エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

生き物は季節を感じている

2010年02月06日 | 日記
今日は寒いのである。
いつもは暖かいぼくの手ですら、外気に触れたとたんみるみる冷たくなっていく。

風が冷たいのである。



風が強いので、ピントがなかなか合わないのだ。
このピンボケで風が感じられるだろうか。



剪定(せんてい)されたバラの枝から芽吹いている。
柔らかな新葉が色鮮やかである。



梅の花である。
生き物たちは季節の進行に敏感なのである。

わが家のデンドロも咲き出した。



白い花である。
このデンドロ、外に出しっぱなしであるのに・・・咲いてくれるのである。
ありがたい。



メジロが数羽、梅の枝で遊んでいた。
ヒヨドリも一緒に遊んでいたのである。

確実に進行している、季節というキーワードに微笑んでしまった。




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                 荒野人

「花かんざし」という花

2010年02月06日 | 日記
花簪(はなかんざし)という花が今鉢で満開である。
かんざし・・・優雅な響きであるし、なんとなく艶(なま)めかしい。

かんざしは、それを作る職人よりも、そのかんざしを挿す妖艶な女性がまず連想されるのである。






          花 簪(はなかんざし)


     まるで空に浮遊する
     ほころんだ花
     緑の絨毯(じゅうたん)にぽっかりと
     浮いている
     遊弋(ゆうよく)するぼくの精神であるかのように
     心象の景色が芳(かんば)しく匂い立つとき
     きみのうなじに滲(にじ)む体内からの
     分泌液は
     ぼくの鼻腔(びこう)を撃ち抜く

     花簪の白くたおやかな花びらに
     ぼくは憧れてしまった
     ぼくは虜(とりこ)となり
     きみのしもべとなって
     何億光年の旅へと出かけるのだ

     刻印されたきみの
     あたたかな印象が
     鋭く刺さってきたとき
     ぼくは蘇生する
     ぼくのあらゆる能力が豁然(かつぜん)として
     蘇る

     舟という
     きみのしとねの中で






花簪は蕾(つぼみ)も、和食をイメージさせてくれるのである。
食べたら美味しそうである。

茶金絞りのような、吸い物の中にチョコンと入っているツミレのような・・・丸い可愛い玉である。



見ようによっては「和菓子」のようにも見える。
パクッと一口で食べてしまいたくなる楚々とした印象である。



だんだん花が少なくなってくるけれど、この花は次々と咲いてくれる。
長く楽しめる花である。





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