他所の食卓
"魚っ食いの食卓”は、我家の食卓だが、
はて、他家ではどんな食事をしているのだろうかと思うことがある。
呼ばれてご馳走になることはあるが、普段はどんな食事をされているのだろうか?
”他所の食卓”のことは全く分からないとは、なんと不思議なことか。
人となりは知っていても、他所の家庭事情なんて知らないことだらけだ。
だから、”我家の食卓”なんては、知らせるべきものではないかも知れない。
年齢・家族構成・地域性・趣味嗜好によって異なるのは当然だが、知ってみたい気もする。
日常の買い物の多くは、地域の同じスーパーで買っているのだろうから、
同じ野菜、同じ魚・肉を使っても、食べ方は随分違うのだろうと想像してみる。
食料自給率との関係
先日、食料自給率が1%下がって39%になったと報道があった。
目標は50%だという。
そのたびに、農・畜産業、水産業の産業構造や、生産コストの問題点が指摘されるが、
自給率の本質を捉えていない気がしてならない。
本質は、国民が何をどのように食べているかであって、
その結果が、どういう食品・食材を求めているかに表れる。
魚から肉へ
端的にいえば、米食からパン食に、魚から肉へ、和食から洋食へと、変化してきたことが、
自給率低下をもたらしてきたわけだから、
自給率の向上は、その逆の道をたどれらねば、回復・向上するわけがない。
魚から肉へ
ふたたび、パンから米飯に、肉から魚へと転換してゆけば自ずと自給率は向上するはずだ。
世界は魚へ
ところで、世界では魚食への関心を高めているとき、
わが国は、魚離れが止まらない。
魚は、天然資源であり、今や唯一の自然食品。
わが国は、世界の三大漁場に恵まれ、魚は自給率100%の食料。
肉は、飼料を輸入に頼らざるを得ないため、国産牛といえども、実は自給率は0%。
従って、肉から魚へとシフトしなければ、自給率は下がり続けることとなる。
食卓のありようが自給率
自給率とは、国産品を食べることではなく、
食べるということの本来が、その地域に由来し、依存すべきことなのです。
それは、いま日本人が忘れている大問題なのです。
そのことに気付かない限り、自給率の向上はなく、地域でとれるものを食べるということが、
日本人としての食のアイデンティティを取り戻すことになるのです。
このアイデンティティを取り戻すことは、世界からの孤立化ではなく、
同時に他国を尊重することにつながり、日本が真に国際化することになると考えます。
世界中の食料を買って食べている国・国民って、ちょっと変に思いませんか?