旧:鳳凰堂のランダムウォーカー <伏見の光>

2019.4.22以降、新規の主要な記事は新サイト「fusiminohikaru.net」
で書いています。 

懸賞 スカパー ヒストリーチャンネル

2013-02-03 20:49:31 | 懸賞
懸賞 スカパー ヒストリーチャンネル


 毎月実施。ちょっと面白い賞品だったりします。応募は基本事項のみで簡単。

 何度か当選したと思います。比較的確率が高いかも。

 スカパー、今、無料で見られますね。
 以前、F1をライブで見たかったりしてスカパーを契約していたのですが、結局、ほとんど見ないので解約してしまいました。

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特別支援教育 32 節分の鬼 3

2013-02-03 20:04:47 | 特別支援教育
 すごく興味は持つのだけど、すぐには一緒に活動に参加してこない場合っていうのはありますよね。
 そういう子はいきなり無理に活動に引っ張り込もうとしてもしょうがないんで・・・。

 どれだけこちらが面白い、興味をひくような活動なり取り組みを示せるか、それがヒットしたら、体調などにもよりますが、後からちゃんと自分で活動に参加してくる場合があります。
 もうバシバシとカラーボール(ボールプールのボール)をぶつけまくり。しかも、コントロールがよくて至近距離から鬼の顔面にぶち当ててくれたりすると、これはかなり痛かったりします。

 鬼がズンズン迫ってくると、怖くて必死に逃げまくるような子どもさん。
 あえて直接迫るのは控えめにして、周辺で他の子に迫ったりしていると、その様子を及び腰ながらよく見ている。で、日頃では見られないような素早い動きでボールをぶつけてきたりする。

 翌日、自宅で買った節分の豆のおまけについていた紙のお面をホワイトボードにはっておいたら、これは全然怖くない。怖くないばかりか、自分でお面を顔につけて「おにーーー」とか言いながら周りの人に迫ったりしている。
 これ、自分が鬼をやってるわけで、こういう力というのは、発達的にどうとらえたらいいのか、検討してみる意味があるように思います。

 怖いけど大丈夫なふり、だけどズンズン迫ってくると泣いてしまう、でも、そこから気持ちを立てなおして、ボールをぶつけてやっつける。
 こういう過程の経験っていうのは、経験そのものを広げるということもあるし、やはり「達成感」とか「誇り」みたいなのにつながると思うのです。

 ただ、てできた、ボールを投げた、やっつけた、ではない、一回怖くて泣いてしまったところから立ち直ってくるというところに意味があるように思います。

 目の前に鬼が迫ってくると、フッと顔をそむけて目を合わさない、これは「怖い」というのはちょっと違うかもしれないけれど、明らかに何か普段とは違う「異質なもの」「おかしなもの」を感じ取っているのでしょう。
 こういう場合は、しつこくそれでも迫るのではなく、多少はそれをしつつ、少し離れた位置で、他の子と鬼との関わりを見せるようにする。ということは、見やすい位置にいるということが重要。

 怖いというよりもワーワーと盛り上がりまくる子ども。盛り上がりすぎてもしょうがないというところもあり。
 こういう子の場合はやはり「間」というか「あれ?」「うわっ?」「どうして?」みたいな気持ちの動きを授業の展開の中でつくること、そういう気持ちを表現してくれるような中味を工夫したいところ。

 とか、色々思ったりしました。

 やはり、自分が中心になって、オリジナルの「これはいい授業だった」と思えるような授業をつくれなかったというのは、ちょっと残念・・。これからそういう機会がないとも言い切れませんが・・。

 おわり。
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特別支援教育 32 節分の鬼 2

2013-02-03 12:38:15 | 特別支援教育
特別支援教育 31 節分の鬼 2

 で、鬼がダーッと入ってくるわけですが、節分に鬼にかぎらず、いわゆる「やっつけもの」の場合は、このやっつけられるキャラが入ってくる場面というのは、丁寧にちょっと引っ張りながらしたいところです。

