南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆Ramadan 2012

2012-07-25 22:05:28 | インドネシア

 1287 前提は、1997年当時との比較で考えている。Bulan suci Ramadan 神聖なラマダン月です。日が昇っている間は、一切の欲望を絶たなければなりません。唾も飲みこんではいけません。

ということになっているらしいが、やはり、宗教以前に人間です、雰囲気次第で、宗教色は薄れてきます。回りの人が食事をすれば自分も付き合おうと思います。日本にいるインドネシア人がいい例です。それは、守っている人もいますが、レストランに誘われれば、自分だけ付き合わないわけにはいかないでしょう。事実、私と一緒に食事を時、ラマダンだから、時間まで待つか?と聞いたときに、そうしましょうという人はいない。全員が、今で構わないと言います。私に気を使ってというより、普段の生活がそうなのです。

イスアラムにもかかわらず、それが悪いというわけではない。それでいいと思う。お祈りも、決まった時間に、きちっとやっている人は、少なくなっている。田舎に暮らす人は、周りの目があるから、きちっとお祈りする人の割合は多いが、都会へ近づけば近づくほど、周りの目を気にする必要は無くなるし、いい加減イスラムが増えているので、自分も適当にやればいいという気持ちになる。自然の姿です。

だからと言って、いい加減イスラムの人が、仕事もいい加減と言うことは無い、どちらかと言うと、いい加減イスラムの人の方が、仕事ができるし、真面目である。いい加減でないイスラムの人が仕事は、いい加減と言っているわけでもない。お祈りをする、断食をするということと、お祈りをしない、断食をしない、ということと、仕事ができる、できないとは、全く関連が無い。

年中行事の一つになっているが、一種のイスラムの祭りの様なもの、神聖と言う感じはしない、終わった後の連休を楽しみにしている。それは、イスラムの人に限らない、日本人もクリスチャンも長期で休めるし、故郷へ帰ることができるという意味で、この意識は共通です。

日系企業とは限らないが日本人はインドネシア従業員との付き合いにおいて、ラマダン、レバランを尊重しつつも、特別意識する必要は無いし、気を使う必要はないのです。普段通りに付き合えばいいのです。その普段の付き合いが肝心でしょう。溶け込むことです。

 

 間もなく、オリンピックが開催される。イスラムの国から来た選手は、迷っている人も多いと思うが、多分、その国のイスラム聖職者も国としても、実力を発揮してもらうことを期待して、本人の自由にしているでしょう。不規則な食事の状態ではベストコンディションとは言えない。相手に対しても失礼である。もともと、断食をしなくてもいい状態の人は認められているのですから、それでいいのです。

 私のWeb Siteはこちらじから。

http://otaenplaext.net/newpage0.html

 断食 例外 いい加減

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