気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く6 その11  諏訪高島城

2019年05月16日 | ゆるキャン△

 JR上諏訪駅で降りて、連絡橋を使って駅の南口に移動しました。そこのロータリーから左手に進んで次の辻を右折すると、上図の広い並木道に出ます。かつての高島城の大手道であった、「縄手」と呼ばれる大手門前欅並木道で、欅が今も並んで歴史をしのばせます。

 

 これが江戸期の古絵図に描かれた、「縄手」と呼ばれる大手門前欅並木道です。欅の並木もそのまま描かれており、北に向けられた玄関口の桝形は「柳口」と記されています。柳の木があったのでしょうか。

 

 途中で「三之丸川」と呼ばれる運河のような川を渡りました。城域の二の丸と三の丸とを隔てる濠としての役目ももち、城の船着き場が設けられていた川です。

 

 これが古絵図に描かれた「三之丸川」です。上が三の丸、下が二の丸で、二の丸の川沿いに天神社などの神社が三つ並んでいます。天神社の隣に船着き場があり、「舟小屋」と記されています。「三之丸川」は諏訪湖に通じていたため、城内からの水運路としても機能していたようです。

 

 二の丸の東側の路地を進んで、本丸に近づきました。

 

 本丸の石垣塁線の北東隅、鬼門を護る角櫓が、復原されています。水濠は江戸期以来の規模をほぼ伝えているとされます。

 

 角櫓から西に塁線をたどれば、本丸大手門にあたる冠木門への木橋、そして天守閣へと繋がります。

 

 志摩リンがこの濠端の道をビーノで走っていったわけです。

 

 天守閣です。昭和45年に復興されたもので、明治に破却解体された旧天守閣の面影をほぼ継承しているとされていますが、細部意匠はかなり異なっています。

 

 本丸の大手門にあたる冠木門。これも昭和45年に復興されたものです。

 

 冠木門脇の石垣を見ました。御覧のように、内側は自然石をそのまま積んだ野面積みで、外側の稜線部分にのみ加工石を用いて綺麗に組み合わせています。

 

 古絵図にみる本丸地区は、現在も残る石垣塁線や水濠の構えと一緒です。高島城跡が、全国的にみても遺構保存度が良いほうの城跡であることが理解出来ます。  なお、本丸の中に二重線で囲まれた区域があり、「御本丸御殿」と注記があります。文字通り、本丸御殿の区域を示しています。

 

 「御本丸御殿」の精密な絵図を元にした、平面図です。二万七千石の城郭の御殿としては立派な構えであり、玄関口の横には能舞台までありました。この能舞台は、明治の廃藩置県にともなって移築され、現在は諏訪市内の温泉寺の本堂になっています。けっこう見応えのある立派な建物です。

 

 天守閣に向かいました。

 

 天守閣の内部は郷土資料室および高島城史料室になっています。要するに歴史博物館の一種ですが、個人的にはこういった施設が大好きです。歴史好きとしては、ワクワクしてしまいます。

 

 さきに紹介した高島城の古絵図も、天守閣内に展示されています。諏訪湖の東岸の干拓地の泥海の中に縄張りが敷かれ、下から上へ、本丸、二の丸、三の丸と並びます。城下との連絡ルートは、三の丸からさらに北へ延びる大手前欅並木道のみであった様子がうかがえます。

 

 城下町は、御覧のように北に位置し、甲州街道沿いに街並みが東西に広がって宿場町としても賑わっていた様子が知られます。現在のJR上諏訪駅の北側の旧街区にあたります。
 このように、歴史やかつての状況を知ることで、高島城散策もより楽しくなると思います。「ゆるキャン△」聖地巡りだけで終わってしまうのは、ちょっともったいないですね。  (続く)

 


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伯爵高校 38(t)戦車(7号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その3

2019年05月15日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3です。左側フェンダーの各部品、背面部のマフラーなどを取り付けます。ガルパン仕様への工作も幾つか加わります。まず左側フェンダー上の雑具箱は作中車にありませんので、53から56までのパーツは不要です。50および51も作中車にありませんので不要です。
 マフラーの排気口は向きが上になりますので修正し、背面のフック47および48、49は形状が大雑把なので、ドラゴンの同パーツに交換します。

