蓮池の周りは、善男善女の天国である。
同時に、どうしても宗教的なオマージュを抱きやすいのだ。
芥川の「蜘蛛の糸」の印象が脳裏にくっきりと描かれていて上書きが困難なのである。
蓮池の周りを歩きながら、自分が釈迦になった気分になって「善行を施さないと・・・」などと迂闊にも思い込んでしまう。
それが、愚かなヒトの常ではある。
「古代蓮無量寿印行住座臥」
無量寿印・・・菩薩や観音が結ぶ印の形である∞の形の印である。
ひらがなを使わない句は、はじめてだ。
なんだか、しっくりとしない。
その感覚があれば、まだ感性は鈍っていないな!
と知れる。
やはり、朝のうちは蓮池の花たちは鮮やかである。
これは、花弁を散らした「花托」である。
いわゆる「はちす」というものである。
生花に使用されることもある。
なんとも、不思議な空間を演出する。
そういえば、NHKの朝ドラの「蓮子」は白蓮のことだとついこの間知った。
仲間由紀恵が上手く演じている。
いつの時代にも、奔放で時代のからを破る女性はいる。
閉塞の時代に入ろうとする今こそ、平成の百連が出てほしいものである。
白い蓮の花からは、百連の嗚咽がもれてくるようではないか。
そうした、嫋やかな女性にぼくは狂おしく恋してしまう。
女性は、やはり魔性であるのかもしれない。
その魔性の女性は、いつだって身近にいる。
だから男は生きていけるのである。
荒 野人
同時に、どうしても宗教的なオマージュを抱きやすいのだ。
芥川の「蜘蛛の糸」の印象が脳裏にくっきりと描かれていて上書きが困難なのである。
蓮池の周りを歩きながら、自分が釈迦になった気分になって「善行を施さないと・・・」などと迂闊にも思い込んでしまう。
それが、愚かなヒトの常ではある。
「古代蓮無量寿印行住座臥」
無量寿印・・・菩薩や観音が結ぶ印の形である∞の形の印である。
ひらがなを使わない句は、はじめてだ。
なんだか、しっくりとしない。
その感覚があれば、まだ感性は鈍っていないな!
と知れる。
やはり、朝のうちは蓮池の花たちは鮮やかである。
これは、花弁を散らした「花托」である。
いわゆる「はちす」というものである。
生花に使用されることもある。
なんとも、不思議な空間を演出する。
そういえば、NHKの朝ドラの「蓮子」は白蓮のことだとついこの間知った。
仲間由紀恵が上手く演じている。
いつの時代にも、奔放で時代のからを破る女性はいる。
閉塞の時代に入ろうとする今こそ、平成の百連が出てほしいものである。
白い蓮の花からは、百連の嗚咽がもれてくるようではないか。
そうした、嫋やかな女性にぼくは狂おしく恋してしまう。
女性は、やはり魔性であるのかもしれない。
その魔性の女性は、いつだって身近にいる。
だから男は生きていけるのである。
荒 野人