日々随想

日常の生活環境で活動したことや、感じたことを日記風に書いてみましょう

パソコンとの出会い~現在まで(5)・・・・講師としての心がけ

2008-05-29 23:08:34 | Weblog
<2008.05.29>


 講師としてのパソコン講座を担当することになりました。

 講座の内容は、IT化を普及することが主体であるためあまり難しい内容ではありません。
 WINDOWSの基礎的なことやWORD・EXCELで文章が作成できたり、あるいは表計算ができたり、年賀状の作成ができるということでした。

 一般的に言えば、最初の講師のときはあまり周りも見えず無我夢中でしたね。
 カリキュラムを作り、予定時間配分をおこない、終わった後は時間の経過をチェックしたりと、余裕がない分真剣さ?で補っていたようです。

 そうした中で気づいたことは、カリキュラムをすべてやり上げることはそれなりに重要ではあるが、受講生がそれを理解しなければ何もならないということでした。(当然のことですが・・・・)
 やはり慣れるまでは、このことになかなか気付かず自分中心で一方通行的な教え方だったようですね。

 ではどうしたかということですが、第1には受講生の気持ちや願望をつかむことでした。
 そのためには、講座開始前からあるいは休憩時間を利用して個々の受講生と、パソコン関係で興味を持っていることや何を学習したいのか、パソコンを持っているのかetc、について語り合うことでした。

 それからもうひとつ、習うより慣れろに力を入れたことや失敗体験を推奨しました。
(「一度失敗すると決して忘れません、失敗はどんなに立派な講師より優れた先生です!」と)

 あとは、テキストにプラスして黒板をふんだんに使って操作の順序をきめ細かく書きこれをメモしてもらったり・・・・ですね。
 (この操作の順序をメモして帰って復習したら、うまくいった、ようやく分かったと言って嬉しそうに話していた受講生もいました)

 このようなことをモットーに受講生になんとかパソコンの面白味を持ってもらおうと、続けていますが効果はあるようですね。


   <庭に植えた3本のきうり・・・・元気に育って>



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パソコンとの出会い~現在まで(4)・・・・リタイヤの後

2008-05-27 21:38:58 | Weblog
<2008.05.27>

アルバイト会社の2年間も終わり、いよいよ完全定年となりました。
半年間くらいは何となく過ごしていましたが、そのうちに身体も心もむずむずして来始めました。

そこで何かパソコン関係の仕事でもあればと思っていたんですが、丁度そのころは国をあげてのIT化の掛け声が上がっていた時期でして、市内のパソコン教室も講師の募集をしていました。
私の力からみて、いきなり講師は難しいだろう、先ずアシスタントからがいいだろうと思い、2・3の教室に問い合わせました。
でもなかなか色よい返事はありませんでしたね。やはり年齢(当時62歳)が問題だたようです。
そういう中で1社だけ、お会いしましょうと言われ面接に臨み「ではアシスタントから」ということで採用されました。
このきっかけが、今日までパソコン講座を中心に私の定年後の頭の体操になったり、多くの方々との出会いや語らいができるスタートとなったわけです。

 採用されたパソコン教室では、公的機関から受注したIT講座もおこなわれており諸先輩?にくっついてアシスタントをしていく中で、技術的な内容もさることながら、どのように教えたら受講生が満足するのか、特に興味を持ちながら体験することができました。

 アシスタントは約半年で卒業して、いよいよ自分一人で講座のカリキュラムを決め受講生に直接語りかける講師をやることになりました。



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パソコンとの出会い~現在まで(3)・・・・アルバイト期間

2008-05-25 13:57:53 | Weblog
<2008.05.25>

私は定年後、2年間別の会社でアルバイト(設計業務の手伝い)をしました。
その間にも勉強していたパソコンがだいぶ役に立ちました。特にEXCELの関数でVLOOKUPというのがありますが、この関数を使って製品に使う部品類の設計手配書の作成に応用しました。

これは製品に使うたくさんの部品類にコードNO.を付けてデータベース化しておき、手配書を作成する際にこのコードNO.と必要数量を入力することにより、データベースの中から部品の名前や定格・仕様などをパソコンで編集して手配書が出来上がるという仕組みでした。
従来の手書き手配などに比べてかなり能率的になったようです。

少し余談ですが、この会社では設計図の作成にオートCADという、コンピュータで設計図を引くシステムを導入していました。
少しこれにもと色気を示しましたが、CADへの挑戦は途中挫折でした。

次回からは、アルバイトも終わった後のパソコンとの付き合いについて書いてみましょう。


        < 水中花もどき >

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パソコンとの出会い~現在まで(2)

