山頭火が熊本市から旅に出ます。
旅と言っても乞食行脚です。
熊日新聞に連載されています。
おもしろいです。
熊日新聞を無断スキャンしました。
(熊日新聞の宣伝ですから、いいでしょう~?)
「焼き捨てて日記の灰のこれだけか」
山頭火の日記・・・(行乞記から)。
昭和五年九月九日 晴、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中)
私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。
七時の汽車で宇土へ、宿においてあつた荷物を受取つて、九時の汽車で更に八代へ、
宿をきめてから、十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。
(ゲルト=ドイツ語でお金)。
同宿四人、無駄話がとりどりに面白かつた、殊に宇部の乞食爺さんの話、
球磨の百万長者の慾深い話などは興味深いものであつた。
(吾妻屋・一泊三五銭、中程度)の意味です。
「朝は涼しい草鞋ふみしめて」
昭和五年九月十日 晴、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋(四〇・上)
午前中八代町行乞、午後は重い足を引きずつて日奈久へ、
いつぞや宇土で同宿したお遍路さん夫婦とまたいつしよになつた。
方々の友へ久振りに――ほんたうに久振りに――音信する。その中に――
・・・・・私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅に出ました。
・・・・・歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます・・・・・。
温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、
出来ることなら滞在したいのだが、――いや一生動きたくないのだが。
(それほど私は疲れてゐるのだ)。
昭和五年九月十一日 晴、滞在。
午前中行乞、午後は休養、此宿は、夫婦揃つて好人物で、
一泊四十銭では勿体ないほどである。
昭和五年九月十二日 晴、休養。
入浴、雑談、横臥、漫読、夜は同宿の若い人と共に活動見物、
あんまりいろゝの事が考へ出されるから。
「かなかなないてひとりである」
昭和五年九月十三日 曇、時雨、佐敷町、川端屋(四〇・上)
八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、
三時間行乞、やつと食べて泊まるだけいたゞいた。
此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな深切だつた。
夜は早く寝る、脚気が悪くて何をする元気もない。
「炎天のしたを何処へゆく」
行乞記 (山頭火) ←クリック。