エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

海浜の人魚たちへ

2011年12月26日 | 旅行
グアムの海岸には美しい人魚が群れる。
美しいというのは、若くかつ麗しいといった意味ではない。

年齢に限らず応分に年老いた状態をいうのであって、体形も様々であって良い。
太っていようが、痩せていようが・・・あるいはまた齢を重ねていようが関係ない。

そう、その人の哲学が匂い立っていることこそ重要なのである。



浜で、一人砂に向かって何かを書いている女性も居たって良いではないか。



少しだけ太り気味の体を軽やかに運ぶ女性だっている。



その人その人の特性こそが美しいのである。



そうした美学を持つことが、年齢であるのかもしれない。



あるいはまた、グアムの豊かな色彩の中で育まれていくのだろうか。



さらにまた、この島にはブーゲンビリアやハイビスカスが咲き乱れる。



それもまた水に浮かべると人魚でもあるかのように・・・光彩を放つ。



その感性が好きだ。



ブーゲンビリアともブーゲンビレアともいう。



ハイビスカスは鮮やかである。
蕊の長さこそが真骨頂である。



朝、浜をジョギングする人は多い。



夕方、ジョギングする人も多いのである。
見渡せばそこら中に人魚が居る島である。





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 荒野人

デジブック 『グアム旅情』

2011年12月25日 | ポエム
常夏の国では、夏の季語で良い。
四季が無くても俳句は詠めるのである。

と・・・ぼくが所属する俳句結社の主宰・由利先生が仰るのである。



美しくも晴れやかな海の色に感動するのである。
夏はただ熱いだけではないのだと痛感する。





デジブック 『グアム旅情』






だがしかし、帰国後はしばらく冬の季語が馴染んでこないのである。
人の感性は微妙なバランスで出来上がっていると知れるのである。



肌感覚もそうだし、聴覚、触覚、更に味覚もそうだ。
風を感じたり、大気の流れを感じたりする優しさが人格を形成するのだと思うのである。



グアムで、毎日毎日海を眺めスコールの足音を聞いたりして過ごしたのであった。
俳句を創り、チャモロ料理を頂いた。

日本の寒波は、厳しい。
成田空港で外に出た途端、出来上がった俳句・・・。



    凍る風胸を貫く痛さかな       野 人



となってしまった。
歳が積まれるということは、こうした感慨に耽ることなのだと知れる。





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 荒野人

グアムのチャモロ遺跡~1

2011年12月24日 | 遺跡
グアムの文化はチャモロ文化である。



グアムの先住民は、チャモロ人と呼ばれる人々である。
歴史は謎に包まれているけれど、紀元前2000年~3000年にフィリピン、インドネシアを経由して渡来した東南アジア系の人種と考えられている。

その起源については、考古学、人類学、歴史学のいずれも、いまだ納得のいく解答を得られずにいる。
ただし、紀元前1500年頃に遡る考古学的資料からは、古代チャモロ人は東南アジアの諸島から移住してきたインドマラヤ系民族であると推測され、チャモロ語と言語上の類似点がインドネシアやマレーシアの方言の中にみられるのである。

「チャモロ」とは、"高貴"を意味する言葉で、グアムの先住民「チャモロ人」、伝統料理「チャモロ料理」、マリアナ諸島の土の言語「チャモロ語」など、歴史と文化を伝えるさまざまなものに使われている。



チャモロ遺跡のハイライトは何と言っても、ラッテストーンである。
宗教的な意味合いを持つとも、高床式建物の土台とも言われているけれど、その実体についてはまだ解明されていないのである。

ぼくは二か所の遺跡を訪ねる機会に恵まれた。



今日はリバー・クルーズで訪ねた遺跡を紹介しよう。

船着き場に着くまで、休憩が一回ある。
グアムの中心部からは1時間近く車に乗るのである。



そのトイレ休憩の店には、何故か横井正一さんのコーナーがあった。
この近くにも潜んでいたのだろうか?

とにかく、英雄扱いである。



トイレはこんな風である。
PEE PEE HERE
と書いてある。

氷が大量に積んである。
清潔感の演出には大成功である。



船着き場は河口の傍である。
橋の向こうは、もう海である。



ここを遡るのである。
途中にチャモロの遺跡がある。



狭くなっていくけれど、舟は進む。



椰子の木が川に覆いかぶってくる。
途中、舟は停まって川辺を見せてくれる。



椰子蟹である。
ココナッツ・クラブだ。



チャボである。



陸に上がって遺跡を歩く。



これらはラッテ・ストーンである。



保全状態は良い。
この「ラッテ・ストーン」宗教的な意味合いを持つとも、高床式建物の土台とも言われているけれど、その実体についてはまだ解明されていないのである。



ジャングルの中でも、ここは川沿いにある遺跡である。



川沿いから山側へと遺跡が残されている。



中には、臼の割れたものが残されている。
タイだとか、そうそうお隣の韓国で今でも良く使われる臼である。
タイでは、サラダ作りで使われる台所の必需品である。

日本だって、胡麻を擂ったり、トロイモを擂ったり、良く使われるのである。

その意味では共通した食文化があったと想像できるのである。



臼の用途に岩壁を使っているケースもあったらしく遺跡として残されている。
この穿たれた穴がそうである。



ここではラッテ・ストーンを土台として建てられた家よりも、岩穴が住まいであったらしい。

こうした穴場がグアム島内には数多くあるのである。
島の遺跡は面白い。
病みつきになりそうである。




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 荒野人

花咲く島

2011年12月23日 | 旅行
この島は花が咲き乱れている。
碧い空と碧い海。
それにマッチした建物。



名も知らぬ
遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ



そんな歌が口をついて出るのである。



この島の中心街の一角である。
この街をぶらぶらして、バスに乗って出かけるのだけれど、基本的にはこの街にいるだけで楽しめる。



街のメイン通りから海に出られる。
海はリーフで波が緩和され、穏やかなさざ波となって浜に寄せ来る。
真中の白い波がしらが立っている場所にリーフがある。

リーフ・・・珊瑚礁である。



ブーゲンビリアである。
花は、蕊のように見える部分であって、ひらひらした花弁に見えるのは額である。



ハイビスカスである。
日本語では「仏桑花(ぶっそうげ)」である。

この花は太陽の光で、一際鮮やかさが増すのである。



この雲の峰を越えてきたのであった。
雲の峰・・・入道雲の別称である。




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 荒野人

まだ南の島にいる

2011年12月22日 | 旅行
この島は夏である。



スコールが来たかと思うと、カンカン照りの太陽に晒される。
蒸し暑い。
だがしかし、木陰で風を受けると涼しい。



海はあくまでも澄んでいる。
そして太陽の光で、より鮮やかさを増す。



はるばると雲の峰を越えてこの島に来たのである。
雲の上は、一つの世界である。



この雲の海は、清純に見える。
いや清純である。



見下ろせば、南の島々が点在する。
ミクロネシアの南洋なのである。



翼よ、これが目的の島だ!
まだ南の島にいる。





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 荒野人