ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

アカンかった!

2015年07月15日 | 日記
 今回のツーリングは、同窓会に”名”を借りて、キツネ丼を食すること。
 そして”バイクで全国周遊”のため、大阪のショップを訪問する事であった。
 しかし、キツネ丼もバイクで全国周遊の企画も、同窓会の副次的な欲求を満たすものである。
 台風が接近との情報もあり、最悪・高速バスを利用する事も念頭にあった。
 13日(月)17時頃、ナビの案内の宜しきを得て、ホテルに到着する。
 私自身の宿泊代金に加え”バイクの宿泊代金”1080円を支払い精算する。
 熱い日差しを受け、下からは”火鉢を抱える様な”熱気に晒され、絞れる程の汗を掻いている。
 シャワーを得て、着替えも済ませ、イザ!キツネ丼を目指してホテルを出立する。
 予め、NETで検索し、地図も持参した。
 先ずは、心斎橋に向う。
 地図には「心斎橋筋通り」等と云った記述はない。
 暫くは、地図を回転させながら目標物を探しても、見当もつかない。
 思いあぐねて、女性に尋ねた。
 「田舎から出てきて、このお店に行きたいのですが・・・」
 その女性、地図を手に取り、眺めていたが「I’m Sorry」ときた。
 咄嗟に「スミマセン!有難う!」と、日本語を発し、お辞儀してお詫びを申し上げた。
 心斎橋から道頓堀方向ではないと判断し、歩みを進めるが、皆目・分らない。
 さりとて、聴く勇気もなくなっている。
 しかし、聴かなければ到達出来ない。
 テイク・アウトの食べ物を求める人に「日本人ですか?」と、大胆にも声をかけた。
 大阪弁(関西弁)で「はい!」との回答を得た。
 昔、懐かしい響きである。
 地図を見せ教えを乞うた!
 「インドネシア大使館が此処やから・地図の方向はコウやね!」
 説明は続く。
 「此処を左に行って、御堂筋を越え、二つ目の路地を左やね!」と教えて頂いた。
 「よっしゃ!これで行ける」と思ったが、現地に着いて(屋号を)探せど見当たらない。
 男性3人に、又しても聴いた。
 「このビルの裏側だね!」と親切にジェスチャーを交えながら教えてもらった。
 何度と無く訪れた場所であった。
 (店が)無い!
 会社員と思われる中年の人(社員証を首から提げていた)に、聴いた。
 「ココラやねぇ!」との返事。
 諦めた。
 道頓堀あたりにでも行けば、(キツネ丼は)有るかも知れない、と思ったが、そんなに甘くは無かった。
 「何十年振りだろう!」と思いつつ・心斎橋筋を歩く。
 道頓堀には到達したものの、探し求めど見付からず!降参した。
 そして、夕食にと、食したのが”ウニ・イクラ・マグロ丼”であった。
 若狭の海産物であるとの振れ込みで、屋号も”若狭屋”である。
 食い倒れ!大阪???
 南三陸で食べたモノ(ウニ丼)の1/4以下の価格であった。
 ホテルの近くのコンビニで”酒と水”を買った。
 そして「アカンかったなぁ!」と、一人・静かに反省会をしました。
     
 今日の絵日記の絵(写真)は5枚とする。(左より1~5)
 1:心斎橋筋商店街の南端(なんば寄り)の道頓堀橋 日本語の会話でない、大勢の人達が居た。
 2:道頓堀河畔も整備され、50数年前に比べ”川面”も綺麗になっている様に感じた。
 3:法善寺横丁を訪れる外国人達
 4:夕闇迫る・水掛不動尊
 5:道頓堀の、今も変らぬ人気キャラクター「くいだおれ太郎」
  *写真をクリックすれば拡大します。
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無事に帰りました。

2015年07月14日 | 日記
 総距離820Kmを走行し無事に帰宅しました。
 悲喜交々が交差する中、想い出を造ることが出来ました。
 先ずは、無事帰宅出来ました御報告を申し上げます。
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明日、出発です。

