ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

如何でもいいはなし・・! (15日 加筆)

2018年07月14日 | 日記
 テレビを見ていての”違和感”?と云うか”イラっと!”することの日記である。
 公開番組でもない番組で、コメンテーター&アナウンサーが発する言葉に過剰反応するというか・・!やたらと笑い声が聞こえてくる場面がある。
 公開番組でない番組(番組参加者が居ない)で、笑い声が収録されると言う事は「擬音」もしくは、番組スタッフが、笑って(笑いの演出をして)いるのでしょう!
 番組を観ながら「えぇ!此処で笑わなければいけないの!?」
 笑えない私は「変」なのかなぁ!?と、思ってしまう。
 もう一つ、テロップを捲るに合わせ、ページを捲る「音(擬音)」を発する度にイラっとする。
 製作側・提供者側の論理なのでしょう。
 私は、番組を選択する事が出来る。
 イラっとしながら・・イラっとする気持ちを抑えながら観る度量は、私にはない。
 私が不快に感じても、容認できる人達は居るのでしょう!?
 感情や感性は、人・夫々で、世は成り立っている。
 やはり、人間は面白いと言う事なのでしょう。 
 放送局は、放送局の論理で製作し、報道・放送する。
 私は、取捨選択することは出来る。
 と、言う・如何でもいい話し・日記である。
 でも・・! 過剰な演出は、如何なものかと、言いたい。
 製作者の意図は、視聴者(私)を小ばかにしている感は、否めない。
 ほら!(ページを)捲ったよ(判る!)
 ほら!此処で笑わなければ・・・!
 ほっとけや! お前(製作者の意図)に差配されたくない。
 観ている番組が、可笑しくて笑いたければ、私は笑うよ!笑えます。
 
 蛇足:民放さんは「如何に観てくれるか!」が生命線であろう。
 「宣伝効果が高い番組に、スポンサーは付く!」が”原則”なのでしょう!?
 製作者の意図は、番組を構成するにあたって、視聴者が「えぇっ!(後を)観たい!」と、思われるタイミングでコマーシャルを入れる。
 そして(コマーシャルの持ち時間が終わり)再開される訳であるが、コマーシャルを挿入する前・数秒間が、再生される(手法をもちいている?)
 此れは、制作者の”親切”であろうが、視聴者は”途切れること無く観たい!”が、本音ではなかろうか?
 番組の大事な・観たいところは、途切れることなく観たい!が、本音でしょう。
 そう!(コマーシャル)提供者も、観る視聴者にとっても、タイミングなのでしょうね!
 コマーシャル提供者には”心苦しい”が、観たい番組は、録画して観ている。
 私の意図を知ってか・知らずか!? 録画装置のメーカーさんは、偉い!!
 「〇〇カット!」と云う機能を利用する事で(略)連続した番組を楽しめている。
 この様な機能を有する録画・再生装置を提供する”メーカーさん”は苦渋の判断!だった???
 此れって!メーカーさんにとって”諸刃の剣”ですよね・・・・・?
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