ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

京人形 (23日訂正)

2017年01月22日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、趣向(「思考」を改め)を代えて「京人形*」である。
  注*人形の分類について造詣はない、譲り受けた時に教えられたものである。
 私の手持ちとなったのは、高校三年生の時である。
 高校三年の時、外国人と文通をしていた同級生と、懇意になった。
 「語学研修で、文通をしている」と、言ってはいたが本意については、推して知るべしであろう。
 血気盛んな時期である。
 しかし、出した文面を見ても、返事の文面を見ても、チンプンカンプンであった。
 やはり、語学勉強の為であったのでしょう!
 同級生は、京都市近郊の枚方市の出身であった。
 人形は、その文通相手にプレゼントするために用意したものモノであった。
 裸体の状態で人形を入手し(同級生の)母親に、衣服を縫ってもらって仕上げた”人形”である。
 プレゼントが不調に終わった経緯については、記憶していない。
 友達で有った証しに、外国人の友達に替わって、私にプレゼントされた。
 但し、プレゼントされる相手の”性”は異なっている様であったが・・・
 私は”京人形というブランド”と”愛くるしい顔立ち”が、土産として家族に喜ばれると思っていた。
 しかし、60年を経過するも、今もって私の手元にある。
 考えてみれば、経緯は別にして、これ程までに、伴にあるは、私・自身と、この”人形”であろう!
 お顔に、汚れがあったことから、この人形の本質を知った。
 施された塗料から、古来からの技法で仕上げた代物である事を理解した。
 顔料は「胡粉」であった。
 由緒正しい”作品”であると、大切にしている。

 追記:人間に似した”人形”には、人・夫々の思いがある。
 当初は「土産(家族へのプレゼント)に!」と、思って、同級生から譲り受けた(無償提供)人形ではあった。
 土産として準備したモノに対し、贈る側・受け取る側の、当時の思いが、如何様であったのか?
 何故、今もって私の手元にあるかの経緯は忘れた。
 60歳を超えて、衣服も汚れ(劣化)が目立つ様に成っていた。
 お湯に洗剤と漂白剤で、洗濯を試みた。
 同級生の母親の丁寧な創りを改めて知る事となった。
 昔を思い、この絵日記を書くにあたって”絵”の描き方に苦慮した。
 無難なのは”横顔”と思い、絵日記の絵(写真)としました。
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