磐梯高原緑化の父

遠藤現夢(えんどうげんむ、本名:遠藤十次郎 1864~1934)

 今回、裏磐梯(最近では磐梯高原と呼ばれることが多くなっている)で撮影した写真を掲載するにあたり、キャプションの出来る限りの正確を期するために調べている中で出会った名前である。

 1888年(明治21)7月15日の磐梯山大噴火により秋元、細野、雄子沢(おしざわ)の3集落が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれに押しつぶされ、堰き止められた長瀬川とその支流により同年年末には旧・檜原本村が水没してしまった。それから数十年、裏磐梯一帯は荒地のまま放置された。

注:5月10日掲載の記事に「山の左側が1888年(明治21)7月15日の大噴火時に吹き飛んだ部分」と書いた。かつては空気爆発により山が吹き飛んだと考えられていたが、最近の研究により、噴火や同時に発生した強い地震動によって山の一部が大規模に崩壊する山体崩壊があったと考えられるようになったとのこと。

 噴火から数十年後、一人の男が裏磐梯一帯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、約2年をかけて1340haに及ぶ土地にアカマツ・ウルシ・スギ等の苗木10万本の植林をなしとげた。その男が遠藤現夢である。遠藤現夢が私財を投げ打って植林しなければ、色とりどりの緑に覆われた現在の磐梯高原は存在していなかったということなのである。
 

 今日の一枚は、秋元湖と磐梯山。郷秋<Gauche>が裏磐梯を訪れてから早や一週間。今の裏磐梯の緑は、更に濃くなっていることだろ。
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