2008-05-23 23:07:52 | Weblog
<2008.05.23>

私が50歳を少し過ぎたくらい(今から20年くらい前か)あたりから、パソコンが普及するにつれて、社内外を問わず電子文書が多くなりましたね。
こうした中最初は、原稿を作って事務担当の女性に入力して貰っていたのですが、もう追いつかなくなりました。(一方では仕事の効率化が叫ばれており、手書き原稿を作ってそれを他の人がパソコンに入力するような二度手間的なことについて、問題指摘がされてもいました)

 それから私のパソコン学習が始まったわけです。
朝早く出社して文字の入力練習(皆さんも経験があると思いますが、私は文字を5行くらい入力するのに30分は位かかっていた記憶があります)、少し慣れてきたところで、今でいう表計算の練習でしたね。(何とか1・2・3というのもありましたよ)
この表計算が一応できるまで半年くらい費やしたと思います。

もちろんこれらの練習も、最初から自分一人でできるわけはなく後輩や事務の女性に分からないことを執拗に聞き、先生・先生と言っては教えを乞いながら、覚えていったわけです。
(覚える過程ではいろいろと壁にぶち当たりましたが、もともとパソコンに興味があったことと、途中なかなか操作がうまくいかないことが、何かの拍子に解決した時のあの感動の味が忘れられず続いたのだと思います)

このようにして何とかパソコンを使えるようになりました。
そうこうしているうちに、あることに気付きました。それはパソコンを使うと仕事のコラボレーションができるなということでした。
今では当たり前かも知れませんが、当時の私にとっては「こりゃ便利だわ」ということになりました。

資料は作らないといけない、一方では会議でなかなか時間が取れない、こういった時にどうしたかというとですね、定時間内には事務の女性に原稿を渡して入力して貰ってサーバに入れて貰っておき、私は会議に出席する、そして残業時間を使って私が続きを入力して完成させる。
手書きであると、どうしても書体に個人差が出て1枚の資料を共同作成することはできませんが、パソコンだと共同作成がいとも簡単にできるわけですね。

それから何年か経ち定年前あたりからは、もっとこのコラボレーション化も進み、各担当部署からの入力で1枚の資料を作成していく、ワークグループ方式(名前は?です忘れた!)のソフトも販売されてきたようです。
 現在は、IT化も更に進んでおり仕事のやり方も、もっと変化していることでしょう。




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涼しい夕食後の散歩

2008-05-21 20:55:42 | Weblog
<2008.5.21>

夕食後、家の外に一寸出てみましたが、涼しい風が吹いており日中の暑さに比べ非常に気持ちが良かったですね。

ついつい誘われるように、風を感じながら散歩道を40分ほど歩きました。
途中夕焼けもきれいで、水かさが低い川面には「ごいさぎ」が1匹遊んでいましたが、近づくと例によって飛び立ちさよならされました。
 また途中新緑に囲まれたイタリアンレストランでは、ランプの明かりの中カップルが何組か食事をしているのも見られ、この夕暮れを楽しんでいるようでした。


<夕暮れの川面・・・・
「ごいさぎ」水面に影を残し飛び立ったが、見えるかな?>

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パソコンとの出会い~現在まで(1)

2008-05-20 22:54:30 | Weblog
<2008.05.20>

私は仕事をリタイヤしておよそ7年になりますが、その間おかげさまで好きなパソコンと関わることで、頭をリフレッシュ出来たり、多くの方々と知り合ったりと定年後の時間を有効に過ごすことができています。
この私にとって飯の次に大好きな、パソコンとの出会いから今日までのいろいろな想いやエピソード?などについて何回かに分けて書いてみましょう。

そうですね私がパソコンと出会ったのは、50歳ちょっと過ぎだったですかね。
当時は仕事の効率化などのため、コンピュータ化が推進されておりましたが、大きな計算機による中央処理が主体で各現場は端末からのバッチ入力だったような気がします。
 それから少しずつオンライン処理化が進み、その主役になってきたのがパソコンを使用した、分散型処理でかなりリアルタイムにデータを見られるようになりました。
 そうした中でパソコンが普及し、文書もワープロ作成からパソコン作成そして表計算ソフトの出現も相俟って、資料の作成が徐々に手書きからパソコンによる作成へと変化してきましたね。
<以下(2)に続く>


   <写真のスライドショー編集画面>



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腰痛ですね(おしまい)

2008-05-18 21:43:12 | Weblog
<2008.05.18>

きつかった腰痛も8割方良くなってきました。
整形病院でレントゲンの結果骨に異常がないということでしたので、今度は整体院に2回通いましたが、これが良かったようです。

そこでは、腰から肩から首までマッサージと骨のずれの修正をおこないました。
整体院の先生の話を私流に勝手に解釈すると、少し骨がずれていたところに、ちょっとした体のひねり(今回ソファー上の小物を取ろうとして、わずかですが腰にピリッときました)で骨が神経網を刺激し続けた結果痛みが取れなかったようです。

やはりきつかったですね。階段の上り下り時のずり足や洗顔の時の片手による猫洗(猫さんごめんね)、朝起きた時のズーンとくる腰の痛み・・・・・。
ようやくこれらから解放されたようです。

