ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆アボカド育苗記2

2012年06月08日 | 日記
 今日(6月8日)、アボカドの水を替えると同時に、保水のための”チリ紙”も取り替えた。
 順調に生育しているように思われる。
 JUN様、コメントありがとうございました。
 関心をもたれたようで、共に発育を見守って下さい。
 私は、アボカドの発芽の状況が奇怪と思ったことから関心を持ちました。
 私の発芽に関する印象は「朝顔」の生育過程であって、発芽の仕方に大なり小なりの違いはあれ、全てのように思っておりました。
 即ち、種(実)から根が出て、双葉となって成長していく。
 アボカドを”奇怪”と感じたのは、芽と思われる(私の見た目で)頭の部分から根が伸びて、動物の様に目鼻・口を連想させる表情を持っている。
 そして種(実)が真っ二つ割れている状況からです。
 これを観た時に「コイツの生育」を見届けようと思いました。
 今日、根も枝分かれした状態も観察出来ました。
 今の、最大の関心事は二つに分かれた実と芽と思われる、根の部分がどの様(分離するのか)になるのかと言うことです。
 この時が、何時になるのか初体験で判りませんが、注意深く見守っていきたいと思っております。
 変化が見られたら報告します。
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☆アボカド育苗記 1

2012年06月07日 | 日記

Photo
 アボカドをその日に食せるよう熟したものを選んで購入した。
 種を取り出すと割れていた。
 割れた隙間を、よく観ると芽のようなものが見えた。
 どのタイミングをもって、アボカドの発芽と云うのか知らない。
 ①実が割れた時
 ②今回のように実が割れて、芽のようなものが見えた時
 ③実と芽が分離した時
 発芽と言うのか発芽という定義は知らないが、折角、芽のようなものが出てきているのだから、もう少し様子をみるべく、水洗トイレに流せるチリ紙に水を含ませ、すっぽりと包んで容器に入れてやった。
 そして毎日、水を替えてやっている。
 ネットで調べると、多くの育て方に関する紹介があった。
 その時、初めて”アボカド”は育てられることを知った。
 今では、実は割れた状態であるが、実と芽を分離することは出来ない。
 そして、身体(芽)に不釣合いな位の”根”が一本、3cm位の長さになってる。
 毛根のようなものは、まだ観られない。
 発芽させる方法として、水栽培や土に戻すやり方があるようだが、日々観察が出来る水栽培のような方法で育ててみようと思っている。
 そして、観葉植物のように成長すると嬉しい。
 また、ご報告したいと思います。

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☆日食観測

2012年06月06日 | 日記

   
 日記「佐渡島旅行記1(2012.5.19)」で、日食を観測するため、日程を調整したことを記した。
 しかし、その観測結果について、記載していないことに気付いた。
 今日(5月19日)は、金星が、地球と太陽の間を通過する、金星による”日食”の日であることから、思い出した。
 日食を視覚(映像)化する方法として「ピンホール」による方法が、手っ取り早いと思い実践してみた。
 スクリーンの代役を果たしたのは、黒いCDケースで、これを使って観測した。 
 それより前、他県に住む、妹から「日食、観えてる?」と、電話があった。
 妹は、地元大学が開催する観測会の会場に居るそうで、道具を駆使してみせてもらえるとの事であった。
 私は、「曇り空」と思い、あきらめて寝ていた。
 妹からの電話で、起き出して空を見上げると、雲間に太陽が見え隠れしている。
 観測をすることにした。
 「曇りで観測不可」と思い込んでいれば、今回の日食は観られなかったから、妹の電話で助けられた思いである。
 今日の絵日記の絵(写真)は三枚で、急拵えの”観察器”で撮影した「日食の写真」である。
 太陽か欠けはじめから、日食の終演に到る時間の経過の記録である。
  蛇足:写真をクリックすると大きく・見易く成ります。

