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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日は立春なのに・・・!

2010年02月03日 | 日記
今日は24節気の立春である。
前日が節分。

現在社会においては、節分は年に一回と慣習化されている。
本来は、季節が立つ日の前日は全て節分と言ったのである。

立夏の前日が節分。
立秋の前日も節分。
そして立冬の前日もまた節分だったのである。

季節を愛し、自然の摂理のままに生きた古人(いにしえびと)が美しいと思えるのである。



天気予報では、積もるほどではないチョッとした雪だというのに、吹雪いているのである。
叩きつける雪は久しぶりだ。

1日の雪はまだなごり雪ではなかった。

ぼくは、この雪の夜不思議な経験をした。
雪の向こうに、穏やかに微笑んでいる雪女に出会った。

その雪女は、美しく横顔が素敵な女性であった。



あれはぼくの内なる理想の女性像だったのかもしれない。
男はいつでも理想の女性を求め続けるものなのである。





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                   荒野人

蘭亭で手習いする

2010年02月03日 | 旅行
書の故郷で手習いする。



蘭亭は書の故郷である。
蘭亭は竹林の中にひっそりと在る。
池を巡るのも良し、書を習うのも良いのである。
書の練習場は、鵞鳥池のそばにある。



蘭亭序を真似るも良い。
あらゆる芸術は模倣・模写から始まるのである。

この練習場のグルリには、お手本の書が大きな石碑となって林立しているのである。
板書するのだけれど、脇には水ガメが据えられており、その水で書を認(したた)めるのである。

乾きが早いので、間断無く書くことが出来るのだ。



かくして現在に蘇る王義之は、粗末にして幼稚な書体に留まるのである。
偉大なるかな書の聖人。
偉大なるかな悠久の歴史に育まれた、書という芸術。

とでも言っておこうか!

蘭亭という呼称も「神秘的な耽美主義」を連想させる。
蘭の花である。



蘭の花弁である。

王義之の時代で既に蘭を愛(め)でていたのであろうか。
蘭は耽美的(たんびてき)であり、媚惑的(こわくてき)である。




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書の故郷・・・中国・蘭亭

2010年02月03日 | 旅行
書は空間の美である。
白と黒の世界で、これほど色彩豊かな芸術的表現は無い。
書が織り成す肖像的空間は滴り落ちるような色彩に満ち溢れている。



蘭亭は書の故郷である。
ここには書聖と言われた王義之が活動の拠点を置いた。



彼の作品は顔卿と並び称される。
とりわけ、ここ蘭亭でものにした「蘭亭序」は比類なき書の手本となっている。



王義之は、秦・漢代の字体などを研究し、それぞれの字体を楷書、行書、草書などと組み合わせ、貴族的で力強く優美典雅端正な書体が特徴的で、「雪の如く、竜の如し」と形容されるほどである。
「書道の革命家」、「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えたのである。
その功績は偉大である。



蘭亭は紹興市街の西南蘭渚山の麓に位置する。
晋の時代、王義之ら名士42人が中国浙江省の地にある「蘭亭」で屈曲した小川の流れに杯を浮かべて、その杯が流れ着く迄に詩を創り、酒を飲み楽しんだのが、曲水の宴のはじまりと言われている。

日本では、平安貴族が曲水の宴を開いたことで知られている。

蘭亭は竹林の中にある。
中国で、竹林は賢人の潜む場所である。



王義之という賢人は、死してなお、人々に書を書き続けさせている。
歴史に生きるというのは、こういうことなのである。




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