エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

やまぶき

2014年04月15日 | ポエム
山吹は春の季語である。
関東では、今頃満開である。



もっとも、東京などでは茂みにほぼ一年中咲いている印象がある。
したたかな花である。



一重、八重とあるけれど、一重咲きに勝る美形はない。
とりわけ、一輪づつ咲いてゆく黄色の小花は愛おしい。
一枝に多くの蕾を付け、一輪づつ咲いてゆく。

何とも云えない、風情を醸し出すのである。






「ふくらめる植込みのはば白山吹」







最近では、白いヤマブキも庭などに植栽されている。
けれど、この白ヤマブキは、黄色の山吹とは違う種である。



山吹は、去年も描いたけれど時代劇の小判色を連想させる。
悪代官や、悪徳商人のシンボルとなっている。



山吹は、きっと迷惑であるだろう。



       荒 野人

花海棠

2014年04月14日 | ポエム
花海棠が、枝から零れ落ちそうである。
淡く、生き生きとした花。



蕾は、濃いピンク。
花開くと、淡い限りなく白に近いピンク。
だから、枝が華やかである。









花海棠は、今の花。
街の其処此処に咲き零れている。

きっと、八ヶ岳の麓でも咲き初めているだろう。
桜は、今頃吹雪いているだろう。



もう少し、暖かくなってきたら「信玄の棒道」を歩きにいこうと思っている。
石の仏と、柔らかな風。
風が光るのだ。







「蒼空の絵物語の花海棠」







誰も、花を愛でていて厭になる人はいない。
花の説得力である。



自然体でありたい。
そう思わせる季節。

それが春である。



       荒 野人

紫花菜

2014年04月13日 | ポエム
花大根とも云う。
らしい・・・。

ぼくは、紫花菜で覚えた。



皇居は、千鳥ヶ淵の桜の木の下で咲く紫花菜は見事である。
公園の一画で木の柵で片方を囲われているのである。

この雰囲気も宜しい。







「みっしり咲く紫花菜匂いなく」







紫花菜の花言葉は・・・。
「知恵の泉」「優秀」「熱狂」
である。

いま・・・。
昭和記念公園のチューリップが見頃である。



早速、愛でに行った。
その横の、紫花菜の群生がまた見事なのである。



去年よりもさらにパワーアップしている。
見応え十分である。



もう暫くは楽しめる。
出かけるなら、今日の日曜日か、来週前半。

ただし、チューリップは来週末でも楽しめそうである。




        荒 野人

花豆王

2014年04月12日 | ポエム
ピンクの花である。
枝にびっしりと花を着ける。

葉は付かない。
花が終ってから、ゆっくりと緑の葉を生やすのである。

その意味では、ソメイヨシノと同様である。



花が終わり、葉を生やし、やがて実を付ける。
実の終わりは、豆殻が枝にぶら下がる。

豆の王・・・といった古人はよく見ている。
流石である。



花言葉は・・・。
「裏切り」「疑惑」「不信」「喜び」「質素」「エゴイズム」「目覚め」
である。



ふむふむ。
納得する。

確かに妖しげに咲いている。
二律背反の花なのだ。

漢字表記では「花蘇芳」である。
中国渡来の花だ。







「花豆王いつも満開触手上ぐ」







春の柔らかな光に包まれて、花豆王が咲く。
麗かな春である。



       荒 野人

花梨の花

2014年04月11日 | ポエム
淡淡とピンクの花が咲いている。
花梨の花である。



この花に良く似合うのは、この曲だ。









春に、一度は聴く。
心のスイッチが入るのだ。

花梨の花もまた、そうしたスイッチに触れるきっかけを与えてくれる。







「花梨の花懐紙に挟む風ひとつ」







春の花の中でも、花梨の花は淡淡としていながら深く鮮明に沁み入ってくる。
その、バランス感覚は艶かしくも鮮やかなのだ。



花梨の花の色は、臈たけた女性の佇まいである。
花は、枝葉に隠れるように咲いている。



秘するが花・・・。
本阿弥のいう「上花」とはこれである。

幽玄にして妖しいのである。



      荒 野人