<2023.09.30>
人には、『アバウト』的な人とか『シビヤ』的な人が居るようです。
一般的には人は誰しも両者を持ち合わせており、どちらかが強いことであの人は、「アバウトだ」とか「シビヤだ」とか言われているようです。
この私は、アバウト:20% シビヤ:80%の感じ(自己判断)でかなり性格的なところが大なようです。
この性格に合ったのか、現役では設計の仕事に永年従事してきました。
設計の仕事は、どうしても『数字』が物を言う世界ですし、長い仕事の中で先輩からもシビヤ性(数字が物を言う)の大切さを教育されました。
私自身も後輩を指導する中でこのシビヤの大切さを教えてきましたね。
具体的には、設計図の中の寸法が一つ間違っても誤作製品となり会社に損害を与えるわけですから、それはもう後輩の書いた図面を『眼を皿のように』そして、シビヤな気持ちで『チェック』をして、工場に図面を流すことに専念してました。
私がいた会社では、この設計図をチェックする人は『チェッカー』(照査者)と呼ばれ、ベテランの設計者があてがわれてましたね。
この経験を通じて一番感じたことは、「人はミス(思い込み・勘違い)をするのは自然(当たり前)である」という事でした。
(従って経験豊かであるチェッカーの眼(他人の眼)で見直すことで・・・仕事としては完璧となるんだと・・・・)
このような経験から定年後のボランティア活動の中で作成する文書類のチェックには、自然と力が入ります。(しかしここでも私自身、思い込みや勘違いによるミスはなかなか治らない)
話は『アバウト』と『シビヤ』に戻りますが、諺に「水清くして魚住めず」と言うのもあるようですが・・・・。
あまり『シビヤ』を表に出しすぎると完璧には近づきますが、世の中は完璧性だけではうまくいきません・・・・俗にいう『ガス抜き』も必要ですよねー。
『アバウト』をベースに対応することで、魚が生き生きと泳ぐ濁り気のある栄養を蓄えた川にもなる事もあるわけで、出くわす『場面』・『場面』で『シビヤ』と『アバウト』をうまく、使い分けたり・組合わせることで、物事がスムースに進められるのだと思いますね。
私は、「性格からも『アバウト』の比率を高めて行動(人付き合い)する必要があるんだ」と思ってはいますが・・・・。
<朝陽に映える彼岸花に・・・・蝶が舞う>
<夕焼・・・・踊る雲>
<水面で「ゆらゆら」・・・・十三夜の月>