<2013.02.28>
先日NHKのテレビドラマで、認知症の母親の介護に奮闘中の漫画家の物語があった。
認知症が徐々に進んでいくその過程をうまくとらえており、参考になるとともに、自分を重ね合わせて見て不安も覚えた。
このことについて少し書いて見よう。
もちろん自分も義理の母を認知症初期から重くなるまでの約3年間、そして84歳の最後を看取るまでつき合ってきた経験があるわけであるが、今回のドラマで特に自分の年齢もそう遠くはないと、非常に身近なことと感じたからである。
テレビドラマでも義母の例でもほぼ同じであるが、特に初めの状態では、認知症の気配があるかどうかは当然分からずに、おや!と思うことがポツと見え始め(もちろん「まさか そんな」である)、このような事が時々感じられるようになってくると、症状も少しずつ進んできて、おや!の回数が多くなってくるわけである。
私が経験している「おや!」は、症状の重い・軽いの時期は別にして、「同じことを何回も言い始める(言ったことを忘れる)」「幻想を言う(夜中に誰かが来た)」「つい先ほどの行動を忘れる(食事など)」「名前を忘れる(身内の者でも)」「もちろんつじつまの合わないことを言う」など、である。
専門的なことは分からないが、やはり忘れることが多くなると要注意の感じである。
ただ自分が不思議に思うことは、この自分が認知症になっていく過程が、なぜ本人が意識できないのだろうかということである。
他人から言われると「まさか自分に限って・・・・」とか「いや普通ですよ・・・」といった類となるのが一般的である。
そして知らず知らずのうちに、症状が少しずつ進んでいくんだろう(怖い こわい)。
一般の病気は、医者に診てもらうことでいやが上にも病気を意識してその対応に力を注ぐわけであるが、認知症は少なくとも本人に意識がないので、ずるずると重くなっていくのであろう。
このように見てくると、認知症は精神的なことが主であるために、手遅れになることが多いようであるが、早く医療的な処置を施すことで、かなり遅らせることもできるのではと思われるわけである。
「どうも最近忘れることが多くなった」と意識し始めたら、要注意信号と受け止め恥ずかしがらずに、医者に行くことを第一に考えた方が良いようである。
<春うらら・・・・水ぬるむ川べりを歩く>
<早朝散歩の時のラジオ体操場所・・・・4月からまたここで>
<道路工事・・・・鉄筋が建ちだした>