唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
「日本のいちばん長い日」と父
ここ数日、ネットの端に「日本のいちばん長い日」と云う映画の宣伝が載っているのが目に入る。半ば本能的に避けていたのだが、それが1967(昭和42)年に公開されたものではなく、明後日に封切られるリメイク版であることを知った。
1967年、中学一年であった私は父に連れられて「日本のいちばん長い日」を見た。何故息子である私を連れて行ったのかは知る由もないが、1926(大正15)年生まれの父の青春時代はまさに戦争のさなかであり、戦争に翻弄された世代であった。
父が書き残した本によると、父が「日本のいちばん長い日」で描かれる玉音放送を聞いたのは、陸軍熊谷飛行学校に入校するよう指示された日の一週間前の事であったらしい。もう少し戦争が長引いていれば、わずかな飛行訓練の後に特攻隊員として二十歳の命は空に散り、私がこの世に誕生することも無かったかも知れない。
8月15日の敗戦により、若くして死ぬことがなくなった代わりに、飛行機乗りになりたいと云う夢もついえた父であったが、それ故か死ぬまで飛行機が好きな父でもあった。原発事故による拙宅での思わぬ避難生活を別にすれば、最後の上京となった私の長男の結婚式の翌日にも、飛行機が見たいとせがまれ開業間もない羽田空港の国際線ターミナルに連れていった。まだ寒い時期であったが、展望デッキで飽くことなく飛行機を眺めていた父を思い出す。
自分の人生をある意味狂わせた戦争、その戦争終結となった日を描いた「日本のいちばん長い日」は、父としては見ないではいられない映画であったのだろう。ネットの端に載る映画の広告から、飛行機好きであった父を思い出した。私の飛行機好きも、結局は父の血を引いている証しと云う事になるのかも知れない。
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