エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

中国ニーハオ便所はいま・・・

2010年02月18日 | 旅行
かつて中国の最も恥部であった「厠所(チョースォ)」。
便所であるけれど、今はどうなっているのか?
といった質問が未だに囁(ささや)かれている。

中国の名誉のために、いまや少なくとも都市部ではニーハオ便所はなくなりつつある!と知らせたいのである。



公衆電話の左横の白壁が公衆便所である。
中に入ると・・・。



こうなっている。
足元滑るので注意せよ!と書かれている。

便器はこんな感じで清潔感が漂っているのである。



良く清掃されている。
もっともここは観光地であるからなのだけれど、それにしてもぼくが中国を最初に訪問したときに比べると隔世の感があるのだ。

確かに、7~8年前までは「ニーハオ便所」が殆どであった。
「雲古」をするとき、隣同士で挨拶が出来るから「ニーハオ便所」なのである。
仕切りは無いし、無論のこと個室になっていないのである。
仕切りがもし有ったとしても、精々腰の高さまでだったものだ。

例えば、中国の中央官庁のビルで便所に行った事がある。
ぼくは、小水であった。
用を足して、振り向いたトタン腰を抜かすほど驚いたのである。
ドアーを開けっ放しで「雲古」をする職員が、ぼくを見てニコニコしていたのである。

言ってみれば、ドアーは必要なかった時代であったし、ドアーを閉めて「雲古」をする習慣も無かったのである。

さて、ニーハオ便所である。
顔を見合わせながら「雲古」をするのは、あまり気分の良いものではない。

極端の場合は、一本の水路が刻まれていて、そこを跨(また)いで「雲古」をする便所もあった。
すると、お隣ではなく前後で人々が「雲古」をしているのである。
自分のお尻が無防備になったままなのである。

刻まれた水路には、時々水が流れる。
「雲古」を流すのである。



今は、手洗いも清潔感溢れるスペースになっている。
人が清潔感を感じるのは「無駄なスペース」の充実が大切であると自覚したのである。
その結果が、こうした公衆便所の充実なのである。

もちろん、オリンピック開催で国際的感性が磨かれた結果でもあろう。

外国人がニーハオ便所を経験出来ないに違いないのであるけれど、田舎に行けばきっと存在しているであろう。
かつての、こうした施設が懐かしく思い起こされるのである。

少なくても、楽しい中国がそこにあった。
大分臭かったけれど・・・。

今日は少しばかり「お下劣」な話で恐縮であった。
ご飯が不味くなったらお許しいただきたいものである。



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