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☆バイク旅行中の出来事 そのⅠ

2012年06月05日 | 旅行記
 2006年7月、二度目の北海道ツーリングを行った。
 昨年、即ち2005年7月は、舞鶴から小樽の間をフェリー移動した。
 そして、北海道の上半分を周遊した。
 二度目の北海道は、鳥取で一泊し、実質的に此処を出発点として日本海側を青森まで”地道”を使って北上した。
 そして、青森から函館へフェリーで渡り、北海道に再度上陸し、残りの下半分を周った。
 北海道の予定コースを周って、帰る途中で出来事は起きた。
 函館から大間に渡り、八戸辺りで一泊しようと宿を探したが、東北地方のお祭りで、訪ねる処、尽く「満室」と断られた。
 仕方なく、八戸から高速道に載って、行ける所まで行く覚悟を決め走り出した。
 オートクルーズ機能を利用し、順調に走行していたところ、浄法寺ICを過ぎた辺りで突然、エンジンが停止し、再始動も出来なくなった。
 20時過ぎであった。
 レスキューを手配し「ガードレールの外に退避して待て」と言う指示を受け、到着を待っていた。
 パトカーが停車し、結論的に違反切符を切られた。
 運命と言うか、「停止表示器」を携行していなかったことを棚にあげ、レスキューが先に到着していればと悔やまれる。
 警察官に安全のため、パト車両の中に居るよう言われ、レスキュー(レッカー車)が来るまで、同乗していた。
 暫くして、公団のパトロールカーが来て、私は引き継がれた。
 そして、レスキュー(レッカー車)が来て、盛岡市の整備工場まで搬送してもらった。
 翌日、整備工場に行くと「電気系統に異常があり、調整で済んだ。異常になった原因は判らない」と言うことであった。
 何はともあれ帰宅しなくてはならない。
 金沢市で一泊し帰宅出来た。
 帰宅し、すぐさま「停止表示器(三角板)」をバイクに載せた。
 そして、違反金を謹んでお納めした。
 今回は、絵日記の「絵(写真)」がなく(描けません)スミマセン。
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☆バイク旅行中の出来事 そのⅡ

2012年06月05日 | 旅行記
 2007年8月初旬、東北の五大祭りを観て回る計画をたて、実行した。
 自宅を出て、三日目は下北半島の「願掛」という処で野営をした。
 今回のツーリングで二度目の野営である。
 此処で、ある家族と知り合った。
 主役は、ストックホルムに住む娘さんと子供で、日本の夏休み期間中に一時帰国し、家族達と、バーベキューをしていた。
 この内輪の中に招待され、ご馳走になった。
 翌日、二度目の大間、そして恐山、尻屋崎灯台から盛岡市に入って、さんさ踊りを見物した。
 順調に行程を消化している様に思えたが、五日目になって、問題が発生した。
 盛岡市の「石割桜」を観て、生物の営みの、ただならない強さを感じさせられた。
 そして、田沢湖から「岩木山」へ。 岩木山スカイラインを使って上った。
 岩木山スカイラインは全長9.8Kmで、69のカーブ(岩木山スカイライン・ホームページ調べ)がある、まさにつずら折れの山岳道路である。
 気分的には、通行量が少なかったこともあり、ワイディングを楽しんで8合目の駐車場に到達した。
 リフトで山頂付近を散策し、今夜の宿泊地・五所川原市に向かって下山し始めたが、急勾配の下り坂、そして急カーブの連続した状況で、エンジンブレーキが効かない。
 右車線に入って、左にハンドルを切り車体が水平と成る様に、停車させた。
 片スタンド立て、点検した。
 動力を後輪に伝えるベルトが無い。
 安全な駐車場所を求めて前後のブレーキを掛けながら下っていった。
 安全と思われる所でレスキューを手配した。
 五所川原市からの手配という事で、現着まで二時間近くを要するとのこと・・!
 じっと待っていても無駄と考え、前後のブレーキを操作し、何度も休ませながら、そしてディスクの温度を(手で)測りながら料金所まで無事に下山した。
 一時間程してレッカー車が到着した。
 五所川原市の私が宿泊するホテル近くまで送ってもらって、明日、私を伴って青森市の修理工場に搬送してもらうこととなった。
 修理工場で、部品(ベルト)の在庫が無いので、東京本社からの取寄せとなるため、修理完成が翌週の月曜日と言う。
 一週間後である。
 仕方が無い。
 代車を用意してもらえると言うことで、ツーリングの目的である「五大祭り」は周遊出来るが、代車がスポーツタイプでキャンプ道具等は積載出来ない。
 急遽、大きな荷物は宅配便で、家に送る手配を整えた。
 結局、最後に予定していた「仙台七夕祭り」と、奥入瀬峡など一日分の行程が未消化となってしまった。 竜飛岬の様に、通過点でない処を重点的に周遊せざるを得なかった。
 仙台七夕祭りと奥入瀬峡は、またの機会にと諦めた。
 結果的に「東北四大祭り観光」となってしまった。
  
 絵日記の絵(写真)の左は、下北半島の「願掛キャンプ場」で知り合った家族たち。
 そして、写真右は、変わった様子も見せない、岩木山駐車場での”我が愛車”。
 このあと、豹変していることを知る結果となる。
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☆佐渡島旅行記13 帰宅への行程

