南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆日本の初日

2012-07-13 22:05:14 | 生活

  1275 スカルノハッタでPCを操作しながら搭乗時刻を待っている状態は、ルンルン気分である。2006年に飛行機に乗ることを禁じられて、今にも死ぬのではないかという恐怖をもって、逃げ出すようにしてジャカルタから飛び立つのを待っていた時とは、気分は雲泥の差である。スカルノハッタ空港にいる時、必ず、2006年のことを思い出す。本当に酷かった。

順調に静岡の家に到着した。13;00頃である。三カ月と10日ぶりである。戻ってくれば、しばらくは、心地がいいに決まっている。私がいた場所は、多分、いなくなると、たちどころに、他の目的に使うような状態にするのだと思う。私が使っていたものは、全部、ほかの部屋の隅に放り出される。一か所に纏めておいてくれればいいが、戻す時のことを全く考えてくれていないので、孫たちも一緒になって、あちこちの適当な場所に置く、何をどこに置いたかなどと言うことを、誰も記憶も記録もしていない。

戻る場所は一か所しかない。私が戻ると先ずすることは、私が出発した日の状態に戻すことである。

それでも、今日は妻が家にいたからいい。出かけるところだった。いつもは誰もいない家に帰る。鍵は自分で開ける。いつかは、インドネシアへ鍵を持っていっていなかったことがある。家について鍵を持っていないことに気がついた。昼過ぎにいつも家に着くのだが、それから、妻が帰ってくるまで5時間待ったことがある。今回も鍵は持っていかなかったので、そのことを電話しておいた。家にはいるなり、妻は、どこかへ出かけて行ってしまった。孫の上の子が、15:00過ぎに帰ってきた。私が来ていることを知っていて急いで帰って来たようだった。妻が帰って来た。引き続いて、下の子を迎えに16:00過ぎに近所の幼稚園へ行ってきた。その足で、スーパーへ買い物に着き漁れた。完全に使い走りが始まった。便利に使おうと思っている。こちらは寝不足なのに、通常の睡眠時間まで眠らせてくれなかった。

寒かったことと、研修生が周りに30人以上座ってうるさかったことで眠れなかった。それに、なにより、この10日ほどの無茶な行動が体にブレーキをかけたのかもしれない。飛行機の中で、頭がふらふら、測ってはいないが、熱も高そうだ。静岡へ着いたころはもっとひどくなっていて、夢遊病者になっているなと自分で思う。その状態で、先ほどの行動である。家に戻った17:00頃には、どうしようもなくなって、夕食も取らずにごろ寝で、眠ってしまった。完全にグロッキー。こんなことは今までになかった。

いつも電源を使うレストランでのソッ ブントゥトゥ。トイレの飛び散り防止プラスチック板。原因は物のところにあり、効果は無いことを知るべきである。

帰宅 孫たち グロッキー

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