Starlight Terrace

オリジナル写真で綴る夜空と夜景がメインのブログ
【注目の天文現象】
2/9夜 火星と月が大接近

五島プラネタリウム リーフレット No.445(1994年7月)

2025-02-03 00:02:10 | タイムマシンにお願い

シリーズで紹介している五島プラネタリウムのリーフレットの第21弾は1994年7月配布のものです。

当月のメインの話題は「人類宇宙への第一歩 ー 月着陸25周年 ー」で、1969年夏に
アポロ11号の月着陸船「イーグル号」に乗り込んだ宇宙飛行士が、人類史上初めて
月面に降り立ったことを記念し、米国で発行された切手の画像が表紙に採用されて
ました。ちなみに、切手のデザインは実際に月面着陸が成功する前に描かれた想像
図だったようです。

2ページ目にその快挙についての説明があり、特に宇宙飛行士が持ち帰った月面の
岩石と分析結果に関する詳しい記述があります。なお、1970年の大阪万博において
その「月の石」が米国館で展示され、大きな注目を集めました。
同ページの後半は前月の話題の続きとして、シューメーカー・レビー第9彗星(SL9)
の木星衝突についての話に割かれてました。

3ページ目の「7月の星座」では、夏の大三角を構成する七夕の星2つに関する毎度
お馴染みの話と、さそり座の和名に関する説明に加えて、ちょっとマイナーですが
デッカイへびつかい座についての記述があり、ギリシャ神話において、死人を蘇生
させる術を持つ名医アスクレピオスが星座になっていると説明してます。すぐ隣の
へび座については少し触れているだけですが、アスクレピオスが蘇生術を知る元と
なったのが蛇ということで、それも星座になっているのでした。ちなみに、その蛇
が巻き付いた「アスクレピオスの杖」は特殊文字の1つとなっています。こんなの
です(↓)。
 
なお、この杖のシンボルマークは医療の象徴としてWHO(世界保健機関)のロゴや
旗の中央に描かれてます。


【アーカイブ】福島県南東部へ初遠征した日(1983/12/29) ー 固定撮影編 ー

2025-01-12 09:20:05 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第23弾です。

1983年末に福島県いわき市まで遠征して撮った天体写真の続きです。
標準レンズで星座を次々と撮影していった中で、この星座も狙ってました。


【おおいぬ座】
 キヤノンEF+FD50mmF1.4 S.S.C.(Ⅱ),サクラカラー400(ASA/ISO400),
 絞りF2.8,露出10分,固定撮影(追尾なし),福島県湯ノ岳付近にて

カメラを赤道儀に載せて電動追尾撮影したはずなのに星が点像にならず、日周運動
による光跡となって写ってます。構図を合わせる際に赤道儀を一時的に手動で操作
しようと微動ハンドルの付け根付近にあるクラッチリングを緩めたようなんですが
それを戻す際の締め付け方が弱い状態で撮影したらしく、結果的に電動追尾無しの
単なる固定撮影となったという失敗作なのでした。今のデジタル撮影機材と違って
銀塩写真の時代は現場で実写画像の確認ができないので、後日、現像とプリントが
上がってきた時に星が流れているのを見て、非常にガッカリしたのを憶えてます。
ちなみに中央から少し上で一番明るく写っている星は全天一の輝星であるシリウス
です。なお、この撮影の後には以前の記事で紹介したぎょしゃ座やふたご座を問題
無く撮っており、失敗は1ショットだけで済みました。

その後、夜明けまで残り2時間を切ったところで友人の希望により赤道儀を貸した
ため、カメラを通常三脚に載せ、この遠征におけるラストショットを撮りました。
その画像がこちら。


【沈むオリオン座】
 絞りF11,露出60分,固定撮影
 ※その他の撮影条件は上と同じ

これは意図的に日周運動による星の軌跡を狙ったものです。60分の露出時間は当時
の自己最長記録となりました。狙ったのが低空ということで光害の影響を気にして
F値を高く設定しましたが、絞り過ぎだったようで星の光跡が少ないです。これも
失敗作って感じかな・・・

