ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆バイク旅行中の出来事 そのⅠ

2012年06月05日 | 旅行記
 2006年7月、二度目の北海道ツーリングを行った。
 昨年、即ち2005年7月は、舞鶴から小樽の間をフェリー移動した。
 そして、北海道の上半分を周遊した。
 二度目の北海道は、鳥取で一泊し、実質的に此処を出発点として日本海側を青森まで”地道”を使って北上した。
 そして、青森から函館へフェリーで渡り、北海道に再度上陸し、残りの下半分を周った。
 北海道の予定コースを周って、帰る途中で出来事は起きた。
 函館から大間に渡り、八戸辺りで一泊しようと宿を探したが、東北地方のお祭りで、訪ねる処、尽く「満室」と断られた。
 仕方なく、八戸から高速道に載って、行ける所まで行く覚悟を決め走り出した。
 オートクルーズ機能を利用し、順調に走行していたところ、浄法寺ICを過ぎた辺りで突然、エンジンが停止し、再始動も出来なくなった。
 20時過ぎであった。
 レスキューを手配し「ガードレールの外に退避して待て」と言う指示を受け、到着を待っていた。
 パトカーが停車し、結論的に違反切符を切られた。
 運命と言うか、「停止表示器」を携行していなかったことを棚にあげ、レスキューが先に到着していればと悔やまれる。
 警察官に安全のため、パト車両の中に居るよう言われ、レスキュー(レッカー車)が来るまで、同乗していた。
 暫くして、公団のパトロールカーが来て、私は引き継がれた。
 そして、レスキュー(レッカー車)が来て、盛岡市の整備工場まで搬送してもらった。
 翌日、整備工場に行くと「電気系統に異常があり、調整で済んだ。異常になった原因は判らない」と言うことであった。
 何はともあれ帰宅しなくてはならない。
 金沢市で一泊し帰宅出来た。
 帰宅し、すぐさま「停止表示器(三角板)」をバイクに載せた。
 そして、違反金を謹んでお納めした。
 今回は、絵日記の「絵(写真)」がなく(描けません)スミマセン。
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☆バイク旅行中の出来事 そのⅡ

2012年06月05日 | 旅行記
 2007年8月初旬、東北の五大祭りを観て回る計画をたて、実行した。
 自宅を出て、三日目は下北半島の「願掛」という処で野営をした。
 今回のツーリングで二度目の野営である。
 此処で、ある家族と知り合った。
 主役は、ストックホルムに住む娘さんと子供で、日本の夏休み期間中に一時帰国し、家族達と、バーベキューをしていた。
 この内輪の中に招待され、ご馳走になった。
 翌日、二度目の大間、そして恐山、尻屋崎灯台から盛岡市に入って、さんさ踊りを見物した。
 順調に行程を消化している様に思えたが、五日目になって、問題が発生した。
 盛岡市の「石割桜」を観て、生物の営みの、ただならない強さを感じさせられた。
 そして、田沢湖から「岩木山」へ。 岩木山スカイラインを使って上った。
 岩木山スカイラインは全長9.8Kmで、69のカーブ(岩木山スカイライン・ホームページ調べ)がある、まさにつずら折れの山岳道路である。
 気分的には、通行量が少なかったこともあり、ワイディングを楽しんで8合目の駐車場に到達した。
 リフトで山頂付近を散策し、今夜の宿泊地・五所川原市に向かって下山し始めたが、急勾配の下り坂、そして急カーブの連続した状況で、エンジンブレーキが効かない。
 右車線に入って、左にハンドルを切り車体が水平と成る様に、停車させた。
 片スタンド立て、点検した。
 動力を後輪に伝えるベルトが無い。
 安全な駐車場所を求めて前後のブレーキを掛けながら下っていった。
 安全と思われる所でレスキューを手配した。
 五所川原市からの手配という事で、現着まで二時間近くを要するとのこと・・!
 じっと待っていても無駄と考え、前後のブレーキを操作し、何度も休ませながら、そしてディスクの温度を(手で)測りながら料金所まで無事に下山した。
 一時間程してレッカー車が到着した。
 五所川原市の私が宿泊するホテル近くまで送ってもらって、明日、私を伴って青森市の修理工場に搬送してもらうこととなった。
 修理工場で、部品(ベルト)の在庫が無いので、東京本社からの取寄せとなるため、修理完成が翌週の月曜日と言う。
 一週間後である。
 仕方が無い。
 代車を用意してもらえると言うことで、ツーリングの目的である「五大祭り」は周遊出来るが、代車がスポーツタイプでキャンプ道具等は積載出来ない。
 急遽、大きな荷物は宅配便で、家に送る手配を整えた。
 結局、最後に予定していた「仙台七夕祭り」と、奥入瀬峡など一日分の行程が未消化となってしまった。 竜飛岬の様に、通過点でない処を重点的に周遊せざるを得なかった。
 仙台七夕祭りと奥入瀬峡は、またの機会にと諦めた。
 結果的に「東北四大祭り観光」となってしまった。
  
 絵日記の絵(写真)の左は、下北半島の「願掛キャンプ場」で知り合った家族たち。
 そして、写真右は、変わった様子も見せない、岩木山駐車場での”我が愛車”。
 このあと、豹変していることを知る結果となる。
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