玉川学園商店街の40年

 新宿から小田急線に乗って30分(40年前には42、3分かかったように記憶していますが、新百合ヶ丘駅ができ、快速急行が走るようになってから近くなりました)の「玉川学園前」。大学入学と同時に住み着いた学園街です。普通は4年程度で想い出の街になるわけですが、何故か42年も界隈を徘徊することになってしまった学園街です。

 ちなみに、武蔵野丘陵に南端に位置する谷あいに出来た街で、最初に住んだのが谷の最上流側でしたので、商店街(駅)方面を「学園下」と呼んでおりました。卒業生が懐かしいだろうと、Facebookのグループページ用に思い出しだし書いた、飲食店を中心に42年の変遷を書いた独断と偏見に満ちた記事です。

 超ローカルネタですが、懐かしく思い出される方が少しでもおいでならと、初出に若干追加し、差し障りないようリライトしたものを二回に分けて掲載いたします。と云うか、私的アーカイブ。

学園街の変遷-飲食店を中心に-
その壱(南口・OX側)新宿寄りから順に
(☆は今もある店 ★が無くなった店)

 ☆うぃすかあ=フィンランドIIとして開店しましたがその後「うぃすかあ」に。オーナーが変わったようですが半分ギャラリーのようになって健在のようです。大きな丸テーブルの席で良く「ミーティング」をしました。
★もみの木=トルコライス大盛り!が名物でしたが随分前に無くなっています。跡地にあるのがファインエステートですか?
★歩歩=クラブではあまり行きませんでしたが、一人、もしくは二人で良くココアを飲みに行きました。スキー部のたまり場でしたかね。随分前に閉店しましたが、建物は健在。
☆イタリアーナ=大グランド寄りの二階にあったイタリアーナDue は無くなりましたが本店は健在で繁盛しています。シチリアの片田舎のトラットリア風が懐かしく今でも時々行きます。
★蔵人=小さな居酒屋。良く飲みに行きました。教育実習中に飲みに行って二日酔いになったっけ(^^; 建物取り壊しで消滅。今、センチュリー21がある場所だったか。
★龍門=カウンターとテーブル1、2の中華料理店。良く食べたのは中華丼とザーサイ丼。ラグビー部のたまり場でしたね。
☆風月堂=パン・ケーキ屋さん。二階に喫茶室がありました。立て替えて健在。二階は建て替え後に入ったマ・メゾン、洋琴房を経て今はスペイン&イタリア料理店。
☆花いちもんめ=出来た時には和風ラーメン屋だったような記憶がありますが、今ではすっかり居酒屋。
★松月庵=そば屋。おやじさんが歳になり閉店。隣の八百屋、大岡山でバイトをしていた時にはここで夕食を食べさせてもらいました。ちょっと前まで東京チカラめしが入っていましたが今はどうなっていたっけ?
☆スマイル=松月庵の二階にあったスナック。店内の感じは随分変わっていますが健在です。
★チコリ=同期のAくんが大得意でしたね。独特のピラフ?が結構美味しかった。何度か違う店が入り今は空き家のようですが、外壁に「チコリ」の文字跡が残っています。
★フィンランド=練習の後に度々行きましたね。いつも空いていたので大勢で行き随分騒いでいましたがさして迷惑でもなかったか?今はもうありません。青葉台の三菱化学の前にあった本店も閉店。
★ジロー=何度か店が入れ替わり今は再びイタリアンっぽい店が入っています。
☆朱鞠=肉屋の上の奇跡のとんかつ屋。なんと健在です。店内も40年前から変わっていません。ここのお世話になった人は多いかも。とんかつ屋だけど私は生姜焼きしか食べた記憶が無い(^^;
2019年2月現在の情報:親父さんが亡くなり息子さんが跡を継いでいるとのこと。店内は40年前のままらしい。
★きうらぎ=居酒屋。学生時代は行かなかったかな。再開発のために取り壊し。ただいま(多分小田急が)ビル建設中。
★養老の滝=一度くらい行った?今はもうありません。
★インバーハウス=某S氏がお得意のスナック?辛さが選べるカレーが売りでした。
【明日に続く】

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