 また、作中車にあってキットのパーツにないものとして、背面の発煙筒およびその保護ボックス、背面のエンジン軸穴カバーなどがありますので、これらもドラゴンのジャンクパーツから転用します。

 

 ステップ3で取り付けるパーツ群です。不要なパーツを除き、48と49をドラゴンのパーツに交換しています。

 

 改めて作中車の状態を見てみましょう。御覧のように、背面の発煙筒およびその保護ボックス、背面のエンジン軸穴カバーがあり、D形のフックもキットのパーツのような大雑把な形でなくチェーンもついていません。
 これらは、だいたいE型以降の特徴ですので、作中車の元モデルはタミヤの1/48スケールE/F型あたりに近いのかな、と思います。

 

 作中車に合わせて、背面の発煙筒およびその保護ボックス、エンジン軸穴カバー、フックなどをドラゴンのジャンクパーツより転用しました。以前にカメさんチームの38(t)戦車をドラゴンのG型のキットで製作した際の不要パーツのなかに、E型およびF型用のパーツも豊富に含まれていたため、今回色々と役に立ちました。

 

 マフラーから伸びる排気管も、斜めに向いていたのを、いったんカットして作中車に合わせて上向きに直しました。そのうえで、ピンバイスで開口部を浚っています。

 

 パーツ50、51が不要なので、それらの取り付け穴4つは後で埋めました。

 

 ステップ4では、砲塔を組み立てます。兵士フィギュアは不要です。

 

 砲塔の各パーツです。砲塔本体パーツ61に一体成形でつくペリスコープの形状が大雑把なので、カットしてドラゴンのパーツに交換します。38(t)戦車のペリスコープは、防水カバー付き、防水カバー無し、の2種類があります。

 

 御覧のように、作中車のペリスコープは、防水カバー無し、のタイプです。

 

 したがって、防水カバー無しのペリスコープをドラゴンのパーツにて再現しました。

 

 あとは、ガイドの指示通りに組み上げました。伯爵高校チームの38(t)戦車は、カメさんチームの同型車と違って謎仕様や各型のごちゃ混ぜデザインがありませんから、割とストレートに作れます。細かい追加や修正の工作も必要ないので助かります。

 伯爵高校チームには、他にⅣ号戦車G型、Ⅲ号戦車N型、Ⅲ号突撃砲G型などがあり、これらはタミヤ製品などでのストレート組みも可能ですから、今回の38(t)戦車よりももっと気楽に作れるでしょう。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く6 その10  山梨から長野へ

2019年05月14日 | ゆるキャン△

 いわま写真館を退出した後、近くの温泉施設「六郷の里 つむぎの湯」に行きました。山梨県内には温泉施設が幾つかありますが、甲斐岩間地区ではこちらの施設が知られています。

 

 アルカリ性低張性温泉で、効能のひとつが疲労回復です。ふわりと身が軽くなった気がして、入浴後に広い和室の休憩室で横になるや、ストーンと寝てしまい、30分ほど眠ってしまいました。
 ですが、その後は気分が爽快で、甲府へのドライブも楽しいものとなりました。
 「六郷の里 つむぎの湯」の公式サイトはこちら

 

 甲府駅前のタイムズさんへは19時40分に帰り着きました。レンタカーを返却し、その足で甲府駅ビル「セレオ」の5階のサイゼリヤへ行き、夕食をとりました。
 夕食後は甲府駅のみどりの窓口に行き、明日の切符を買っておいたうえで、駅の北口近くの宿に行きました。

 

 今回の宿は、前回泊まったのと同じ「ホテルクラウンヒルズ甲府」でした。上図は、部屋にてチェックして並べた、この日の購入品です。全て「ゆるキャン△」グッズです。実用品ばかりです。最近の私は、聖地巡礼やアニメショップ巡りで購入する品物も、なるべく実用品を選ぶ傾向が強くなっています。

 この日の夜は、温泉効果で身体がポカポカしていたためもあって、気持ちよく眠れたと思います。

 