いろいろとやらかしましたけど経験値が上がり、それなりの収穫もあって大満足の
一夜でした。


【アーカイブ】福島県南東部へ初遠征した日(1983/12/29) ー 星座撮影編 ー

2024-11-30 00:03:56 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第22弾です。

1983年の夏、八ヶ岳山麓へ遠征して綺麗な天体写真が撮れたので、
仲間内ではまたどこか空の暗い場所へ行こうぜ!という話になり、
年末に再び遠征する計画を立てました。行き先としては北関東から
東北南部方面を検討し、最終的に福島県いわき市にある「湯ノ岳」
付近を目指すことに決定。同市内にある某国民宿舎に連泊の予定で
予約を入れたのでした。なお、当時はまだ常磐自動車道が部分的に
しか開通しておらず、東京外環自動車道もできていない時代なので
ほとんど下道でアクセスすることになり、夏に行った長野・野辺山
近辺よりも遥かに所要時間がかかり、午前中に出て宿に着いたのは
夕方になった記憶があります。自分はまだクルマの免許を取得して
おらず、今回も運転を任せっきりとなった友人と、別途マイカーを
出してご同行いただいた中学時代の理科の先生も、さすがにお疲れ
モードだったのに加え、天気もよろしくない状況だったので、初日
の夜は目的地へ向かわず、ゆっくり休んで翌晩に備えたのでした。

で、翌日の日中は宿近辺を適当に観光して時間を潰した後、夕食を
頂いてから約30km先の目的地へ急行。天気はほぼ快晴で、淡い冬
の天の川が良く見えている中、最初に撮ったのはコレでした。


【オリオン座】
 キヤノンEF+FD50mmF1.4 S.S.C.(Ⅱ),サクラカラー400(ASA/ISO400),
 絞りF2.8,露出15分,タカハシ90S赤道儀にて自動ガイド,
 福島県湯ノ岳付近にて

標準レンズを使って横構図でオリオン座を撮ったのでした。憧れの
バーナードループ(中央やや左寄りに写っている半円形の赤い星雲)
や、いっかくじゅう座のバラ星雲(左上寄りに小さいながら赤くて
目立っている星雲)が確認できるレベルの写真となりました。後日
現像/プリントが上がってきた際に大興奮したのを憶えています。
サクラカラー400は赤い星雲が本当に良く写るフィルムだなーって
ことを再認識したものです。
まぁ、今見ると構図上で左寄りにある冬の天の川やオリオン座頭部
にあるエンゼルフィッシュ星雲などの描出は不十分だったりして、
やっぱり大したことないなぁーって思いますけどね。ちなみに写野
は次のとおりです。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

次に撮ったのはこの星座。


【ぎょしゃ座】
 ※撮影条件は上と同じ

天頂近くまで昇り詰めていて、構図を決めるのにちょっと苦労した
記憶があります。天の川の写りは良好でしたが、赤い星雲はあまり
目立っていない印象。メシエカタログに登録されている散開星団が
3つ(M37,36,38)小さく写ってます。写野は次のとおり。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

さらに、星占いに出てくるこの星座も撮りました。


【ふたご座】
 ※撮影条件は上と同じ

天の川は下の方に写ってますが、西に傾いた時間帯に撮ったせいか
写りはイマイチって感じ。この画像にもバラ星雲が左下端に写って
ました。右下方には散開星団M35も確認でき、その星団から左斜め
下方にモンキー星雲(まだ当時はあまり有名ではなかった)が薄赤色
に小さく写ってます。写野は次のとおり。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

やはり空の暗い場所で撮ると写りが違うなぁーと思ったのでした。

(つづく)


五島プラネタリウム リーフレット No.444(1994年6月)

2024-11-16 12:06:18 | タイムマシンにお願い

シリーズで紹介している五島プラネタリウムのリーフレットの第20弾は1994年6月配布のものです。
前回紹介したのが1980年8月配布分でしたので、十数年間もご無沙汰だったことになります。

