何度か日記にしている、娘が零歳の時からお世話になっている、ご家族が居る。
その家の娘さんであるM子ちゃん(”ちゃん”と呼ぶもの変であるご年齢ではあるが、従来からの呼び名を継承している)から「お父さんが心筋梗塞で入院した!」との連絡が、昨夜あった。
「明日・顔をみに行きます!」と答えてあった。
しかし”お正月”を迎える準備も出来ていない状況である。
年が明けてに、させてもらおうと、電話をした。
事情を話しすると「そうして・・!その方が(此方も都合が)良い!」と言う事で、延期させてもらった。
部屋の片付けを始めたが、何時・終るか分からない。
そこで「工程が分かっていることから始めよう!」と、当面の「お正月用品」を買いに行く。
、ワンコイン・ショップで、雑巾を買って来て、御神前の掃除から始めた。
夕方には、済ませることが出来た。
明日、榊を買って来て、お鏡餅をお供えし”お正月さん”をお迎え出来るよう、正月飾りをする。
「お正月飾り」にもルールがある様だ!
「一夜飾り」や「29日に飾るのはいけない」とか言われる。
28日が良いらしい!
一夜飾りはイケない!と云われても、父が商売をしていた頃は、客足が途絶えなければ出来なかった。
即ち、NHK紅白歌合戦(1953年から:注)が始まる頃になって、道具・工具を整え、バイス棚(作業台)に白紙を敷いて、三方に載せた「お鏡餅」を、お供えする。
作業の安全のお礼と、祈願をする。
お店の入り口を正面にして、天井から吊り下げる格好で、棚を設置する。
紅白餅の小片を張り付けた柳の枝(餅花)を、棚の左右の支柱に配置し、白紙に包んで紅白の水引で縛る。
棚には、お鏡餅やお供え物を配置し、お正月飾りを終えるのであった。
小売業にとっては?盆と暮は”節季”で忙しい。
「28日で、今年の商売はお仕舞い!」とは成らなかった。
父からは「お節料理」の謂れも教わった。
今もって、父の真似事をしている感がある。
我が家は、商売もしていないが、大晦日まで”節季”で、休まる暇はない。
自慢じゃぁないが、毎年・恒例である。
何時も・思うのですよ!ゆっくりと、紅白でも見たいものだ!」と・・・・
注:NHK紅白歌合戦について(NHKのホームページ調べ)
1951年(昭和26年)お正月番組として1月3日に放送(ラジオ番組)されている。
その後、1953年(昭和28年)から、ラジオ・テレビ同時放送化され、大晦日の夜の放送に変わっている。
なお、1953年は二度の放送であった。
1953年1月3日の正月番組が最後の放送であって、同年12月31日夜の放送から、テレビでの放送も始まっている。
従って、現在の大晦日の番組になったのは、1953年の第4回からとなる。
その家の娘さんであるM子ちゃん(”ちゃん”と呼ぶもの変であるご年齢ではあるが、従来からの呼び名を継承している)から「お父さんが心筋梗塞で入院した!」との連絡が、昨夜あった。
「明日・顔をみに行きます!」と答えてあった。
しかし”お正月”を迎える準備も出来ていない状況である。
年が明けてに、させてもらおうと、電話をした。
事情を話しすると「そうして・・!その方が(此方も都合が)良い!」と言う事で、延期させてもらった。
部屋の片付けを始めたが、何時・終るか分からない。
そこで「工程が分かっていることから始めよう!」と、当面の「お正月用品」を買いに行く。
、ワンコイン・ショップで、雑巾を買って来て、御神前の掃除から始めた。
夕方には、済ませることが出来た。
明日、榊を買って来て、お鏡餅をお供えし”お正月さん”をお迎え出来るよう、正月飾りをする。
「お正月飾り」にもルールがある様だ!
「一夜飾り」や「29日に飾るのはいけない」とか言われる。
28日が良いらしい!
一夜飾りはイケない!と云われても、父が商売をしていた頃は、客足が途絶えなければ出来なかった。
即ち、NHK紅白歌合戦(1953年から:注)が始まる頃になって、道具・工具を整え、バイス棚(作業台)に白紙を敷いて、三方に載せた「お鏡餅」を、お供えする。
作業の安全のお礼と、祈願をする。
お店の入り口を正面にして、天井から吊り下げる格好で、棚を設置する。
紅白餅の小片を張り付けた柳の枝(餅花)を、棚の左右の支柱に配置し、白紙に包んで紅白の水引で縛る。
棚には、お鏡餅やお供え物を配置し、お正月飾りを終えるのであった。
小売業にとっては?盆と暮は”節季”で忙しい。
「28日で、今年の商売はお仕舞い!」とは成らなかった。
父からは「お節料理」の謂れも教わった。
今もって、父の真似事をしている感がある。
我が家は、商売もしていないが、大晦日まで”節季”で、休まる暇はない。
自慢じゃぁないが、毎年・恒例である。
何時も・思うのですよ!ゆっくりと、紅白でも見たいものだ!」と・・・・
注:NHK紅白歌合戦について(NHKのホームページ調べ)
1951年(昭和26年)お正月番組として1月3日に放送(ラジオ番組)されている。
その後、1953年(昭和28年)から、ラジオ・テレビ同時放送化され、大晦日の夜の放送に変わっている。
なお、1953年は二度の放送であった。
1953年1月3日の正月番組が最後の放送であって、同年12月31日夜の放送から、テレビでの放送も始まっている。
従って、現在の大晦日の番組になったのは、1953年の第4回からとなる。