 翌朝は6時過ぎに起床、6時半に宿のバイキング朝食を楽しみ、7時には部屋に戻って荷物をまとめたり、タブレットで調べものをしたりして過ごしました。そして7時50分に宿を出発して、甲府駅に行きました。

 

 ここから長野県の上諏訪まで鉄道利用で移動する予定でした。長野行きのホームに入ると、その東側は身延線のホームに続いていました。

 

 ホームからは、甲府城の北側にある山手御門の復原建築が見えました。あのエリアはまだ未訪のままです。

 

 身延線のホームに近寄ってみました。既に列車が待機していました。あれに乗れば、「ゆるキャン△」の聖地群に行けるわけです。

 

 戻る途中で南側を見ると、以前に登った甲府城の本丸部分が見えました。旧城域が中央本線および甲府駅によって南北に分断されているのです。

 

 さて、今回乗ったのは、8時16分発松本行きの普通列車でした。次発の8時28分発の特急あずさに乗ることも検討しましたが、所要時間が約30分短くなる反面、料金は倍になります。急ぐ旅でも無かったので、のんびりと各停の普通列車で行く事にしました。

 

 途中の駅のひとつ、日野春。この前後の南アルプスの景色がなかなか見応えありました。

 

 こんな感じで、左側の窓の外に南アルプスが横たわり、少しずつ後ろに流れてゆくのでした。

 

 小渕沢駅の前後においては、右の窓から八ヶ岳連峰の白い稜線を眺めていました。

 

 長野県との境に近づくにつれて、八ヶ岳も次第に後ろに流れ、見えなくなりました。

 

 目的地に着いたのは、1時間14分後の9時30分でした。降車後に、乗ってきた列車を撮りました。

 

 上諏訪駅です。「ゆるキャン△」の長野県の二大聖地エリアの一方、諏訪エリアの玄関口にあたります。ここから、志摩リンがビーノで巡った諏訪高島城、片倉館、霧ヶ峰高原などへ行けます。  (続く)

 

コメント (1)
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ゆるキャン△の聖地を行く6 その9  本栖高校、常幸院、いわま写真館

2019年05月13日 | ゆるキャン△

 雨畑地区を出発、聖地スポットのトンネルを逆に抜けて、もと来た道を戻りました。

 

 雨畑湖の周囲の道は、けっこう幅があります。路駐も出来るほど広いですが、安全のため、路駐は止めましょう。

 

 早川町役場の前を通り、ふと思いついて車を駐車場に入れ、上図の写真を撮りました。原作コミック第7巻44ページ2コマ目の元景色であるからです。
 志摩リンがここを走っている時に、斉藤恵那から連絡が入り、リンが「やっと起きたなねぼすけめ」と言っています。その時刻が10時30分となっているので、上図の夕方近くの景色とは、光の角度が逆になっているはずです。

 

 一気に、本栖高校に「登校」しました。正確には旧下部中学校跡、です。

 

 校門から中に入りました。まずは校舎に相対して建物を見上げましたが、次の瞬間に全ての窓に何かが貼られているのに気付きました。

 

 よく見ると、全部「ゆるキャン△」のアニメの各シーンでした。窓の大きさに合わせて、レイアウトもパターン化しているのが面白いです。去年の春に来た時はありませんでしたから、それ以降の何かのイベント時に貼られたのでしょう。

 

 出入り口の内部には、各務原なでしこ、斉藤恵那、犬山あおいの3人のパネルがありました。

 

 そして大垣千明は段ボールで梱包されていました。エジプトで出土した木棺のミイラみたいに見えました。ちくわのぬいぐるみもちゃんと置かれています。

 

 続いて、常幸院。

 

 境内の桜は満開。見応え充分でした。

 

 例によって住職は留守らしく、境内は静まり返っていました。現地の「ゆるキャン応援団」ともいうべき「五条ヶ丘活性化推進協議会」の会長さんでもあるようですが、他アニメの応援団の会長さんとはちょっと違ったところがあります。本職はお坊さんですからね・・・。

 

 

 午前中に印面彫刻の依頼をしておいた印鑑を引き取りに、甲斐岩間駅前の「いわま写真館」に行きました。

 