表紙には絹さやみたいな格好の天体と木星のコラージュ写真が掲げられてますが、
この月の話題「木星と彗星の衝突」に関わる両天体のイメージなのでした。

2ページ目にその衝突現象について詳しい記述がありますが、20個ほどに分裂した彗星が
次々と木星に衝突するという超激レアな出来事が30年前に起こったのでした。
実際の衝突は7月に発生しましたが、このリーフレットはその前の月に配布されたので、
言わば予告として右側の表に各々の分裂核の衝突予想時刻が分単位で明記されてました。
地上からその現象や痕跡を観測するにはかなり大きな望遠鏡が必要だろうとの事前予想に反して
実際にはアマチュアでも口径10cm程度の望遠鏡を使って黒ずんだ衝突痕が観望/撮影可能でした。
ちなみにその現象についての追憶記事は、例えば下記リンク先にあったりします。

https://www.astroarts.co.jp/news/2014/07/17sl9/index-j.shtml
https://alpo-j.sakura.ne.jp/publications/TGS/2003-02.htm

なお、ちょうど梅雨時だったことと、アマチュアレベルの機材では到底見えないだろうという
ネガティブ情報を真に受けたことで、個人的にはスルーしてしまったのが悔やまれます。
現有機材ならそこそこ綺麗に撮影できそうな痕跡だったんで、また似たような衝突がこれから
起こってくれないかなぁーなんて思ってます。

3ページ目の「6月の星座」では半分近くがヘルクレス座(最近は「ヘラクレス座」と呼ぶ人も
多いですが、星座名としては「ヘルクレス座」が正しいです)についての記述でした。
神話上は諸々の厄介者を退治したことになっていて、さすがはペルセウスの子孫って感じ。
でも、系図を見るとペルセウスもヘルクレスも父親が同じゼウスなんですよねー・・・
異母兄弟みたいなことになっていて訳が分かりません。

4ページ目の右下にある広告が、いつの間にか「ミザール」から「ビクセン」に変わった模様。
業界シェアが十数年で変化したんでしょうね。諸行無常って感じがします。


【アーカイブ】八ヶ岳山麓へ初遠征した日(1983/08/13) ー 星景写真撮影編 ー

2024-09-25 15:05:03 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第21弾です。

野辺山高原への初遠征で得られた写真のシリーズもこれが最後です。
流星狙いで4コマ撮ったところで東の空が明るくなるとともに、冬の星座であるオリオン座
が昇ってきていたので、三脚固定のまま短時間露出で地上風景と一緒に狙ったのがコレです。


【昇るオリオン座】
 キヤノンEF+FD50mmF1.4 S.S.C.(Ⅱ),サクラカラー400(ASA/ISO400),絞りF1.4,露出30秒,
 固定撮影(三脚使用),長野県野辺山高原にて

地上の景色まで入れるため縦構図にしましたが、かなり窮屈な感じになってしまいました。
また、30秒露出では長過ぎたことに加え、絞り開放で撮ったせいもあり星像がちょっと歪に
なったのが残念な感じ。まぁ、遠征記念の1枚にはなったかも?
ちなみに友人は貸した赤道儀に広角レンズ付きのカメラを載せて、こんなのを撮ってました。


【朝焼けとオリオン】
 ニコンF+Ai NIKKOR 28mm F2.8,サクラカラー400(ASA/ISO400),絞りF5.6,露出3分,
 タカハシ90S赤道儀にて自動ガイド ※撮影地は上と同じ

絞りの値を大きめにした上にモーター駆動により星を追尾して撮影したため、星像が綺麗な
点像になっていて、画質が非常に良かった印象です。また、画角の広いワイドレンズの使用
で構図的に窮屈な感じがありません。地上風景はモーター駆動で流れてしまってますけど、
許容範囲って気もします。いわゆる「星景写真」という言葉など当時は無かったように思い
ますが、地上風景を取り入れた天体写真を撮るなら広角レンズは必須だなぁって感じました。

で、自分のカメラで最後に撮ったショットはコレでした。


【沈むはくちょう座・こと座】
 ※撮影条件は当記事の1枚目と同じ

はくちょう座とこと座が八ヶ岳に沈もうとしていたところを撮影したのでした。空が白んで
きて天の川はもう薄らとしか写りませんでしたが、星座の形は分かりやすくなりました。
これもイイ記念になった気がします。

