さて、「かぢやで風節」問題もいよいよ佳境を迎えました。
ここで、代表的な歌詞を見てみましょう。
「今日の誇らしゃや なおにじゃなたてぃる 蕾でおる花の 露着たごと」
というものですが、ウチナーグチによる読みはさておき、問題はこの歌詞の「解釈」です。
一般的には、「今日の嬉しさは 何に例えることができるでしょうか 蕾だった花に 露が付いて(ぱっと開花した)ときのようだ」
なのですが、しかし・・・。
前半は、このままで何の疑問もありません。
問題は後半です。露が付いて急に開花するでしょうか?露が付くのは早朝でしょう。まだ寒くて開花どころではありません。
歌詞も「花が開いた」とは一言も言ってませんが、でも開花したと解釈しなければ、嬉しさを伝えられません。
本当は何か別の解釈があるようです。(例えば蕾・花を女性に例えるとか)
琉球古典の歌詞には、結構こういうのが散見されます。
ここで、代表的な歌詞を見てみましょう。
「今日の誇らしゃや なおにじゃなたてぃる 蕾でおる花の 露着たごと」
というものですが、ウチナーグチによる読みはさておき、問題はこの歌詞の「解釈」です。
一般的には、「今日の嬉しさは 何に例えることができるでしょうか 蕾だった花に 露が付いて(ぱっと開花した)ときのようだ」
なのですが、しかし・・・。
前半は、このままで何の疑問もありません。
問題は後半です。露が付いて急に開花するでしょうか?露が付くのは早朝でしょう。まだ寒くて開花どころではありません。
歌詞も「花が開いた」とは一言も言ってませんが、でも開花したと解釈しなければ、嬉しさを伝えられません。
本当は何か別の解釈があるようです。(例えば蕾・花を女性に例えるとか)
琉球古典の歌詞には、結構こういうのが散見されます。