 店主の内藤さんと色々お話しながら、店内で販売している「ゆるキャン△」関連商品を見ました。上図のほうとうのパッケージ包装紙も現地限定の楽しいデザインです。こういうのは幾らでもバリエーションが出せますから、うまく展開すれば、さらに人気が出ることでしょう。

 個人的には、地元の方々の様々なほうとうレシピの代表的なものを幾つか紹介してほしいですね。出来たら「ゆるキャン△」キャラクター5人ととコラボした5枚のレシピカードのシリーズにまとめ、1枚ずつおまけ特典としてパッケージに入れてほしいです。この場合、大垣千明のあきちゃんクッキングレシピは、お約束ですね。武田信玄がバックで出て来ないと決まりません。

 谷川商事さん、このほうとうレシピカードの案、いかがですかね・・・?

 

 店内のポスターも、甲斐岩間駅前の印章石碑、印章資料館の巨大ハンコを採ったオリジナルコラボ品でした。谷川商事さんが独自に作らせたものですので、アニメに出てくる場面とは関係ありませんが、各務原なでしこと志摩リンが出ているので、知らない人が見たら、「ゆるキャン△」のワンシーンかと間違えられそうです。

 

 引き取ってきた私の印鑑です。印面の彫り代は1600円でした。印鑑本体が540円ですから、合計2140円で「ゆるキャン△」マイ印鑑を持つことが出来るわけです。

 この時点での「ゆるキャン△」印鑑は、上図の通常サイズのみが出ていますが、個人的にはいわゆる実印サイズの太い印鑑も欲しいなあ、と思いました。谷川商事さんならば、ノリノリで商品化してくれるかもしれませんね・・・。大小の印鑑を揃えた、実印&認印セット、とか・・・・。

 

 お店の看板をバックにして記念撮影。

 

 印面です。「星野」と彫ってあります。いわま写真館のほうでも記録用を兼ねて撮影し、ツイッターにて紹介いただきました。こちらです。これに関しての私のリツィートがこちらです。  (続く)

 


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伯爵高校 38(t)戦車(7号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その2

2019年05月12日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2では、車体上部などを組み立てます。伯爵高校チームの7号車に仕上げるにあたっては色々と変更が生じます。キットはおそらくD型あたりを再現しているものと推定されますが、作中車はE型もしくはF型のように見えます。
 そして今回のキットのパーツには、E型以降の部品は殆ど含まれていません。それで、以前にドラゴンのG型のキットでカメさんチームの劇中車を製作した際の不要パーツのなかに含まれる該当のパーツを全て転用します。
 また、変更点としては38のジャッキの留め位置を右フェンダー上のボックスの上にする、車体前面左右につけるハンドル31および32は作中車に無いので不要、前面の予備履帯28および留め具29も不要、右側フェンダー上の第2ステーはカットして除去、等が挙げられます。
 車外装備品に関しては、右フェンダー上の斧、ワイヤーカッター、ジャッキ台の3点がキットのパーツに無いため、ジャンクから調達する必要かあります。それぞれの取り付け位置も、作中車のシーンを参照して合わせます。

 

 車体の組み立てを続けました。

 

 組み上がりました。

 

 あちこちに流し込み接着剤の跡が白く浮き出てしまっていますが、塗装すれば隠れて消えますので問題はありません。

 

 前面の機銃を中からはめこんで取り付け、フェンダーなどを組み付けてゆきました。

 

 フェンダーを取り付けました。上にボックスとジャッキがありますが、その取り付け位置は、作中車のそれに合わせます。

 

 御覧のように、ボックスの上にジャッキを積み、ボックスの前にジャッキ台をくっつけてセットしています。ジャッキ台の前に斧とワイヤーカッターを据えています。

 

 他のシーンでも、同様の状況が確認出来ます。これらは大体E型の特徴であるようです。

 

 手始めに、右フェンダー上にボックスを取り付けますが、その位置に第2ステーがあるので、カットして除去する必要がありました。

 

 第2ステーをカットしてボックスを取り付けました。

 

