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”付かず離れず!”半世紀を伴にした「50Mhz帯アマチュア無線機(FT-5260)」である。
当時の収入に対して購入コストは、高額であった。
しかし、憧れていた!
少し?時代を遡る。
TRIO(春日無線電機商会からTRIOへ、現・Kenwood)製の受信機キットを購入し、BCLを楽しんでいた。
蛇足:BCL(broadcasting listening/broadcasting listener)とは、放送(特に短波による国際放送)を受信して楽しむ事で、受信したことを報告(はがき)すると「カード(受信証)が送られてくる。
このカードをコレクションするのも”趣味”
受信するだけでなく「発信(送信)もしたい!」
そう!交信したい!と、思うようになった。
免許(無線局の免許状)を取得するにあたって、送信機(50Mhz帯)の手造りに挑戦した。
”挑戦した!”と言うより、そうせざるを得なかった。
市販品は有ったが数も少なく、外国製であったり、価格的に購入できる状況ではなかったのである。
当時のTV放送は、VHF(超短波)で”混信(TV放送波に妨害を与える加害者)”に悩んだ。
TV放送が終了する”蛍の光”が流れると、実験(妨害を与えない”電波”とするための)を繰り返した。し
しかし、就職と供に中断された。
交信(アマチュア無線)へ執心した思いは欠ける事はなかった。
就職して五年程の後の任地で、Oo氏と出会った。
Oo氏から、真空管式のタクシー無線機を半導体式に、更改するタクシー会社を紹介された。
そして、一台の譲渡を受けた。
周波数を決める「水晶発振子」と、少しのtuningでアマチュア無線用に転用出来た。
しかし、周波数を変えようとすると「水晶発振子」を代えなければならない。
交信するためには、複数個必要となる。
この「水晶発振子」は、部品であっても、安価ではなかった。
自由に周波数(交信する)を代えたい!との欲望?に発展した。
それから数年後、今は亡き・友人「Yo氏」と出逢う。
そのYo氏と、山頂の施設保全のための出張する機会があった。
その時、Yo氏が携えてきた”モノ”が、次の”絵(写真)”である。
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ICE社(井上電機製作所 現・アイコム)製の「FDAM-3」である。
当時「(太陽)黒点」の活動も活発であったのでしょう・・?
電離層の異変で、夜間になって、騒がしくなった。
小電力(送信電力)であっても、北海道(8エリア)等と通話が出来ていた。
Yo氏との間で”手放す側・求める側”の論理が成立し、我が”持ち物”と成った。
電波に音声(信号)を重畳させる方法に、ラジオ放送のAM(振幅変調)や、FM放送のFM(周波数変調)が主流であった。
入手した此の機種は、この振幅変調・周波数変調専用機である。
アマチュア無線の”人気”とともに、SSB(単側波帯伝送)と言う通信方式が台頭した。
それから(FDAM-3との出会いから)七年程が経過した。
度重なる転勤とともに、Mu氏と出逢った。
そして、Mu氏のお世話で「FT-6250」(冒頭の写真)を入手した。
しかし、この「FT-6250」も、余命三年(日記「守ってくれる半面、規制も・・!」(2019.5.15))となった。