2015年07月11日 | 日記
 12日(日)、神戸市で、中学校の同窓会がる。
 二次会もセットになった企画で、5時間程ではあるが、互いに年老いた仲間達との、昔話しを楽しもうと思う。
 翌日は、大阪を訪れる予定である。
 大阪を制覇するば「バイクで全国周遊」も、残るは”広島”と成る。
 大阪では、学生時代に味わった”キツネ丼”を、今の味覚で味わってみたいと思っている。
 決められた仕送りの中で、寮食しか食べるものは無かった。
 母親から小包で送られてくる”はったい粉”が楽しみな食べ物であった。
 ”脚気予防”にと両親の思い入れである。
 祖母がホウロウで煎り、碾き臼で粉にした自家製であった。
 バイトの銭が入ったときや、姉・兄からの臨時収入で食したのが”きつね丼”であった。
 上位ランクの、親子丼が高額で食せ無かったのである。
 手が届く(支払える限度)モノは”キツネ丼”であった。
 ネットで調べ、当時・行き着けた”お店”ではないが、同じ屋号(チェン店?)のお店を見つけることが出来た。
 宿泊場所からも近い場所にあった。
 幼き頃の友と再会し、幼き頃の味覚を確認する。
 今から”ワクワク”しております。
 天候も、台風の間隙を縫う様な、大雨にはならない予報である事も嬉しい!!
 
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道具に支えられながら

2015年07月09日 | 日記
 ”目”に関する日記である。
 中学生の頃から矯正視力(近視)で眼鏡を必要としていた。
 しかしながら、眼鏡だけで、何をするにも、自分の視力で可能であった。
 今は如何でしょう?
 より明るい照明を求めたり、細かなモノに成ると照明を如何に明るくしようにも視えなくなった。
 オーディオ機器を自作(日記「家で過ごす Part2(2014.06.06)」)する魅力に惹かれ、製作する意欲は今も衰えてはいない。
 しかし、悲しいかな!”拡大鏡”なる部類の”道具”の助力(日記「現実を受け入れて(2014.02.19)」)が必須となっている。
 以前から、構想を抱いていた「ミキサーアンプ」を製作しようと思った。
 バイクで旅行中の楽しみは、音楽や地元のラジオ放送を聴くことである。
 加えて、ナビの音声案内も必要となる。
 走行しながら、無線(アマチュア無線)交信も有意義である。
 これ等の情報を、一つのスピーカーにまとめようとすると、ミックスするしかない。
 回路図などを参考に、四つの音声をミックスする回路図を描いた。
 そして、部品を発注し、入荷を待って製作に取り掛かった。
 既成のプリント基板に、抵抗やコンデンサー等の部品を取り付ける(挿入)のであるが、心許無い。
 「ルーペバイザー」なるものの出番となった。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、道具(ルーペバイザー)の力を借りながらも、組み立て(ハンダ付け)を楽しんでいる
様子(写真:左)と、組み上げた「ミキサー・アンプ」(写真:右)とします。
 写真:右、大きさの判断の為、配置した左の乾電池は”単3乾電池”である。
 基板・右側の部品は、壊れたアンプのボリューム(電動駆動)を部品取りし、ストックしておいたもの。
 走行中であっても、指一つで音量調整が可能となる。
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帰宅途中の出来事

2015年07月09日 | 日記
 7月5日のツーリングも、一次解散場所から帰宅までの行程を残すのみとなっていた。
 雨脚が強い。
 帰宅まで、残すは30Km程に成った地点で、雨も小雨となってきた。
 眼鏡に付いた雨粒を取り除きたく、雨宿りが出来る場所を求めた。
 道路脇に大きな樹木があり、路面の色が違っている場所を見つけた。
 そして、停止させようとした。
 接地させた左脚のグリップが効かない。
 二輪車の宿命である、転倒するしかなかった。
 「あぁあ!遣ってしまった」
 ヘルメットを外し、引き起こしに懸かった。
 しかし、やはりグリップが効かない。
 腐葉土に雨水を含み、泥濘状態であることが分った。
 3度、引き起こしを試みたが、駄目であった。
 無理をして”怪我”をしては帰宅できないと判断した。
 ”誰かに手助け”をお願いしようと、通過する車両に停止を求めるべく、車両を待った。
 聞き覚えのある、(同種の)バイクの排気音がする。
 停車を求め、手助けをお願いした。
 この様な”出来事”があり、帰宅を果たす事が出来ました。
 
 
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思考を凝らして! (6日加筆)