 続いて、ボックスの上にジャッキを仮置きしてみました。ボックスの前にセットするジャッキ台は、ジャンクにあったドラゴンのパーツを利用しました。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く6 その8  雨畑湖と吊り橋

2019年05月11日 | ゆるキャン△

 雨畑湖の西岸に沿って進むと、またトンネルがありました。このトンネルが雨畑地区中心部への連絡ルートで、原作コミック第7巻86ページ4、5コマ目で志摩リンが走り抜けた場所にあたります。

 

 コミックの該当シーンと大体同じアングルで撮ってみました。奥に見える建物は、旧硯島小・中学校の体育館です。

 

 トンネルを出て左に進むと、上図の場所に出ます。体育館の建物以外は、旧硯島小・中学校の建物とは違うような感じの施設がありました。

 

 駐車場入り口の看板です。日帰り温泉および宿泊施設の「ヴィラ雨畑」です。ここで志摩リンが休憩し入浴して、電気マッサージ椅子に横たわりつつも、各務原なでしこの動向を案じていた様子が、原作コミック第7巻96ページから101ページまで6ページにわたって描かれます。それで、施設の内部空間もかなり詳細にわたって知ることが出来ます。

 

 ガイド類では、旧硯島小・中学校の建物を改装した旨が述べられますが、改装だけでこのような完全な観光施設には変えられません。建物自体も新しい感じですので、旧校舎を体育館だけ残して撤去した後に、この施設を新たに構えたのでしょう。

 とりあえず、休憩を兼ねて入浴利用しようと中に入ったところ、既に終了時刻まで間が無いとの事で、早くも仕舞いにかかっていました。それで入浴は諦めましたが、「ゆるキャン△」聖地のひとつ雨畑エリアにこのような宿泊施設があることは今回初めて知りましたので、次に計画している早川エリアの奈良田行きとあわせて再訪し、ここに泊まってみるのも良いかな、と思いつきました。
 それで再度カウンターへ行き、宿泊の基本情報を伺い、パンフレットもいただいてきました。公式サイトもあります。こちらです。

 

 「ヴィラ雨畑」の隣には、道をはさんで「硯匠庵」という施設があります。江戸期より現地の特産品として知られる雨畑硯の歴史と作品を公開展示するショールームの一種です。ここ雨畑の渓谷で採れる蒼黒色の原石を材料とする、雨畑ブラックシリカと呼ばれる硯や装飾品などの石製品群が見られます。

 隣の富士川町の鬼島地区にて、ここの原石を用いて作られる硯が「甲州雨畑硯」と称されて平成6年に県の伝統工芸品に指定されていますが、雨畑硯そのものは、書家の間では古くから知られていて、書道愛好家の間では必須アイテムにもなっているそうです。
 そういえば、書道の師範資格を持っていた私の母も、立派な彫刻装飾のついた雨畑硯を愛用していました。子供の時からその硯をずっと見ていて、「これは山梨県で作られた高級品なのよ」と教えられ、書道の硯とはこういうものだと思い込んでいた私でしたから、この施設での見学はとても感慨深いものがありました。
 「硯匠庵」の公式サイトはこちら

 

 その「硯匠庵」の横の道を、志摩リンが走り抜けています。上図のアングルで、原作コミック第7巻87ページ3コマ目に出ています。

 

 そして4コマ目がこの景色です。ここから道は再び雨畑湖の周囲を巡って南へ続きます。

 

 南側は、こんな感じで長く延びています。

 

 レンタカーは「ヴィラ雨畑」の駐車場に停めたまま、徒歩で回りましたから、志摩リンがバイクで進んだ地点まではちょっと時間がかかりました。

 

 湖面の景色は、南側が広く感じられます。

 

 もと来た道を引き返しているうちに、「硯匠庵」の建物の右手の湖面上に吊り橋が見えました。ああ、あれが志摩リンが渡った橋か、と気付きました。「硯匠庵」の裏手に位置するため、来た時には山肌や建物の陰に隠れていて見えず、位置が把握出来なかったのでした。

 

 吊り橋への道は、「硯匠庵」の横から上に登る小路でした。

 

 とりあえず、原作コミック第7巻を片手に、記念の自撮り。

 