2012年06月03日 | 旅行記
 5月28日、「日の出が見える」と言う声で目が覚めた。
 雲は懸かっているが、御日の出がみえた。
 今日は、自宅に向け直走りに走り帰宅する。
 9時に出発と言うことで、朝風呂・朝食を済ませ出立の準備をする。
 国道135号線から県道19号線、国道136・414号線を乗り継いで、沼津IC近くのガソリンスタンドで給油し、東名道に入った。
 途中、浜名湖(東名)・土山(第二名神)・竜野西(山陽)で給油と休息のため停車した。
 集中工事たらで大きな渋滞が発生していた。
 自宅到着時間の予測が難しい。
 京都付近が降雨との情報で雨具を装着するなど、バイクならではの苦労もある。
 旅行等で自宅を出ると必ず、帰らなければ成らない。
 帰らなくて良いのはあの世たら言うところだろうが、もう少し家に帰ると言う行為を続けさせてもらいたいと思う。
 今回のツーリング 総走行距離 約3000Km ガソリン消費量 約200リットルキャンプ用具等の装備を積載したためか燃費が良くなかった様に思う。
 反省点として、荷物が多かった。
 重たかった。
 年齢相応の重量とすべく、工夫が必要と感じている。
 思いとして残るは、東京湾アクアラインから九十九里浜、房総半島で、これを走破したいと思う。
 近い将来・実現させたい。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、朝・目覚めて観た日の出と、チェックアウトを済ませた”宿泊所”の朝の様子である。

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☆佐渡島紀行記12 伊東市への行程

2012年06月03日 | 旅行記
 5月27日(日) 目が覚め、テントから這い出ると、仲間たちは撤収して居なかった。
 快晴である。
 私も、9時に御殿場駅前で合流しなければならないため、急ぎ撤収し、富士スピードウェイをあとにした。
 キャンプをしたところはくぼみの部分であったため、周囲の景色が十分把握出来ていなかった。
 集合場所の御殿場駅に向かって走行し始めると前方に”富士山”がくっきりと見えるではないか。
 バイクを停車させ、滅多に観られない光景をカメラに収める事が出来た。
 御殿場駅に到着し、約束の時間・9時になっても仲間は現れない。
 駅の立ち食いうどん店が営業していたので、朝食をとった。
 そして、仲間の到着を待った。
 今日は6台、七人で伊東市で宿泊し、明日28日(月)に帰宅することになっている。
 なお、他の者は御殿場駅付近のホテルをチェックアウト後、帰宅することになっている。
 伊東までの行程を二手に分けて行動することになり、私はT氏と天城トンネルを観に行くこととした。
 御殿場IC-東名道-沼津IC-国道136号(下田街道)・県道414号線で天城トンネルへ。
 工事中で通行は不可との情報を得ていたので、新・旧道路の分岐点付近に駐車し、1,8Kmを徒歩で旧天城トンネルまで行く。
 到着すると、自動車・バイクが居るではないか・・?
 沼津側からは、トンネル入口までは行けないが、反対側の海側からだとトンネル内を走行出来た様であった。
 あまり気分は良く無かったが、情報把握の不味さと諦めた。
 その後、浄蓮の滝を観て、他のグループとの合流点である石廊崎に向かった。
 石廊崎で合流し、城ヶ崎海岸を経て、今日の最終目的地である伊東市に無事到着した。
 絵日記の絵(写真)は、5枚。
 写真左から写真1~写真5とする。
     
 写真1:富士スピードウェイのキャンプ場を出て、壮大な風景に接し、一枚。
 写真2:JR御殿場駅で観た「富士山」
 写真3:浄蓮の滝
 写真4:旧・天城トンネル
 写真5:石郎崎灯台
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☆佐渡島旅行記11 富士スピードウェイへの行程

2012年06月02日 | 旅行記
 
 今日は5月26日(土)である。
 そして、引き続き・良い天気である。
 今日は、甲府市から富士スピードウェイまでの、80Km弱の行程である。
 昼過ぎに現地到着で良いので、地道を走行することとした。
 137号線で河口湖へ、河口湖大橋を渡りたく、大橋を渡り県道から138号線に到る。
 川口湖大橋から、富士の大パノラマが広がる。
 そして、山中湖を左に見ながら湖畔を走行し、須走向かう。
 須走から、県道151号線で富士スピードウェイには、正午前に到着した。
 入場口で入場手続きをして、指定されたキャンプ場所まで移動し、野営の準備をして、昼食を食べに行った。
 仲間はまだ到着していない様子である。
 結果的に4組がキャンプをして、他の者は御殿場駅付近のホテルで宿泊するようであった。
 今日も、無事にバイクを駐車させることが出来た。
 走行距離77Km

