大袈裟な”表題”と成った事は、私の「学(知識)」の無さである。
要するに、身体上の問題(疾患・闘病・・)があっても”健気”に活きる・生き様を表現したいのである。
今日は・金曜日・・カラオケに行く日である。
朝目覚め「何時もの時間で良いですか・・?」と、私・・
「お願いします」と、So(先輩)さんの返事であった。
何時もの様に、13時・Soさん宅での合流するため、準備を整え(自宅を)出発する。
13時半には(カラオケ店に)入店を果した。
顔馴染みの人達が、7人居た。
そして、時間の経過があって、酸素吸入機?(どう表現して、良いか判らないが)を持った人が、入店して来た。
この人、小一時間程・居て、二曲を歌って退出して行った。
前向きな思考であって、この様な強き生き方をしたい人生(人間)でありたいと、思った事であった。
私なら”引き籠って”しまうのではないか?と、思うのである。
生きる為の形態は、ひとつではない事を、教えられる光景であった。
「わたしゃ百歳まで恋をする」(平 浩二・唄)を唄う人(女性)が居た。
面白い(歌詞の)唄と思うと伴に、人生の有様を指針している様に、感じたカラオケ店の出逢いであった。
私の表現上に、問題や違和感を感じれたことが、有ればお詫び申し上げます。