ということで、全ショットの撮影に要した時間は2時間ちょっとでした。短かったけど濃密で
充実した時間を過ごすことができたのでした。


【アーカイブ】八ヶ岳山麓へ初遠征した日(1983/08/13) ー 流星撮影編 ー

2024-09-24 07:52:50 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第20弾です。

野辺山高原への初遠征で得られた写真の続きはまだあります。
遠征日はペルセウス座流星群の極大日でしたので、それなりに多くの流れ星が飛んでました。
で、赤道儀架台に載せて撮った画像に1つだけ流星が写り込んでいたのでした。


【カシオペヤ座を流れるペルセウス座群流星】
 キヤノンEF+FD50mmF1.4 S.S.C.(Ⅱ),サクラカラー400(ASA/ISO400),絞りF2.8,露出10分,
 タカハシ90S赤道儀にて自動ガイド,長野県野辺山高原にて

標準レンズにてカシオペヤ座の"W"の星の並びを中央にフレーミングした星座写真を撮って
みたら、その左上方向に小さな流星が写ってくれました。これが人生初撮影の流星写真です。
画像の左寄りに流星群の輻射点(放射点)があり、左下から右上に流れたものと思われます。
撮影中は空を眺めていたはずなんですが、よそ見をしていたのか眼視確認できませんでした。
輻射点から割と近い空域に出現したせいか経路が短いですが、よーく見ると緑色から赤色へ
変化しているのが分かります。
ちなみにこの時、赤道儀に並列搭載していた友人のカメラは、前記事で紹介したとおり望遠
レンズで北アメリカ星雲を狙っていて、記録メモでは撮影時刻も露出時間も全く同じでした。

これを撮った後、別な友人が赤道儀にカメラを載せたいと言うので、自分のカメラを下して
雲台スペースを譲りました。その後は別な通常三脚にカメラを載せて、固定撮影にて流星を
狙うことにしたのでした。時刻は3時を回って、薄明開始間近ということで、撮れるコマ数が
限られている状況の中、ペルセウス座とおうし座の境界付近を狙った1枚で、この日2個目の
流星捕捉に成功します。


【ペルセウス座群流星】
 絞りF1.4,露出5分,固定撮影(三脚使用) ※その他の撮影条件は上と同じ

こちらは固定撮影なので、日周運動による星々の軌跡を流星が貫くイメージになってます。
この流星は肉眼でも確認できましたが、あまり明るくなかったので、写ったかどうか微妙な
感じでした。それでも割としっかり捉えられたのは、絞り開放で撮ったのが奏功したような
気がします。その代償として周辺減光が酷くなったのは致し方ないところかな?
ちなみに画像中央から少し上の星がゴチャゴチャ写ってるところは「すばる」で、右下寄り
の明るい星はおうし座の1等星アルデバランです。

次の1コマはペルセウス座とぎょしゃ座の境界付近を狙い、端っこながらまた小さいのが1つ
捉えられてました。


【ペルセウス座群流星】
 露出10分 ※その他の撮影条件は上と同じ

この流星は最初に捉えたものと同様に輻射点近くに流れたせいか経路が短いですが、これも
緑から赤へ色が変化していったのが分かります。ちなみに右下寄りに写っている明るい星は
ぎょしゃ座の1等星カペラです。
で、流星狙いではもう1コマ撮ったものの残念ながらスカでした。

ということで都合3個の流星が捉えられましたが、火球レベルの明るい流星は写らず仕舞い。
また、1コマに複数個の流星が写ってくれないかなぁーなどと欲張りな考えも抱いてたものの、
さすがにそんな幸運には恵まれませんでした。それでも自己満足に浸るには十分なのでした。
(まだつづくかも?)


