「嘉謝伝風節」「安多嘉報の附す夢やちやうん見ぬ嘉謝手報のつくへ混と附? 」(琉球大学附属図書館所蔵)
これをわかりやすくすると
「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混(べたと)と附さ」
工工四の記載では
「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」(歴史的仮名遣いですね)
その意味は
「このような思いがけない幸せがやってくるとは 夢にも思わなかった 鍛冶屋で物を造る手法のように (幸運が)わが身にペタッと付いた」ということらしいです。
さて、ここで問題になるのは、なぜ現代においては「ひらがな」で、しかも歴史的仮名遣いで表記するのか?
そして題名が「嘉謝伝風節」で、歌詞の中は「嘉謝手報」なのか?
これを見る限りは、どちらも「当て字」のように思えます。それで「ひらがな」したのか?
でも、「嘉謝伝風節」は、「喜びと感謝を伝える曲」という意味。
歌詞の中身の「嘉謝手報」は、「鍛冶屋」と「喜びと感謝」を掛けた言葉ではないでしょうか。
これをわかりやすくすると
「あた嘉報の附す 夢やちやうん見ぬ 嘉謝手報のつくへ 混(べたと)と附さ」
工工四の記載では
「あた果報のつきやす 夢やちやうも見だぬ かぎやで風のつくり べたとつきやさ」(歴史的仮名遣いですね)
その意味は
「このような思いがけない幸せがやってくるとは 夢にも思わなかった 鍛冶屋で物を造る手法のように (幸運が)わが身にペタッと付いた」ということらしいです。
さて、ここで問題になるのは、なぜ現代においては「ひらがな」で、しかも歴史的仮名遣いで表記するのか?
そして題名が「嘉謝伝風節」で、歌詞の中は「嘉謝手報」なのか?
これを見る限りは、どちらも「当て字」のように思えます。それで「ひらがな」したのか?
でも、「嘉謝伝風節」は、「喜びと感謝を伝える曲」という意味。
歌詞の中身の「嘉謝手報」は、「鍛冶屋」と「喜びと感謝」を掛けた言葉ではないでしょうか。