日時・・・2002年9月17日。
場所・・・北朝鮮・平城。
参加者・・・金正日。獏(ばく)首相。 獏:他人の夢を食う動物。
「外相を首にしたら、俺の支持率が急激に落ちた」。
「それがどうした」。
「支持率を回復するために、お前(金正日)の協力が必要だ」。
「どんな協力だ」。
「拉致被害者を帰して欲しい」。
「全員帰すのか?」。
「数名でいい。後は国交回復後でいい」。
「分かった。数名帰したら、何をしてくれる」。
「資金援助だ。日本国民は税金の使い道には無頓着だ」。
「数名でいいんだな!」
「数名でいい。とりあえず支持率回復だ」。
金賢姫さん(大韓航空機爆破実行者)の告白本が、
日本で翻訳出版されたのは、1991年10月1日でした。
それから、11年後の2002年9月17日に突然の小泉訪朝でした。
金賢姫さんが、拉致された人々を助けて欲しいと叫んでから11年後です。
11年間、日本政府は”北朝鮮による日本人拉致”を隠し続けました。
金賢姫さんの著作。(著書の中で日本人拉致を書いています)。
1.いま、女として。(金賢姫全告白) 1991年10月1日初版発行。
2.愛を感じるとき。 1992年12月15日初版発行。
3.忘れられない人。(李恩恵先生との20ヶ月) 1995年6月初版発行。
たった一人のアメリカ将校を召還するために、
アメリカの自尊心をかけ、国民すべてが力をそそぐのです。
日本政府も、田口八重子さんを早急に助けるべきです。
(金賢姫さん)
1987年11月29日、大韓航空機爆破事件が起こりました。
北朝鮮の工作員のテロ事件です。
爆弾を仕掛けた金賢姫さんは、服毒自殺を図りましたが生き残りました。
金賢姫さんが、爆破テロ、日本人拉致、を告白してから、
小泉訪朝の2002年9月17日まで15年もかかりました。
この15年間、日本政府は”拉致事件”を知りながら、何もしませんでした。
2002年9月17日の小泉訪朝から、また、15年が経過しました。
政府は、拉致担当大臣のポストを作っただけで何もしません。
※ たった一人のアメリカ将校を召還するために、
アメリカの自尊心をかけ、国民すべてが力をそそぐのです。※
(金賢姫さん)
田口八重子さん救出に、日本人は今こそ、全力をあげるべきです。
(金賢姫)
日本人になりすまし、大韓航空機を爆破しました。
北朝鮮には、日本から多くの若い人が拉致されています。
1987年12月に告白しました。
小泉が訪朝したのは、2002年9月17日です。
私が告白してから、15年後です。
日本政府もマスコミも、15年前には拉致事件を知っていました。
それなのに、15年間も、小泉訪朝までの15年間も、
公にしなかったのです。
日本の自衛隊も日本の警察も武器を持っています。、
武器を持っているだけです。両者とも、使用することが出来ません。
北朝鮮の工作員がなめるのも当然です。
堂々と日本に乗り込み、堂々と日本人を拉致します。
日本政府は、日本人が拉致されているのを知っていたのです。
知っていながら、”過ちは繰り返しませんから”。
この言葉に縛られているのです。
※ 安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませんから ※
原子爆弾を落としたのは誰ですか?
原子爆弾を落としたのは何処の国ですか?
この文字から、日本国は北朝鮮になめられ、日本人を拉致されたのです。
パール判事の言葉。(下)
※ 日本の子弟がゆがめられた罪悪観を背負って、
卑屈、退廃に流れてゆくのを私は見過ごして
平然たるわけにはいかない。(パール判事の言葉)