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☆佐渡島旅行記10 甲府市への行程

2012年06月02日 | 旅行記
 今日は、5月24日(木)甲府市までの行程を消化しなければならない。
 7時頃、朝食を済ませ、携行品の整理をし、出立準備をする。
 自動チェックアウト式でフロントに鍵を返す手間も不要である。
 バイクがもう一台あり、同様に準備をしている。
 「何処に行かれますか?」と問うと「佐渡島に行く」と言う。
 私は行って来ましたと付け加え「お気を付けて」とお互いに声を掛け合って、その人は出立して行った。
 新潟西ICから関越道・小出ICまで行き、国道291号線で魚沼市で所用を済ませ、塩沢石打ICから再び、関越道にのって前橋ICまで走行する。
 前橋市でも所用を済ませ、国道17号線で伊勢崎市に到る。
 そして、伊勢崎市から国道20号線で相摸湖を左に観ながら甲府市へ。
 甲府市でも所用を済ませ、予約している甲府駅前付近のホテルに取り付くまでに少々、右往左往した。
 ホテルと隔てる駐車場の看板に、惑わされる結果となってしまったのである。
 フロントに駐車スペースを尋ね、駐車し、チェックインした。
 走行距離485Kmで、本日の行程も無事に走破出来た。
 絵日記の絵(写真)は、4枚(写真左から写真1~写真4とする)
    
 写真1:新潟県庁
 写真2・3:関越道「越後川口SA」から、信濃川を望む。
 写真4:夜の甲府駅

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☆佐渡島旅行記9 新潟市への行程

2012年06月02日 | 旅行記
 佐渡島・小木港を12時50分に出港し、直江津港には15時30分到着した。
 出港の時、鳴らされていた「銅鑼」の音が、懐かしく思われた。
 フェリーに乗る機会はあっても、「銅鑼」を鳴らしている間に到着しそうな距離で、最近は聞いていない。
 今回のルートで、復路は両津⇒新潟としたかったが、上越市と柏崎市に立ち寄りたい処があり、往復路とも同一ルートとなった。
 しかし、念願叶って、上越市・柏崎市の立ち寄りたい箇所にも立ち寄ることが出来た。
 18時過ぎ、予約しておいた新潟駅近くのホテルに無事、到着できた。
 チェックインを済ませ、入浴し、無事な到着・本日の行程が無事に終了したことを祝って、缶ビールで乾杯!
 各地に行くと、地元のTV番組(ニュース等)を観るのも、楽しみである。
 日も暮れて、お腹の虫も泣き出したので食事をするため、ホテルをあとにした。
 ホテルと新潟駅の間にあった、粋な名前の居酒屋があったので入店した。
 屋号が示唆するとおり、スタッフ(店員)は女性ばかりのお店であった。
 ビールと地酒を少々頂き、食事を済ませホテルに戻った。
 明日は、甲府市への行程である。
 絵日記の絵(写真)は、3枚である。
   
 写真左:佐渡島・小木港 直江津港に向け乗船する「あかね丸」
 写真中:直江津港に入港する。
 写真右:新潟駅
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☆佐渡島旅行記8

2012年06月02日 | 旅行記
 7時前、窓から射す明かりで、目が覚めた。
 今日(24日)も、良い天気の様である。
 小木港12時50分発に乗船する予定である。
 途中「トキ」に関する施設があるなら立ち寄ることとし、県道65号線を真野町に向け走行する予定である。
 給油のため、ガソリンスタンドに立ち寄った。
 男性の方(私と同年代?)が「何処から来た」と声を掛けてきた。
 応対しながら、給油作業を受けた。
 店員でない・その男性から「困ったことがあったら聞けば好いよ」と忠告して頂いた。
 人懐っこいと言うか、親切である。
 遠距離者を心配してもらっている感じが伝わってきた。
 加茂湖畔で写真を取りたくて、作業している人に、お願いすると「いいよ」と承諾を得たので敷地内にバイクを停め、写真を撮らせて頂いた。
 終わって、お礼を言おうとしたが居なくなっていた。
 走りながら、朝食がまだであることを思い出した。
 コンビニを探した。
 10時頃になってコンビニを見つけ、にぎりめしとお茶を買って、お店の前のベンチで食べた。
 私の感覚では、コンビニは何処にでもある、と思っていた。
 現に私の家の周辺には何軒かあって、この状態が”当たり前”との思いであった。
 今回の旅行も、ホテルや旅館の宿泊条件で「食事なし」であっても”食いつなげられる”との判断であった。
 経営者さんには悪いが、いたる所にあれば便利である。
 「トキ野生復帰センター」という標識を見つけたので行ってみたが、人の気配が感じられなかったので引き返した。
 途中にあった「妙宣寺」「真野御陵」を見学し、真野新町から国道350号線を走行し、小木港に到着した。
 観光センターに挨拶をして、乗船手続きをした。
    
 絵日記の絵(写真)は4枚である。
 写真・左から写真1~写真4とする。
 写真1:両津の市街地にある「加茂湖」 汽水湖である様だ! 佐渡島・最高峰「金北山(1172m)」が遠望できる。
 写真2:両津から小木に向かう途中にある「朱鷺保護センター」 無人で見学が叶わなかった。
 写真3:妙宣寺・五重塔 静寂の中に佇む姿は凛としていた。
 写真4:真野御陵 順徳上皇の火葬場(塚)とのこと。
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