2015年07月06日 | 日記
 2015年7月5日(日)、先日に続く「ミステリー・ツーリング(行き先不明なツーリング)」第二弾である。
 昨日の事(雨天だったこと)もあり、自宅を出発時に降雨なら”ドタキャン”するも止む無し!と思っていた。
 雨が降り出しそうな曇天であるが、降雨はない。
 完全な雨対策を講じ、自宅を出発する。
 昨日の反省から、着替えは余分に持っていく事とした。
 集合場所には20数台のバイクと仲間が集合した。
 9時、出発。 給油の配分のため、本日の総距離が約 400Kmである説明と、一回目の休憩場所の指定があった。
 此れまでの説明では、今日のルートは無数に考えられる。
 二回目の休憩場所は、昼食を伴う休憩となった。
 山間地に、ツーリングの企画者でもあり、先導者、お勧めの”パン屋さん”で昼食の食材を買い求めた。
 このパン屋さん、3年ほど前に開店したらしく、人気のパン屋さんであるという。
 (パン屋さんでお水を頂き)コーヒーを沸し、パン食の昼食となった。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、人里離れた山間地で、昼食の食材を買い求めたパン屋さんと食事の風景とします。
 この時点で、私は3ルートを推測した。
 ルート①・②・③である。
 しかし、総距離が約400Kmを 300Kmと修正がはいった。
 然らば「ルート③は無くなる」と推理した。
 昼食タイムも終わり、出発する。
 暫く、走行していると国道を左折(北東方向)した。
 「あれ!ルート④で高速道から帰宅する??」と、新たなルート案も考えられる。
 そして、又しても、右折し、橋を渡って、左折した。
 元の国道を川を挟んで左側に見ながら並走する。
 ルート④とした推理が不安となってきた。
 しかし、潜水橋を渡って、元の国道へ!
 やはりルート④が正解か?!と思いきや、やがて、右折するではないか・・・
 「えぇ!やはりルート①・②か?」と思ったものの、左折してルート④と云う、番狂わせも有り得る。
 混迷を深める。
 やがて、二桁国道に出て、右折(南方向)する。
 此れで、ルート④は消滅した。
 此処は「くじらに会える町」と云うらしい。
 広大な砂浜の一角にある”道の駅”で休憩する。
 出発するや、海岸線沿い(南方向)に進路を取るではないか! えぇ!ルート③が復活するの?と思った。
 しかし、ルート③に向う三叉路を直進したことから「ルート③は消滅」と推測した。
 このまま、川の東岸を北北西方向に、直進すればルート①となる。
 直進したことから「ルート①で決まりャ!」と思った。
 しかし、容易くは手の内を見せない企画者・先導者である。
 橋、若しくは潜水橋を渡って、西岸に至ればルート②も有り得るのである。
 左のウインカーが点滅しないで直進した。
 その後、潜水橋を一箇所通過するため、西岸に移動したが、ルート②にアクセスするものでもない事から、ルート①が正解であった。
 兎にも角にも、気を揉ませる今回の”ミステリー・ツーリングであった。
 しかし、企画者のルート造りには脱帽する。
 正に、眠気の暇もない”ミステリアスな一日”であった。
 330Kmを無事に走りぬけ、18時過ぎ帰宅した。
 雨は、帰宅までの約 90Kmとなった一次解散場所から、雨脚は強くなったが、帰宅した時点では降雨は無かった。
 総じて、雨に悩まされる状況ではなかった事を、付け加えておきたい。
 晩酌が一段と”美味しかった”のは何故だろう・・・?
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Mystery And Adventure (5日加筆・修正)

2015年07月04日 | 日記
 今日のツーリングの感想を”表題”とした。
 そして、絵日記の絵(写真)は「マンボウに逢える道の駅」を”売り”とする道の駅で、出会えた”マンボウ”とします。
 
