エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

マンドリンの調べ

2011年12月17日 | 日記
清々しくも清冽なマンドリンの音色に浸ったのである。
楽団は「群馬マンドリン楽団」である。
会場は「浜離宮朝日ホール・小ホール」である。

友人のA氏に誘われたのである。
アマチュア楽団とは思えない、高いレベルの楽曲が楽しめたのであった。



この会場は小じんまりとしているけれど、音響は宜しいのである。
後ろの幕は、映画上映のためのものである。

プログラムはマンドリン演奏会と試写会の二部立てとなっている。
この時期である。
「東日本大震災チャリティーコンサート」である。
この楽団はチャリティーとか、奉仕のためのコンサートが多いのだと友人のA氏は言うのである。



指揮者は、両角文則氏、萩原朔太郎の孫弟子である。



プログラムの最初は「平城山(ならやま)を主題とする幻想曲」である。
第一マンドリンと第二マンドリンが平城山のテーマの変奏部から入っていく。
するとたちまち、マンドラの重厚な音域が平城山のテーマ部を奏でる。
憎い編曲であり、聞くものをマンドリンの世界へと誘う・・・と言った按配である。



ギターもチェロもコントタバスも素晴らしい音域を響かせるのであった。
この夜は全部で9曲のプログラムである。



その中には朗読も入っている。
マンドリンの調べと朗読はしみじみと心に沁みる。

朗読は、萩原朔太郎の詩である。
詩集「純情小曲集」からの詩であった。



また、前橋はかの幕臣「小栗上野介」の高崎のお隣でもある。
小栗を偲んで作曲された「小栗上野介讃歌」も披露された。



やはり語りが入っている。
マンドリンは人の声と響き合う楽器であると察知されるのである。

マンドリンの直接の起源はリュートから派生した楽器「マンドーラ」といわれている(マンドリンとは「小さなマンドーラ」の意味)。
初期のマンドリンは6コースのガット弦を持ついわゆるバロックマンドリン(マンドリーノ)で、ヴィヴァルディが書いたマンドリン協奏曲はこの型のためのものであった。



日本では、1894年四竈訥治がイギリス人から贈られたマンドリン演奏した記録が残っている。
1901年には比留間賢八が留学先のイタリアからマンドリンを持って帰国し、指導者となる。
比留間の門人には萩原朔太郎(詩人)や藤田嗣治(洋画家)や里見(小説家)らがいる。

この楽団はそうした流れの中で育ってきたのだろうと推測するのである。



マンドリンオーケストラとはマンドリン属を中心に編成されたオーケストラである。
日本ではマンドリンと同じ撥弦楽器であるクラシックギターと擦弦楽器のコントラバス(ただしピッツィカートの使用も多い)を加えて編成されることが多いと言われる。

ピッツィカートとは、弦を爪弾いて音を出すテクニックである。



この楽団のホーム・ページには、こんな文章が載っている。

「私たち前橋マンドリン楽団はアマチュアの楽団であり、それぞれが仕事を持ちながら音楽を楽しんでいます。
結成してから40数年の時が流れました。
この年月は楽団員が熟成した音楽を生み出すのに十分な時であったろうかと自問自答しながら、それでも私たち前橋マンドリン楽団は芳醇な音楽を奏でること目標に練習に励んでいます。
テクニカルな問題をいつも抱えながらではありますが、精いっぱい演奏することを自ら楽しみ、その音に酔い、音楽とともにあることの喜びを聴衆の方々とともに味わいたいと願っています。(ママ)」
と。

楽団は、この11月に第47回定期演奏会を開いた。
多くの曲目を演奏して「入場無料」である。

指揮者の両角氏が県内を問わず駆けまわってスポンサーを探している努力の結晶なのである。

演奏者に苦労させない。
演奏者には演奏にだけ集中させる。
素晴らしい指導者である。

さて、もう一つのプログラムに少しだけ触れておこう。
ドキュメンタリー映画「ヒューマニティの伝統」の上映である。
サブタイトルとして「萩原朔太郎と群馬マンドリン楽団」とある。

要するに、この楽団の指揮者「両角氏」の姿を通して萩原朔太郎を語り、マンドリンで繋がれた人々の群像ドキュメンタリーなのである。
この映画は「ヒューストン国際映画祭」で金賞を受賞したのである。

確かに指導者像を的確に描き出し、マンドリンという楽器を通したヒューマニティの美しさ、そのヒューマニティの魅力を引き出した作品である。

楽団の団員像、マンドリンの魅力、指導者の姿、萩原朔太郎、前橋という地域・・・etc,etcである。
充分に楽しめる一夜であった。



萩原朔太郎である。
指揮者の両角氏は「朔太郎に背中を押されている。」
と何度も何度も繰り返している。

友人A氏は完全に、マンドリンの姿の良さに嵌っているようである。
A氏に捧げよう。


    マンドリン爪弾く指や水仙花        野 人
    琴線は激しく振れり冬の楽         野 人


下手な俳句である。
マンドリンは弦を爪弾かない。
ピックで弾く事の方が多いのだけれど、プラチナのような美しい指で爪弾かれる弦は果報者なのかもしれない。
出来れば鼈甲のピックで弾かれたと弦は言っている。

マンドリンのトレモロは、物悲しくて人の純情を導き出すかのようでもある。




にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へにほんブログ村
 荒野人