恩納節は、カジャディフウ節と並んで、「御前風五節」のひとつであることは、言うまでもありませんが、その歌詞が少し不思議です。
つまり「御前風五節」とは「首里城の城主」である琉球国王の「御前」で演奏されるもの。しかしその歌詞の内容は、(少しアレンジしてありますが)
「いつも皆が集まって夜パーティーする恩納村役場前の松の木の下に、何やら私には字が読めないけど禁止令らしき札が立てられた。まさか恋愛まで禁止しているわけではないでしょうね。」というもの。
こんな歌詞で国王陛下の前で演奏されていたのでしょうか。
こんれが本当だとしたら、ずいぶん「くだけた」国王陛下だったのですね。
(追加:大昔の当時は士族と呼ばれるような上流階級の男性しか読み書きは習ってなかったでしょう。それは日本本土も琉球も似たような状況だったと思われます。歌詞の後半は「恋しのぶまでの禁止や無いさめ」となっているので、女性の立場で歌を詠んでいるようで、このような解釈としました。女性の立場で男性がものを書くというのは昔よくあったようで、「男もすなる日記というものを女もすなる」という平安時代の紀貫之『土佐日記』などは、まさにそのいい例ですね。琉球古典音楽に出てくる歌詞も女性の立場で書いてあるのが多いですが、全て男性作でしょう。琉球古典音楽のような宮廷音楽は当時の役所の仕事だったわけで、昔は琉球舞踊も男性のみだったようです。)
つまり「御前風五節」とは「首里城の城主」である琉球国王の「御前」で演奏されるもの。しかしその歌詞の内容は、(少しアレンジしてありますが)
「いつも皆が集まって夜パーティーする恩納村役場前の松の木の下に、何やら私には字が読めないけど禁止令らしき札が立てられた。まさか恋愛まで禁止しているわけではないでしょうね。」というもの。
こんな歌詞で国王陛下の前で演奏されていたのでしょうか。
こんれが本当だとしたら、ずいぶん「くだけた」国王陛下だったのですね。
(追加:大昔の当時は士族と呼ばれるような上流階級の男性しか読み書きは習ってなかったでしょう。それは日本本土も琉球も似たような状況だったと思われます。歌詞の後半は「恋しのぶまでの禁止や無いさめ」となっているので、女性の立場で歌を詠んでいるようで、このような解釈としました。女性の立場で男性がものを書くというのは昔よくあったようで、「男もすなる日記というものを女もすなる」という平安時代の紀貫之『土佐日記』などは、まさにそのいい例ですね。琉球古典音楽に出てくる歌詞も女性の立場で書いてあるのが多いですが、全て男性作でしょう。琉球古典音楽のような宮廷音楽は当時の役所の仕事だったわけで、昔は琉球舞踊も男性のみだったようです。)