エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

奄美便り4「愛加那無情」

2014年07月21日 | ポエム
奄美には哀しい物語がある。
その中でも「愛加那」の物語は,幕末維新の時代の波に翻弄された女性の無情である。



西郷隆盛の島妻となった「龍 愛子」その人である。
物語の始まりは、江戸時代の末期「安政」に溯る。

井伊直弼による「安政の大獄」で薩摩藩は、西郷の捕縛命令が出される。
西郷は、京から僧・月照とともに薩摩に帰ってくる。
困惑する薩摩藩・・・。
二人は入水自殺を図るが、西郷は生き延びる。

その西郷を、薩摩藩は奄美大島に匿まう事となる。
奄美の北部、現在の龍郷町である。



ぼくが、この北部の西郷が住んだ家を尋ねた時・・・海はマリンブルーに輝いていた。



元ちとせ ワタ?ツミの木 '2002 LIVE




西郷と愛子は、薩摩返の島妻制度によって結婚したのであった。



その家は、今でこそ屋根の葺き替えや立付けの修理が施されているけれど往事のままにひっそりと立ち尽くしている。
柱だけは、当時のままであると云う。







「ささやかな幸せと云う夏木立」







実にささやかな家である。
西郷は、ここで一男一女をもうけた。

結婚当時、西郷は33歳、愛子は23歳であった。
ここで暮らした夫婦としての時間は大凡3年である。

歴史が西郷を必要として、1864年に久光公に賜った配流地「沖永良部島」から薩摩に呼び戻される。
この時薩摩藩の制度によって、愛加那と二人の子どもは引き離される。
西郷本家に引き取られるのである。



愛加那は、この後再婚する事無く明治33年66歳で死去したのであった。
愛加那は、この家に住み続けた。



愛加は奄美でも評判の美人であったと伝わっている。
本名は愛子、通称「愛加那」。
加那とは、島で「女性に対する尊称」として使われるのである。

加那は、ひたすら西郷と二人の子どもとの再会を願っていたと言う。
だがしかし、会う事は無かった。

愛子非情の物語である。

昨今、セクハラがしきりに喧伝される。
けれども、これほど女性の尊厳を傷つける制度も無かろう。
封建制度の愚かしさである。

「島妻」と言えば聞こえは良いが、なんのことはない「現地妻」ではないか!
時代を切り開いた西郷でさえ、こうである。
時代の恐ろしさであろう。



     荒 野人