【アーカイブ】八ヶ岳山麓へ初遠征した日(1983/08/13) ー 星雲星団撮影編 ー

2024-09-22 11:36:00 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第19弾です。

野辺山高原への初遠征で得られた写真の続きになります。
実は赤道儀架台にマッチプレートというアイテムを取付けて、自分のカメラとともに友人の
カメラの2台を並列搭載してました。そちらには望遠レンズが付いており、星雲や星団を少し
クローズアップする画角で狙ってました。自分がシャッターを切ったわけではないですが、
その写真も残っていたので紹介しておきます。まずははくちょう座にあるこの散光星雲。


【北アメリカ星雲】
 ニコンF+NIKKOR 135mm F2.8,サクラカラー400(ASA/ISO400),絞りF2.8,露出10分,
 タカハシ90S赤道儀にて自動ガイド,長野県野辺山高原にて

主題の星雲はフレーム中心から少しズレてしまいましたが、星雲の特徴的な形がよく分かる
一枚でした。当時のサクラカラー400(ネガフィルム)は赤い星雲がよく写ると言われていて、
噂通りのパフォーマンスが確認できる作例となりました。なお、写野は次のとおり。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

で、もう1点はコレです。


【h-χ星団】
 ※撮影条件は上と同じ

ペルセウス座にある「二重星団」を狙ったもので。こちらはしっかり中央に捉えてました。
よく見ると上の方に「ハート&ソウル星雲」の赤い光芒がごく淡く確認できます。ちなみに
この星雲がそんな愛称を持ってることは当時知られていなかったと思います。なお、写野は
次のとおり。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

こういう写真を目の当たりにして、自分も望遠レンズが欲しくなりました。できればもっと
大写しができる長焦点レンズを入手したいと思ったのでした。
(つづく)


【アーカイブ】八ヶ岳山麓へ初遠征した日(1983/08/13) ー 天の川撮影編 ー

2024-09-21 12:37:22 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第18弾です。

春に隣県へ初遠征しましたが、仲間内では次はもっと暗い場所を目指したいよねーって話を
していて、夏休みに入ったら長野県の小海線沿線へ行ってみようぜ!ということになります。
当時の天文ファンにとって清里~野辺山近辺は天体観測の最適地として大人気だったんで、
是非一度行ってみたいという意見で一致したのでした。で、中学時代にお世話になった理科
の先生も参加してくださることになり、せっかくならペルセウス座流星群の極大夜(8/12-13)
に合わせようということで、野辺山高原にあるバンガローを希望日通りに予約できました。

当日は計5人がクルマ2台に分乗して目的地に向かいました。自分は友人の運転するクルマに
乗ってるだけでしたが、さすがに遠いなぁーって印象でした。何せ春に出掛けた山梨県東部
某所までの距離の3倍以上も離れた遠方ですからね。中央高速を使っても4時間ほど要したと
記憶してます。

現地にはまだ陽が高いうちに到着。肝心の天気は雲が多く、スッキリ晴れるか微妙な状況で、
日没後も空の大部分が雲に覆われていて、仕方なくバンガロー内で待機。夜が更けていって
半ば諦め気分になっていた24時過ぎにようやく奇跡的に晴れ間が広がってくれて、観測予定
場所へ移動して急いで撮影機材をセットアップ。一番撮りたかったさそり座~いて座付近の
天の川は既に西空に沈んでいたので、仕方なく最初に狙ったのはこの星座でした。


【はくちょう座】
 キヤノンEF+FD50mmF1.4 S.S.C.(Ⅱ),サクラカラー400(ASA/ISO400),絞りF2.8,露出15分,
 タカハシ90S赤道儀にて自動ガイド,長野県野辺山高原にて

当時は銀塩フィルムカメラの時代なので写り具合を現地で確認したりはできませんでしたが、
初めて見る天の川の光芒に驚くとともに、これは綺麗に撮れたはずって感触はありました。
結果は北アメリカ星雲などの赤い散光星雲まで捉えられて大満足の1枚になりました。まぁ、
今見ると大したことない写真なんですけどねぇ。ちなみに写野は次のとおりです。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

で、もう1ショット撮っていたのがコレです。


【秋の銀河】
 ※撮影条件は上と同じ

とかげ座・ケフェウス座付近の天の川を狙ったものです。ケフェウス座の南部にあるIC1396
という巨大星雲が淡いながらも確認できて、へぇーこんなのまで写ってくれるんだぁーって
現像/プリントが上がってきて吃驚したのでした。なお、写野は次のとおり。