 例えば、暗幕をバーッと閉めて暗くする。しばらく暗い無音の時間があって、で、ピンスポがオン。しばらく、光が動くだけ。
 で、BGMが入って、私は「禿山の一夜」なんかをよく使いましたが、ドアにスポットライト。

 ドアがガタガタ鳴って、で、ダーッと入ってくるみたいな。

 これは、子どもらにはとりあえず最初は「うわっ!なんだ、なんだ!」と思ってほしいわけです。
 で、2回め以降は「きた、きた~」と思ってほしいわけです。気持ちが動くということですね。

 そういうドキドキ感なり期待感の演出があるとよいですが、それはただ、やかましく激しければいいというものではない。やはり「間」、そして繰り返し。

 それから、こういう授業の空間というのは、やはり、同じ教室であっても日常の生活空間とは違う異空間を創り出したいものです。

 が、今回はそんな演出もなく、口で自ら「禿山の一夜」のメロディを口ずさみながら鬼が登場。

 この時の個々の子どもらの反応というのはそれぞれ違います。

 例えば、嬉しそうにニコニコして鬼と握手してくれる子。ビビりまくって、後退りし、必死の表情になっている子。本当はちょっと怖いのだけど、とりあえず平静を装っている子、怖いというよりもやたらと盛り上がって大きな声を出している子、なんともないようでいて、鬼とは目線を合わさずに顔をそむける子、
まあ、ここのところの反応はそれぞれの子どもに応じて色々でしょう。

 さて、ここからが「鬼」の真骨頂というか大事なところです。

 丁寧に考えれた授業であれば、ここのところでの子どもらの反応、それぞれの力などから、具体的なねらいが定まっているはずです。

 そのねらいにそって、ただ教室の中をバタバタと暴れまわるのではなく、個々の子どもに合わせたはたらかかけ方の工夫というのを丁寧にしないといけない。

 今回の場合は、こういうことを吟味している暇もなかったのですが、それなりに個々の子どもらに合わせたはたらきかけ方をしました。

 で、もうひとつ重要なのは最後の終わり方。
 はっきりと「こうしたらやっつけられる。」というのがわかるものがよい。
 例えば、台の上に仁王立ちになっている鬼にボールをぶつけて、鬼が後ろのマットにドーンと倒れたらおしまい、とか。
 今回は適当にしょぼしょぼと教室から退場してしまいましたけど。

 さて、結果的に4回したこの授業、実は、というか当然、初回と4回目では、子どもの見せる表情とか動きが随分違っていました。
 このあたりはなかなか面白かったです。

 つづくよー。


  
 






 
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特別支援教育 31 節分の鬼 1

2013-02-03 11:30:53 | 特別支援教育
特別支援教育 31 節分の鬼 1

 ということで、先週はちょっと事情がありまして、「節分の鬼」を4回させていただきました。

 4回も続けてするつもりはなかったのですが。1回、せいぜい2回の予定でした。

 まあ、これはベタなネタです。

 お面をかぶって出てきた鬼を、子どもらがボールをぶつけてやっつけるという、それだけの内容といえばそうです。

 幼児期の発達段階にある子どもたちの場合、別に同じ展開の授業を何度も何度も繰り返す必要はあまりないように思います。同じ単元の中でも新しい内容も含めて授業内容を発展、展開していけるように当初の授業計画の段階から考えるのが一般的でその方がよい場合が多いでしょう。

 が、今回はちょっと臨時的ということもあって、結果的にはほぼ同じ展開を繰り返す形になりました。

 授業の展開そのものは大きく変わらないのですが、変わったのは子どもらのリアクションの方でした。

 その前に、授業で大事なポイントの一つはやはり「間」だなと改めて感じたりしました。

 まず最初に入ってくるのは、鬼ではなく、チャーリー。チャーリーってなんやねん?。これ「チャーリーとチョコレート工場」という映画から来てます。

 懸賞でこの映画のグッズの帽子が当たったのです。シルクハットではないけど、高さがある帽子で、これ一つかぶるだけで、雰囲気ができたりします。
 前の学校でもよく使ってました。

