。その儲けたお金で何かを消費し、世の中にお金がまわる、といいたいだろうが、そううまくまわるだろうか。僕が知る限りのことであるが、お金持ちというのは金持ち病をかかえている。お金は儲かる以上には使わない、というのが彼らの基本原則のような気がするのだ。お金って、案外持っていない人が使うものだ。
それで、現在の統計で、20代が、続いて30だい、40代と節約しているのをみると、やはり、本当は景気がよいとは思えていなないんだと思う。金持ちは使わず、若者が使わない、となれば、誰が使うというのだろう。アブクのようなものが、どこかに行ったり来たりしているだけではないか、と言いたくなってくる。
 大企業で働く人も、5000円賃上げ、などとたいそうなニュースのようにいわれているが、中小、零細企業、地方での賃上げはどうか、などと言っているが、あり得るはずがないではないかと言いたくなる。  
 ぼくは究極、一人でやっていく方向に向いている。そこをめざしている。案外そんなにひともいるんじゃないかと思う。
 ぼくのまわりもいるし、雇うこともせず、雇われることもしない。
 あらゆる欲望などきりがない。名誉も、権威も、肩書きも、おかねも才能もキリがない。




ヤンキー文化

2015年04月03日 | 社会・経済・政治
 ヤンキー文化という言葉を初めて知った。著者である斎藤環によると、ヤンキーとは、「気合いとアゲアゲのノリさえあれば、まあなんとかなるべ」という人らしい。ヤンキーは絆が好きで、小難しい理屈は嫌いで、目立つことは好きで‥仲間付き合いがよく、車やバイクはかざりたて、キラキラネームが好きで、言葉の通じない白人から遠ざかるらしい。斎藤環はヤンキー文化ヲヒハンぢているわけではなく、この時代の日本人論を試みているのである。
 さて、今度は自分のことになるが、ぼくはヤンキー的なものは嫌いである。路上でソーランを見ていても、なじめない。僕の中には個人主義というものがある。これは利己主義ということではない。個人の自由が共同の社会の中で優先的に自由とともに尊重されるべきものだと考えているし、すでに強固な思想となっている。
 精神力だけでものごとがなせるわけではない。「頑張ろうぜ」といわれても、それは何を意味するのかもわからない。

 ヤンキー的なるものはどこにだってある。それは趣味の問題かと思ったが、どうやらおおきな範囲での精神文化の問題なのだ。 ヤンキーは反知性である。

 インパール作戦を強攻した司令官、牟田口廉也は、「皇軍は食うものがなくても戦わなければならない。兵器がない、やれ弾丸がない、食うものがないなどは戦いを放棄する理由にはならぬ。
 弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか、銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男児には大和魂があるということをわづれてはいかん。-----」 (斎藤環 ヤンキー化する日本)
この補給を無視した強行で、7万人が飢えや病気で死んだ。
 ヤンキー精神はこんな愚かな精神論と結びついてほしくない。

バリ島にいます

2015年04月02日 | 旅行
 WIFI がどうもうまく使えません。on になったり、offになったりで、いやになります。今、バリ島のサヌールにいます。古巣に戻ったわけです。やはりサヌールはウブドよりも2度ほど気温が高く、湿気もあります。スクールの引っ越しと、内装のことばかりで、ぼくがすることはありません。でも契約の面で、いなければならず、暇をもてあましています。
 ヤンキーに関する本をもってきましたが、なんだか集中できまでん。今日は看護と介護に必要な日本語テキストをつくってほしいと頼まれ、よしやってやろうか、と思ったところです。昔の経験で、日本語の効率のよいテキストをつくればいいわけです。そんなことを思いながら、ウイスキーなどを飲んでいるのです。
 クラシックやジャズもいっぱいSDにいれてもってきたので、たすかります。