 AstroArts社ステラナビゲータにて作成

やっぱり天の川の写真は夜空がなるべく暗い場所で撮るべきだなぁーと思ったのでした。
(つづく)


五島プラネタリウム リーフレット No.281(1980年8月)

2024-09-01 11:26:03 | タイムマシンにお願い

シリーズで紹介している五島プラネタリウムのリーフレットの第19弾は1980年8月配布のものです。

表紙を見ると、この月の話題として「プトレマイオス・コペルニクスから現代へ」が掲げられてました。
その上に「サマー・スペシャル'80」との表記がありますが、投影で特別な内容があったのかどうか、残念ながら
記憶にありません。

2ページ目には月例の話題に沿った「天動説と地動説」についての記述があり、その右にはプトレマイオスによる
周転円モデルが図示されてます。惑星が不思議な動き(逆行現象)を見せるのは、小さな円軌道を描きながら地球を
周回しているためだと説明するものです。一方、コペルニクスによる地動説では惑星の動きをスマートに解明する
ことができ、後の「ケプラーの法則」につながって揺るぎない説となりました。説明の最後にコペルニクスの出身
国ポーランドの大使館から協力を得たとの記述があるので、それに基づく投影内容が「サマー・スペシャル'80」
だったのかもしれません。でも印象に残ってないんですよねー・・・

3ページ目の「今月の観望メモ」の最後にペルセウス座流星群の記述があって、当時から1時間に約100個の出現が
期待できる流星群だったことが分かります。特にこの年は極大夜が新月で、観測条件は良好だったはずですけど、
残念ながら日本では天候不順で観測記録は少なかったようです。


【アーカイブ】天体観測・撮影目的で他県へ初遠征した日(1983/03/20)

2024-08-18 09:26:03 | タイムマシンにお願い

昔の銀塩写真のデジタル化画像シリーズの第17弾です。

東京でも郊外に住んでましたが、市街光の影響により暗い天体の観望/撮影は困難だったため
同志の仲間内で春休みに空の暗い場所へ行こうぜ!って話になり、運転免許を取得していた
友人のクルマに乗って他県まで初めて遠征することになりました。

行き先は雑誌『月刊 天文ガイド』の「私の観測地」という連載記事で紹介されていた場所。
居住地からは40km程度離れており、一般道で1時間半くらいかかったと記憶しています。
着いてみると自宅近辺より街灯が少なくて、真っ暗な山奥と言うほどではないものの夜空は
十分暗く、星雲星団をキレイに撮影できそうな印象でした。そこで撮ったのがこの星団。


【プレセぺ星団】
 ニコンF+NIKKOR 135mm F2.8,サクラカラー400(ASA/ISO400),F4,露出15分,
 タカハシ90S赤道儀にて半自動ガイド,山梨県東部某所にて

かに座の真ん中あたりに位置している散開星団で、肉眼でも存在が確認できる天体です。
望遠鏡と架台は自分の所有機材を使いましたが、友人の1人が望遠レンズを持っていたので、
カメラとともに借用して撮ったようです。モータードライブによる電動追尾はしましたけど
露出時間を長めにする予定だったため、口径13cmのニュートン反射鏡筒を追尾監視用に使い、
いわゆる半自動ガイド撮影(望遠鏡でガイド星を目視しながら、ズレが生じた際にモーターの
制御用ハンドコントローラーを操作してガイドエラーをマニュアル修正する方法)を実施した
とメモに記されてました。そのようなガイディング方法を行ったのはこの時が初めてです。
追尾状態は良好で、星団部分を拡大しても・・・

星が非常に綺麗な点像になってくれました。そのお蔭もあって結構暗い星まで写ってくれて、
やはり夜空の暗い所で撮ると違うなぁーって感じたものです。

なお、この日はどちらかというと観望主体だったのか、反射望遠鏡を使って主に春の銀河を
眼視で数多く皆で見て楽しんだらしく、星雲星団撮影はこの1枚だけでした。今となっては
ちょっともったいなかったような気もします。