<2024.02.10>
高齢になるにつけ、やけに悟りに近い想いが多くなりました。
私は昔から色々人さまの世話をやいたり(いらぬ世話も含めて)することが多かったような気がします。
特に定年後の20余年を振り返ってみても、60歳前後は地域の『青少年健全育成会』の事務局を9年間くらい、そして現在は『自治会』の会計が8年目さらに『老人会』の役員もかれこれ8年間、極めつけは『パソコン講師』は20年間ちょっとになり、現在に至っています。
良くまあー、こんなに人さまのお世話が出来てるものだと、自分でも思いますがやはり『好き』と『健康』があったからだと思いますね。
『健康』は一寸こちらにおいといて・・・・。
『好き』いや、そこまではないですね、『いやでない』程度だと思います。
このような程度ですから、あまり積極的に取り組む気がないいわゆる気乗りのしない『テーマ』(内容)は、活動を続けていく中でもたくさんありましたし、これからもこのようないやーな『テーマ』が時々飛んでくると思います。
ただ、最近このような『いやーな』テーマも、前向きに考えるようになりました。
どんな前向きか?、それは「全ての活動は最後は自分のもの(経験の蓄積)になって帰って来るのではないか」という事です。
最近私は何か難しいテーマにぶち当たった時には、心の中で「当たって砕けろ!」と叫んで?ます。
そのあとには、「砕けた分だけ自分の体験(経験)が増えるじゃないか・・・・」などと、屁理屈を結び付けて、自分なりに納得しようと努めるわけです。
実際の行動は100%この様にいきませんが、『経験が増える』分だけ、自分のものになって行く・・・・損するものは何もない(開き直りに近い・・・・多分高齢だからそのように想う)・・・・と。
『経験は宝』・『経験は財産』!(頭に『失敗』を付せばなお迫力がありそう)。
悟るのがちょっと遅すぎた感は否めませんが・・・・。
< 雲を抱く「雲仙の山々」・・・・ズーム10倍>
<「河津桜」もう 咲き始める・・・・運動公園にて>
<冬の「メタセコイア」・・・・運動公園にて>