 で、このチャーリーがギターをもって出てきます。扉をどんどんと叩いたり、窓をバンバンたたいたり、カーテンだけふわーっと動かしたりと、いきなりは出ずに、ちょっとびびらす。
 「うわー、鬼が来る~」と思ったら違った・・・、みたいなギャップをちょっとねらってます。このあたりのはたらきかけも、またベタです・・。

 で、授業でこういうキャラクターを演じる時は、まあ、そんなに扮装、「かぶりもの」に凝らなくても初期のねらいは達成される場合が多いと思いますが、やはり、その口調とか動きなんかは日常の言葉かけとは違った独自のキャラクターを設定したいものです。

 ここで、別にこういう授業に限らないですが、注意したいのは、あらかじめ考えた展開、流れどおりに授業をすすめようということを意識しすぎないこと。無論、あまりに行き当たりばったりでは困るわけですが、授業を流すことに意識がいきすぎると、授業の中での子どもの姿が見えにくくなったりしますので。
 授業で大事なのは、計画どおりに授業を流すことではなくて、授業のねらいを達成することですから。

 なので、キャラクターに扮した時には、意識的にかなりゆっくりめにしゃべる、動く。その時々の子どもの様子なども見ながら、丁寧にはたらきかけを行うようにしたいものです。

 例えば、わざとしゃべらない、無言の「間」をつくる、動作だけで見せる、そういう中で子どもら自身が考えるような時間をつくったりするなどのことは、授業のアクセントとして、あるいは、ねらいを達成するための方法として意味がある場合があると思います。

 ということで、次に鬼が登場します。
 鬼は七色の髪の毛のかぶりものに、100円ショップのプラスチックの青鬼のお面、あと、青色のハッピといういでたち。そんなに大した扮装ではなく、10秒ぐらいで準備できます。

 つづくよー。 
 






 
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投資本、これを読め 3 まぐれ

2013-02-03 08:23:28 | 株式投資・資産運用
まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
ナシーム・ニコラス・タレブ
ダイヤモンド社


 この「まぐれ」という邦題はなかなか秀逸だと思います。

 が、個人的な感覚で言うと「投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」という副題の「運」という言葉は少々自分の感覚にはそぐわないのです。

 というのは、これだと「運」というなにかしらのものがあるように思えるので。

 まあ、感覚的なものですが、「運」よりも、この邦題の「まぐれ」、あるいは「たまたま」「偶然」、あるいは「確率的必然」というような言葉の方がしっくりきます。

 タレブ氏の言い回しはなかなか難しいところがあり、本書の内容すべてを一度でスッキリと理解するのは難しいところがあります。

 が、投資ということに関わって言うならば、本書は投資における「まぐれ」の意味について、あらためて考えさせてくれる機会になります。

 買った株が騰がり、利益が出ることが続いたりすると「俺って、けっこううまいかも」などと、妙に自信過剰になったり、なにか実力があると勘違いしたりすることがあります。ところが、それらのほとんどは勘違いで、「結果オーライ」か「たまたま」「偶然」「まぐれ」にすぎません。

 期待値は低いにしても、宝くじは誰かに一等が当たります。それは確率的必然であり、同時に人の側でその当選をコントロールすることはできません。

 同様に、投資において極端なポジジョンを取り、それが成功して大きな利益が出ることがあるのも必然です。同時にそれは大きな損失が出る場合があることでもあります。なので「○億儲けた」人が出るのは、それ自体は当然のことであり、別にその儲けた人に「実力」があったわけではない場合が多いかと思います。

 投資において、この「まぐれ」というのはかなり重要だというのが実感です。

 私たちに可能なことは、「まぐれ」の可能性を整えることと、逆「まぐれ」、大きな損失を被るような可能性を低くすること、そして「まぐれ」に巡り合ったらそれを生かすことではないかと思います。

 例えば、IPOの人気銘柄の公募、「どうせ当たらないわ」と申し込まなければ決して当たることはありませんから。



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