エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

菜の花や

2016年02月24日 | ポエム
菜の花畑は、花の時期がばらばらである。
だから、うねりを伴って畑があるのだ。



立地にもよるけれど、海に向かって畑が展開するのは気持ちが良い。
斜面を歩く楽しさもあるのだ。



葛西臨海公園である。
春潮を感じた場所だ。



「菜の花の沖」という小説がある。
江戸時代の廻船商人である、高田屋嘉兵衛を主人公とした歴史小説。
司馬遼太郎だ。



この花の先にある、海。
そのオマージュは美しくも儚さを感じさせる。







「菜の花の畑の波の海に落つ」







畑に向かって、鴨が移動していた。
その移動の様は、可愛らしい命の輝きであった。



菜の花は、今年も「お浸し」でいただいた。
ほろ苦さが、早春を運んでくれるのだ。



     荒 野人

蕗味噌

2016年02月23日 | ポエム
蕗の薹を頂いた。
このブログをご覧になって、お気の毒ね!
家の庭の蕗の薹を持って来て頂いたのであった。



これだけあれば、我が家では「蕗味噌」とするのが定番である。
しかも、蕗の若葉も頂いた。

普通は天麩羅なのだろうけれど、細かく刻んで蕗味噌に混入させた。
まことに美味い、のである。







「蕗味噌や雑穀米に良く似合う」







我が家では雑穀米。
惜しみつつ、少量を載せる。
「はふっ!」と頂く。

春の香りである。



     荒 野人

竹の秋

2016年02月22日 | ポエム
季節は竹の秋である。
竹林は高潔であって、知性の象徴に思えるのである。

ぼくがそう感じているだけなのだけれど・・・。



この竹林は、所沢の城山址公園である。
奥深くなかなか素敵な竹林である。
城跡の、本丸を囲んで鬱蒼としている。

けれど「マムシに注意」の看板が居たる場所に立っている。
暖かさが増して来たら、迂闊に歩けない・・・。

とりわけ「啓蟄」前後からはそうであろうと思う。







「本丸の石垣囲む竹の秋」






この城址は、土塁がそのまま残っている。
往事の侍の歩いた径もある。
ぼくの好きな遺跡の一つ、となりそうである。

竹林を歩めば、人は懐手をしたくなるものだ。
賢人になりたい、そう思うのだ。



竹林をそぞろ歩く。
その楽しみは、誰にも分からない。
竹林とは、そういったものである。



     荒 野人

春潮

2016年02月21日 | ポエム
ある一日、春潮を感じたくて葛西臨海公園に出かけたのであった。
穏やかな午前である。



昼からは、風邪が出て来て寒さが募った。
けれど、海はたおやかにたゆとうている。



菜の花畑が、海に向かって落ち込んでいる。
葛西臨海公園は、いま春の兆しに満ち溢れているのである。



菜の花畑のうねりは、見事であった。







「心音の微かに聞こゆ春の潮」







春の潮は、確かにこの海に息づいている。



キラキラした海にぼくは、心音を聞いたのであった。
この句は、句会で先生から天賞をいただいた。

また、句友からも天をいただいた。
春潮は、ぼくの俳句にエポックを与えたかもしれない。


犬ふぐり

2016年02月20日 | ポエム
なんという名前であろうか。
あろうことか「ふぐり」とは・・・。

ここ数日は、比較的穏やかな陽射しに恵まれている。
春の兆しに、酔い痴れてしまうのである。



杣道であったり、あるいは林の中の獣道のような気配のする径。
陽射しの径であったり、あるいは風の通り径であったりする。



そんな麗かな日が続いている。
けれども、今日は午後から雨。
夕刻からは大雨だという。

せっかく用意した写真だから「犬ふぐり」を詠おう。







「犬ふぐり天使の踏んだ足の跡」







可愛らしくも愛おしい花である。
その小ささが、なんとも良いのである。



誰が付けたのか「犬フグリ」。
オマージュを変えなければならないであろう。



      荒 野人