 なんだか、寂れた感じです。あんまり利用する人も無さそうな雰囲気です。

 

 五人以上で渡ると危ない、とあります。そんなに脆弱な吊り橋なのか、と不安になりました。風の強い時は渡るな、ともありますが、これは当たり前です。あおられますからね・・・。

 

 では、と渡り始めました。

 

 10メートルほど進んだところで、いきなり橋全体がグラッと右に傾きました。カメラを構えながら進んでいたので、「うおっ!」となって身体の平衡も崩してカメラを落としましたが、ストラップワイヤーを首に掛けていたため、湖面に転落水没という最悪の事態は免れました。そして、グラッときた瞬間にシャッターボタンも押したようで、上図の画が記録されていました。

 

 風も無いのに、真ん中へ行くほどグラグラ揺れるのでした。志摩リンの「おおおおお」「真ん中はゆれるるる」が大変によく実感出来ました。

 これは五人以上どころか、一人で渡っても危ないぞ、と思い、ジッとしていたら、揺れがおさまりました。その瞬間におそるおそる記念の自撮りをやったところ、途端にまたグラリと来ましたので、「うわっ!!」の瞬間が記録されてしまいました。

 はたから見ていると「アホが何やっとんねん」状態かもしれませんが、マジでこの吊り橋は揺れて危なっかしいのです。君もいっぺん渡ってみ?と言いたいですね・・・。

 

 吊り橋の揺れに耐えつつ、上から何枚か撮りましたが、上図の一枚以外はブレまくって使い物になりませんでした。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く6 その7  赤沢宿から雨畑湖へ

2019年05月10日 | ゆるキャン△

 清水屋さんの二階の半分以上のスペースは板間で、仕切り戸を外してあって広々と感じられました。壁に立てかけられた板戸には、幾つかの絵が描かれていました。これらの展示ギャラリーであるのかもしれません。

 

 七面天女の画もありました。法華経の聖地とされる七面山の山頂にある、身延山に属する敬慎院に祀られる本地の女神です。七面大明神と呼ばれ、仏教でいう吉祥天または弁財天の姿に描かれます。この画はその正面観をあらわしたもののようです。

 

 南アルプスの山並みを描いたものでしょうか。水墨画のようなタッチでリアルに描きこんであり、明暗のコントラストによって雪嶺の美しさを引きだして表現しています。素晴らしい描写です。

 

 一階に降りてギャラリーなどを見ていた際に、白鳳味噌が売られているのに気付きました。早川町の特産品の一つであるそうで、「ゆるキャン△」でも登場します。原作コミック第7巻38ページ3コマ目にて、志摩リンの母親の咲が「早川行くならなめこと白鳳みそ買ってきてね」とリンにリクエストしています。作者がさりげなく地元山梨県の特産品をアピールしているのが面白いです。

 

 外に出ました。花の香りが風に広がっていました。

 

 帰りは、行きに車で登った車道をたどりました。上図のアングルは、原作コミック第7巻34ページ2コマ目にて、志摩リンが集落の景色を撮ろうと移動しているシーンとして出ています。

 

 そして、志摩リンが見て、スマホで撮って、「赤沢宿ついた。」と発信する場面の元景色です。コミックでは魚眼レンズのような、広い範囲をぐるりと捉えた構図で描かれるので、上図よりももっと広い範囲が含まれますが、普通のデジカメではそこまで撮れません。

 

 そのまま登って左カーブにさしかかると、左手に上図の地区公民館があります。その敷地内にも5台ぶんぐらいの駐車スペースがありますが、志摩リンの散策エリアからはかなり離れるので、聖地巡礼時の駐車には向いていないかもしれません。

 

 ひたすら登り坂をたどって、集落の外側をぐるりと回り、妙福寺裏手へと向かいました。

 

 坂道を登り切って、道が水平になったところで再び集落内に入りました。この奥に、妙福寺裏手の駐車場があります。

 

 妙福寺門前の辻、つまり志摩リン散策ルートの起点に戻ってまいりました。実に楽しい、重伝建見学のひとときでもありましたので、自撮りの際にも自然と表情がほころんでしまいました。歴史や文化財が大好きな身には、こういう場所はもう最高です。
 また来る機会があったら、季節的には秋がいいですね。

