日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

あだ名は「チャップリン」(子供時代)

2022-06-25 07:21:59 | Weblog

<2022.06.25>

私の子ども(小学校)の時のあだ名は「チャップリン」と付けられていました。

 

当時近所のおじさんが、私達こども仲間にそれぞれ付けていました。

 

私のあだ名以外としては、「チャーチル」や「ルーズベルト」と付けられた友達もいましたね。

 

どうして私に「チャップリン」と付けたのかは、聞いたこともないようですし、もう昔の事ゆえ私自身が忘れてしまっているのかも・・・・。

 

とは言え、振り返って友達のあだ名から仕草や顔つきを想い出して見ると、「なるほど、さもあらんか・・・・」と思うところもあります。

 

じゃー、私のあだ名はと言えば、「チャップリン」は当時から名前の知れた『喜劇俳優』で良く『ドジ』を踏んでは観客を笑わせるなどで有名な俳優でした。

 

という事は、今振り返っても私の仕草の中にそのような『ドジ』的な動作が多く、それを見ておじさんは、私のあだ名としたのかも知れません。

 

『ドジ』を踏むことは、誰にでもあるごく一般的な事であると思うのですがね・・・・。

 

ただ、最近よくこの『ドジ』を踏むことが年齢と共に多くなりました。

 

例えば、押し入れの中の物を取ろうとして、腰をかがめながら中にはいっても、なかなか手が届かず、棒を持ってきて『引き寄せた』のは良いのですが、隣にあるものまで倒してしまい、もとに戻すのに一苦労・・・・。

 

終わったと思って頭を上げた途端、今度は押し入れの天井にぶっつけてしまい「痛たっ!」・・・・『トホホ』。

 

「チャップリン♪・チャップリン♪♪・・・・かー!」と口ずさみながら後を振り返る始末でした。

 

まだまだこのような事はたくさんありそうです。

 

昔の近所のおじさん「あなたの眼は間違いなかった様で~す」。

 

<散歩道のうるおい・・・・いつも手入れしてくれる方に感謝>

 

<ユリの花(直立2本)・・・・散歩道にて>

 

<モチノキの花(鮮やか)・・・・散歩道にて>

<ナンキンハゼの花(珍しい)・・・・近くの公園にて>


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マスクを外すタイミング

2022-06-18 07:41:45 | Weblog

<2022.06.18>

 

マスクをはめ始めて約2年余、すっかり定着しています。

 

外出する折りなど、「何か口の回りが淋しいなあ。スースーした感じやなあ」と感じた時には、たいていマスクをつけ忘れている時であります。

 

ただ、私はマスクよりもメガネを掛け忘れて外出しようとすることの方が多い位です。

 

このように定着したマスクですが、コロナの下火傾向に伴って、2m以上離れていたり、無言の場合には、付けなくても良いのではと言った情報が流れて来てはいますね。

 

コロナのまん延が全くなくなったわけではない中での、マスク着用可否の論議ですが、すぐには個人個々の対応には難しい感じがありますね。

 

マスクには、自分自身の問題と周囲の他人との関係と言う複雑な組み合わせが、絡んでいるものですから・・・・。

 

判断で一番大きいのは、当然感染者数の減少度合の状況と国の着用基準の設定・啓蒙活動だと思いますね。

 

外国に比べマスクの着用がこの時勢の中では、我が国の文化?みたいになってきているので、簡単には外せないかもですね。

 

でも一日も早く、2年前迄の様にマスクは「寒さ・風邪対策」のために付けるという、時が帰って来ることを願うばかりです。

 

<森林浴(1)・・・・木陰が気持ちいい>

 

<森林浴(2)・・・・こんな標識もあった>

 

<森林浴(3)・・・・道すがら太古のロマン(5千万年前の話) も>


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また転んだ!(今年2回目)

2022-06-11 06:52:14 | Weblog

<2022.06.11>

先日散歩中にまた転倒しました。(1回目は4月)

 

幸い骨折などはありませんでしたが、左足の膝と左の手のひらにかすり傷を負いました。

 

転んだ場所は、林道で舗装はしています(たまーに車が通るか?)が、古い舗装の破損部の段差に足(多分右足)を引っかけて転んだようです。

 

この数年で5~6回転んでいます(ほとんど足が上がらずのつまずき)が、若い時のつまずきと違って来て、途中で挽回(立ち直り)できずに最後に身体が地面に着くまで倒れるわけですから始末が悪いです。

 

倒れた時には、ほとんど手を地面についているようですが、この状態で骨折しないのが不思議なくらいです。

 

実は今回のアクジデントの折に、腕にスマートウオッチをはめていたわけですが、起き上がって痛さを我慢している中、『ふと』ウオッチを見ると「ひどく転んだようです SOSしましょうか」と表示がありました。

 

「冗談じゃない」と急いで「いいえ」の表示を押したしだいです。

 

(痛さとあわてていたため記憶はそれらしい表示だったと思います)

 

足腰を丈夫にと言う意識で、1日概ね5000歩の散歩(歩かない日もあり平均です)を心掛けているわけですが、もう・・・・。

 

過去の転倒経験から『足を上げて!』を、意識しなければと思いながら歩いているつもりなんですが、『ついつい』他の事に気を取られて、つまずいてしまう様です。

 

今のところ骨折(入院)という事態にはなっていませんが、過去の転倒経験から何時そのようになっても不思議でない、私の『足の弱さ』・・・・。

 

とにかく散歩も含めて歩く(家の中でも)折りには「足を高く上げて!、下を見て!(不本意)」を心掛けることが肝要の様であります。

 

<あじさい 「オタキサン花」と説明・・・・散歩道にて>

 

<あじさいの花にも色々形があるようだ・・・・運動公園にて>


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「こんにちは」の挨拶

2022-06-04 08:21:56 | Weblog

<2020.06.04>

最近小中学生と道ですれ違う時に「こんにちは」と言う挨拶をされることが多くなった感じがします。

 

思わずこちらも「こんにちは」と言葉を返していますが、このあと何となく『清々しい』気持ちになります。

 

思い起こすに、この会った時の大人の人への『挨拶』は、私も小学生の時に先生から「近所の大人の人に合った時には挨拶をするんですよ」と、教えられた記憶があります。

 

もう70年も以上も前の事ですが、丁度戦後で民主主義教育が盛んに叫ばれていた頃ではなかったかと思いますが、近所の『おじさん・おばさん』に会うごとに、大きな声で「こんにちは!」と、半ば義務的?に言葉を発していた記憶がありますね。

 

このせいかどうかは、??ですが、私は「こんにちは」に代表される挨拶には、抵抗や恥ずかしさは余り感じません。

 

散歩の途中でも、すれ違う人には抵抗なく「こんにちは」と言って頭を下げていますが、殆どの人から「こんにちは」が返ったり、『ニコっと』されたり・・・・と、「ああ、挨拶して気持ちよかったなあ」と思うことが多いですね。

 

中には、こちらの挨拶に知らん顔をしたりする人も『まま』ありますが・・・・。

 

私はこの挨拶をするに際して、気分が乗らない時には、「挨拶したって減るもんじゃなし・・・・」と自分に言い聞かせては、出来るだけ挨拶をしているわけです。

 

今『こんにちは』を交わしている小中学生も、スタートは学校の教育の一環からだと思いますが、成人しても抵抗なく続けられるように『習慣』づけて欲しいものです。

 

何にしても、人と人のお付き合いは、この『挨拶』から始まるわけですから・・・・。

 

<あじさい・・・・我が家の庭にて>

 

<アマリリス・・・・我が家の庭にて>


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