山中湖エリアでの聖地巡りを完了して、国道139号線を本栖分かれまで一気に移動、国道300号線本栖みちに折れて、すぐ右手にある上図の本栖歴史館に立ち寄りました。去年のマイカー巡礼時に立ち寄った際に休館日でしたので、そのリベンジでした。幸い、今回は開館していました。
二階の歴史展示室に上がり、上図の球形ガラスの展示に近寄りました。近くにある中世戦国期の城郭遺跡、本栖城跡の模型です。
本栖城跡へは、昔、甲府の歴史団体に参加していた時期に、一度登ったことがあり、その時に望んだ富士山の美しい姿が、いまも記憶に残っています。
城跡のある山を立体表示して、城跡の範囲を着色して示してあります。
御覧のように、主な郭や平坦面が薄緑色で表示されています。実際はもっと平坦面があって、かなり複雑な内部空間構成であったようですが、この模型では省略されています。
この本栖城は、戦国期に甲斐を治めた武田氏が、国境に配置した防御拠点の一つとして築かれたとされ、在地武士の渡辺氏が武田氏に属してこの城にも拠ったと言われています。
在地武士の渡辺氏は、当地に設けられた関所の運営にもあたっていました。戦国期から江戸期に至るまで街道筋の監視および防御の拠点として機能した関所ですが、実際は番所というほうが近かったようで、その役人を警固役、もしくは御番人と呼びました。
その本栖関所の復原模型です。母屋が一つだけの、民家のような外観ですが、現在でいうと空港の税関のような役目を果たした施設です。江戸期にはいわゆる「出女、入鉄砲」を禁じて通行手形改め、身体検査、交通料徴収などを行っていました。
その関所がおかれた街道とは、現在の国道300号線本栖みち及び国道139号線で、両者の交接点に関所が置かれていたわけです。双方とも中世戦国期から機能している古い交通路であったことがよく理解出来ます。
お馴染みの浩庵にもちょっと立ち寄りました。
ですが、本栖湖の向こうの富士山は全然見えませんでした。残念。
国道300号線本栖みちの展望所で一休み。
あの谷間あたりが富士川、身延町でしょうか。
聖地中の聖地、本栖高校の下に着きました。常幸院の駐車場わきには設置されたばかりの「ゆるキャン」自販機がありました。
計4基が並んでそれぞれの図柄がラッピングされていました。飲み物を買って、当たりか出たら「ゆるキャン△」グッズが貰えるというキャンペーンが実施されるようですが、既に気の早いファンが買占めに来ていたようです。
私自身は、そういう当たり景品のグッズ類には興味が無く、買占めに走ること自体が自販機設置の趣旨にそぐわないだろうと考えますので、キャンペーンそのものには距離を置いていました。むしろ、当地にあまり自販機がありませんから、ここの新たな自販機は地元住民にとって有意義であろう、地元の方々の利用を優先させるべきであろう、と思います。
このお寺はいつも留守なので、今回は境内に入ってゆく気がせず、門の内外を回り、とりあえず本堂本尊に向かって一礼するにとどめました。家の宗派もこのお寺と同じであるからです。
門の両脇に侍立する金剛力士の石像です。元モデルが分かってしまう顔つきです。
門の袖塀の裏の奉納絵馬棚です。ほとんど「ゆるキャン」巡礼者の絵馬で占められています。それ以外の参拝者の絵馬はあまりありませんので、絵馬奉納自体がもともとは無く、「ゆるキャン△」のブームに乗じた産物の一つであることが分かります。
なにしろ、曹洞宗の禅刹にこのような絵馬が大量にあるという事例は京都でも見たことがなく、総本山の越前永平寺でも見かけませんから、「ゆるキャン△」ブームというのがここのお寺にもかなりの影響を及ぼしている構図が明快に分かります。それが今後にどう繋がるのかに注目したいところです。
寺から退出する際、例の自販機に商品を補充している業者の車を見かけました。その運転手が私を「ゆるキャン△」巡礼者とみて軽く会釈してきましたので、つられて頭を下げ、ついでに「売れていますか」と訊ねてみました。
すると、「他よりは売れてますね。品切れもありましたんで・・・」という返事でした。挨拶代わりにコーヒー飲料を一つ買い、本栖高校を後にしました。 (続く)