 

 一気に下まで降りて、角瀬の辻から再び県道37号線に入りました。上図の道路脇の警官マネキンは、原作コミック第7巻43ページ4コマ目に登場し、5コマ目で志摩リンが「ご苦労さまでーす」と声をかけています。
 その後は、次の目的地である雨畑湖へ向かいました。

 

 分岐点の標識です。これも原作コミック第7巻84ページ1コマ目にそのまま登場しています。

 

 深い雨畑渓谷を眼下に見下ろしつつ、曲りくねった道をえんえんと走りました。割と道幅は広くて走りやすいですが、所々で急に道幅が狭くなったり、カーブが急で見通しがきかない所もありましたので、安全運転をこころがけました。

 

 志摩リンも見た、「テントにじゃがいも干してます注意」の標識です。原作コミック第7巻85ページ1コマ目のそれは、わざとなのか、逆向きに描かれています。実際に逆向きの標識もあるのかと行き帰りの二度にわたって探してみましたが、見当たりませんでした。

 

 そして原作コミック第7巻85ページ2コマ目のシーンが、ここです。あのトンネルを抜けると、雨畑湖のダム横に出ます。

 

 上図左端のトンネルが、あのトンネルです。雨畑湖ダムの横です。これを魚眼レンズのタッチで広く捉えて描いたのが、原作コミック第7巻85ページ4コマ目のシーンです。

 

 雨畑湖は、南北に延びて中央でくの字形に屈折しているため、上図の景色が湖の全部ではありません。北側の三分の一ぐらいに相当します。南へ回れば、もっと広い湖面が見られます。  (続く)

 


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「ガールズ&パンツァー プラウダ戦記」 第8話

2019年05月09日 | ガールズ&パンツァー

 コミックウォーカーさんにて連載公開されている、吉田創さんのガルパンコミック「プラウダ戦記」、既に8話目に達しています。

 モケジョのミカさんが「初めてBT-7が出てきましたよー」と言っていましたが、正しくはBT-5ですよ、と訂正しておきました。何で分かるんですか、と訊かれましたので、砲塔の形状および車体背面のマフラーが主な識別点である旨を伝えておきました。

 個人的には、ラストの黒森峰女学園チームの集合シーンの続きが気になります。たぶん、隊長が交代して西住まほになる旨が伝達されるのだろうな、と推測しておりますが・・・。 果たして・・・?

 


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伯爵高校 38(t)戦車(7号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その1

2019年05月08日 | ガルパン模型制作記

 上図は、二年ほど前に岡山市内のブックオフで購入してきた、イタレリの38(t)戦車のキットです。中古品だったためか、値段は800円でした。普通は通販価格でも3000円前後はする製品です。これは破格的に安いんじゃないか、と驚いて嬉しくなって、衝動的に買ってしまったのでした。

 ですが、その後で、買った事を後悔しました。このキットの38(t)戦車はたぶんD型以降のタイプで、ガルパンに登場するB型とは各所で異なります。ガルパンに登場する38(t)戦車は、最近までずっと、アニメ、コミックを問わずB型で表されていたため、トライスターおよびホビーボスの同型車キットのみが適応キットでありました。

 

 ところが、今年2019年からコミックウォーカーさんにて公開連載がはじまった上図のガルパンコミック「樅の木と鉄の羽の魔女」が、私の過去の後悔を吹き飛ばしてくれました。

 

 作中に登場している伯爵高校チームの戦車の幾つかが38(t)戦車で、とくに上図の7号車は形状から見てB型ではなく、E型以降の特徴が随所に看取出来ました。しかも、大洗女子学園カメさんチームの38(t)戦車とは明らかに異なるタイプでした。
 そのことを把握した途端、あのイタレリのキットが活かせるのではないだろうか、との思いに至りました。

 