先生の話によると、布団は固い方が良く枕も形や硬さが大事ということでした。
結果枕だけは、その整体院推奨のものを買って使い始めたところです。


  <鯛の粗煮・・今日は腰の調子も良かったので作った>


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ハウステンボス観光

2008-05-16 22:53:57 | Weblog
<2008.05.16>

5月15・16日の一泊二日で、会社OB同期のハウステンボス観光に行ってきました。
天気に恵まれた中、すぐ近くのホテルを拠点に2日間散策しました。
1日目は夕方に様子見的にただ歩くだけの小1時間でしたが、とにかく東アジアの観光客(韓国・中国)が多く、言葉の端々を耳にするにつけ、さしずめ外国に行っているようでした。

その夜は、ホテルの宴会部屋で皆で一献傾けたことは勿論、主目的でしたので・・・・。

2日目は、運河をクルージングしました。(¥600で30分位でしたかね)
ここはさすがに運河がはり巡らされており、運河をめぐりながら白鳥や回りの建物・景色見物を堪能いたしました。

船を下りて老友2人で、園内を徒歩で見て回りました。
これはどちらかと言えば、観光というより足の運動のための散歩といったところでした。
とは言え途中にベンチも整備されていましたので、よっこいしょと座って、おしゃべりでの憩いの時間も堪能できました。
(今日は修学旅行生が大変多かったですね)

最後は、腹こしらえに途中のレストランで食事(カレーライス)をして、午後1時前のJRで無事に帰宅いたしました。
(友人の万歩計では概ね1万歩を指していました・・・・ちょうど良いあんばいの散策でした)


      <花いっぱい・・・・きれい~>


      <この運河をクルージングで・・・・>




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ラジオはすてき

2008-05-13 22:51:43 | Weblog
<2008.05.13>

私は小さい時からラジオを聞くのが好きでした。勿論子供のときはテレビなどはありませんでした。
こんなことからラジオを聞きながら何かする、いわゆる「ナガラ族」でした。遊んだり、本を読んだりする時も良くラジオが鳴っていました。

こんな中、小学生の高学年だったか中学生のころでしたか、この頃から今でいうステレオ放送がテスト的におこなわれていたようです。
そのころは、もちろんAM放送だけでして、第1放送と第2放送の2つの波を使っての放送でした。(当時「立体放送」と呼ばれていたようだ)
当時の私は、この立体的な音に魅了されてしまったわけです。と言っても我が家にラジオが2台あるわけでもありません。
そこで隣の家から1台借りてきて、左右に並べて1台は第1放送、1台は第2放送にチューナーをあわせて聞き入っていました。(何かオーケストラ音楽だったと思います)
左右に分離されて聞こえてくる音は、私にとって本当に新鮮で忘れられない迫力あるものでした。
その後高校生になる頃から、洋画を中心にシネマスコープ映画が上映され始め、この音響の立体的な響きにも魅了されたことは言うまでもありません。

その後技術の進歩でFMステレオ放送が開始され、ラジオも1台で受信でき、この上ないうれしい環境となってきたわけですが、私にとってステレオ放送を愛するルーツは、子供のころにありました。

今でも音楽を聴きながらの「ナガラ族」を愛しているところです。


     <アンプとチューナ・・・・一応5.1ch>


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今日は母の日(天国の母へのわび状)

2008-05-11 14:20:41 | Weblog
<2008.05.11>

今日は母の日です。26年前に亡くなった母ちゃん(母)に感謝とお詫びの気持ちを込めてしたためます。

「母ちゃん、あなたは貧乏生活のなか、私たち5人の子供を無事に育てていただき本当にありがとうございました。
今では長兄77歳、末の妹59歳となり、おかげで皆元気に時々行き来して仲良く過ごしています。

私は三男坊でしたが、やさしかったが気丈夫なあなたと、勝ち気な私の間では、特に中学・高校時代に色々口げんかがありました。
あなたの言うことをあまり聞かず反抗的なことが多かったようです。

私が高校3年の時に就職先が決まってからも、喧嘩の折には「一時も早く長崎に出て行け!」「出ていく!」といったような言葉が交わされたこと、今でも心のすみに残っています。
 また就職してから2年目の正月に帰省の折だったですかね、再びこちらに戻る時に「身体には気をつけるんだよ・・・・」と何回も言われ時に、私が「もうわかっとる!」という口荒い言葉を返したこと、その後思いをはせるに何であんなきつい返事をしたのか、親の気持ちも理解せずに・・・、と悔やまれてなりません。

私も来年は70歳、社会の善悪を十分飲み込んだ年齢になりました。ずーと思っていたことですが、今日の母の日を機会にわがままであったことを、お詫びするとともに、天国でも生真面目であった父ちゃんをしっかり支えて上げてください。」



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