日々是気の向くままに

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嘉謝伝風節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 138)

2019年03月16日 | 日記
「嘉謝伝風節」「安多嘉報の附す夢やちやうん見ぬ嘉謝手報のつくへ混と附? 」(琉球大学附属図書館所蔵)
これをわかりやすくすると
「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混(べたと)と附さ」
工工四の記載では
「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」(歴史的仮名遣いですね)
その意味は
「このような思いがけない幸せがやってくるとは 夢にも思わなかった 鍛冶屋で物を造る手法のように (幸運が)わが身にペタッと付いた」ということらしいです。

さて、ここで問題になるのは、なぜ現代においては「ひらがな」で、しかも歴史的仮名遣いで表記するのか?
そして題名が「嘉謝伝風節」で、歌詞の中は「嘉謝手報」なのか?
これを見る限りは、どちらも「当て字」のように思えます。それで「ひらがな」したのか?
でも、「嘉謝伝風節」は、「喜びと感謝を伝える曲」という意味。
歌詞の中身の「嘉謝手報」は、「鍛冶屋」と「喜びと感謝」を掛けた言葉ではないでしょうか。