 朝・目覚め、一番の関心ごとは”天候”である。
 屋根は濡れている。
 天気予報では「午後から降雨」であったが、予報より早まっている様である。
 参加するか否か迷った。
 しかし”行く”と言う意識が勝っていた様で、下半身の雨対策を講じて、集合場所に向った。
 15人程が集まった。
 集合場所を9時に出発する。
 雨は「パラ・パラ」程度である。 大多数は雨具を着衣している。
 私は上着を着けずに出発したが、雨量も多くなってきたし、寒さも加わった。
 車列からリタイアして「広場があれば(雨具を)着よう!」「次にあれば着よう!」と思いながら、一回目の休憩場所に到着した。
 暖かいコーヒーでも飲みたいと、自販機で購入したが、間抜けたことで”冷たいコーヒー”だった。
 一層、身体が冷える思いがした。
 此処は、十店舗ほどが、新鮮な海産物を販売する道の駅で、好物の”サザエ”があった。
 安い! 買って帰りたかったが、始まったばかりのツーリングである。諦めた。
 やがて、出発の時間となり、雨具を着けて、出発する。
 そして「マンボウと逢える道の駅」に到着し、徒歩で”街中にある食堂”に向い、昼食を取る。
 その後”ジオパーク”を訪れ、15時頃、最終・訪問地を出発し、帰路についた。
 何がMystery:40数年前に通過した?と、微かな記憶の残る道路であったり、明らかに通過した事のない道路を”何処に行くんだろう?”と、想像を掻き立てられたこと。
 まさに、今回のツーリングの”冠(行き先を告げられないツーリング)”を彷彿させるルート選択であった。
 何がAdventure:雨で路面が濡れていて、海岸部から内陸部への県道で”後輪が前輪を抜き去ろう”とする様な仕草をする。
 お尻がコソバイ!と何度か感じたことであろうか・・・?
 そして、ジオパークを訪れた時、徒歩移動(284段の階段を含む)で汗を掻き、その後の移動で、身体の内外から冷やされた。
 急遽・長袖の下着を買って着込まなければならなった(初体験な)こと。
 
 今日は「アメリカ独立記念日」との事で、ショップで記念のパーティーがあり、参加した。
 暖かいオモテナシを受け、楽しい時間を過ごした。
 20時頃、無事に帰宅しました。
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どくだみ茶

2015年07月01日 | 日記
 私と”どくだみ茶”なるモノとの出会いは何時だったろうか?
 40年程、溯るであろうか?
 近所に住まわれていた、S氏から(どくだみ茶なるものを)教わった。
 S氏の御家族は、温・冷ともに愛飲していると云われた。
 特に、夏場は冷蔵庫に冷やした”冷茶”は、家族で、好んで飲んでいるとの事であった。
 最初、頂いた時は、正直・違和感はあった。
 味わった事のない味覚であった。
 年月は経過し、永年の”夢”であったバイクを所有し、ツーリングで出向く事が楽しみとなっていた。
 ある時、道の駅に立ち寄った時”どくだみ茶”なるモノがビニル袋入りで販売していた。
 昔を思い出し、価格も手頃であったことから、自然と購入していた。
 帰宅し、記載された手順書に従って”どくだみ茶”とし、冷蔵庫で冷やし、試飲した。
 独特な刺激と素朴、と思える味覚は、40年前の記憶を更新するものであった。
 それ以降、産直市や道の駅などで見かけると購入するまでに”ファン(愛飲者)”となった。
 そして、2013年になって”自家生産”するまでに発展した。
 自家生産に至る経過については、「どくだみ(2013.07.22)」として日記としている。
 どの様な経緯で、我家の庭に”どくだみ”が生育する様になったのか分らない。
 しかし、年を重ねる毎に多くなっている感はある。
 根の一部が残っておれば生育する様で、抜き取っても”残根(地下茎)”から大きくなり開花するまで生育するとの事である。
 ”どくだみ”について調べてみた。
 幼少の頃”じゅうやく(十薬)”という言葉は聴かされて記憶はあった。
 所謂・クスリとして教えられ・記憶している。
 ”十薬=どくだみ”との認識に至ったの近年の事であると思う。
 十薬は、生薬として、開花期の地上部を乾燥させたもので、効用は、利尿・動脈硬化予防であるという。
 そして、どくだみは”毒矯み(毒を抑える)”と言う事も分った。
 昨年は、庭木の消毒・殺虫をしたためと、犬くんの病気もあり、製品化(どくだみ茶)することが出来なかった。
 今年は、雨上がりの過日、抜き取り、乾燥を行った。
 畳、一畳分に広げる程度の分量であった。
 乾燥状態を観ると”カサカサ”と言う様な乾燥した”音”を発している。
 我ながら、上手く乾燥させる事が出来たと思っている。
 そして、昨夜、5~10cm程にカットし”どくだみ茶”として製品化した。
   
 今日の絵日記の絵(写真)は、出来上がった”どくだみ茶”とします。
 夏の暑い日を中心に、一年分は賄える分量と思っている。
 生薬として「動脈硬化の予防が期待できる」 大いに結構な事では、ないですか・・・!!
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