 早速、押し入れから例のイタレリ製品を引っ張り出して開け、パーツを色々見て、何型であるかを確かめようとしましたが、製作ガイドにも明確な記載が見当たらず、型を特定出来ないままに終わりました。前掲の作中車7号車にピッタリかというとそうでもなく、幾つかのパーツを調達補充しないと作中車にならない、という点も判明しました。

 それならば、足りないパーツをジャンクから色々取り出して使えばよい、以前にカメさんチームの搭乗車をドラゴンのG型のキットで製作した際に生じた沢山の不要パーツのなかにそれらしい物があったな、と考えました。
 とりあえず、このイタレリキットを有効に生かしてガルパンの作中車に仕上げてみることにし、その製作過程の楽しさに胸を躍らせたことでした。

 

 製作ガイドの図面を開いてみると、上図の5ステップが全てでした。カメさんチームの搭乗車をドラゴンのG型のキットで製作した時は色々と手間がかかって大変だった記憶がありますが、こちらのイタレリキットはパーツ数も少なく、楽に作れそうでした。自然に気合が入ってまいりました。

 

  ステップ1です。イタレリスタンダードのガイド図は、相変わらずゴチャゴチャと複雑に描きこまれていて、幾つかのパーツの取り付け位置が分かりにくかったりします。そのへんは実際にパーツを仮組みしながら全体の姿をチェックして、接着位置を見極めるしか対処法がありませんでした。

 今回は、インテリア部分は省きましたので、車内に組み込む16から22までのパーツは不要となりました。またガイド図ではパーツ14を熱したドライバー先で焼き止めする旨の指示がありますが、下手すると溶かしてしまいかねないので、普通に接着剤で固定しています。
 なお、転輪だけは、塗装後に履帯とともに取り付ける予定です。

 

 車体の組み立てからとりかかりました。

 

 組み合わせに支障はなく、カッチリと組み合わさってスムーズにまとまりました。

 

 サスペンションのパーツも最低限の数なので、ドラゴンの時とは全然違って、気楽に組めました。

 

 組み上がりました。シンプルな出来上がりですが、転輪を付ければ殆ど見えなくなりますので、何ら問題はありません。

 

 片側が終わったので、もう片側も組み立ててゆきました。

 

 仕上がりました。ここまで15分ぐらいでした。

 

 起動輪のパーツです。

 

 組み付けました。もちろん接着していませんので、回転しますし、取り外しも可能です。こうしておくと、履帯パーツをかませてはめ込む事が出来ます。

 

 誘導輪のパーツです。誘導輪の穴は、型によって異なっており、A型からE型までが卵形、F、S、G型がダルマ形です。今回のキットの誘導輪の穴は卵形でしたので、E型までの各型に相当します。これによって今回のイタレリ製品の38(t)戦車は、D型もしくはE型の初期タイプを再現しているのだろうと推察しました。

 

 誘導輪をセットしました。これも接着していませんので、回転しますし、取り外しも可能です。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く6 その6  赤沢宿の清水屋にて

2019年05月07日 | ゆるキャン△

 重伝建地区赤沢宿における、志摩リンの散策は上図の清水屋さんでの軽食休憩シーンでしめくくられています。この後の志摩リンの場面は赤沢からの下山後となっています。
 そこで、私自身の散策もここまでにして、とりあえず志摩リンにならって清水屋に入る事にしました。

 

 清水屋の建物です。これもかつて旅籠屋であった施設で、「板マネギ」も残されています。現在は休憩所として開放されており、赤沢宿の伝統的建造物の内部空間にも触れて楽しめる唯一の場所です。

 

 母屋の庇部分をL字形に土間として廻縁をまわし、一度に大勢の参詣客が腰を下ろして草鞋を脱いだり出来るようになっているのが、赤沢の旅籠屋の特色の一つです。今でも、腰を下ろして休んだりするスペースとして開放されています。

 

 清水屋の敷地の一段下に建つ土蔵です。石垣にくっつけて建ててありますが、そうすることで建物としての耐久度も増して地震にも強くなります。外から見ただけでは分かりませんが、この種の建物は、内部の柱もやや内側に傾ける「内転び」の手法が採られていることが多いです。

 

 清水屋の土間とは別に、現在の観光客用の土間兼出入り口が奥にあって、そちらから中に入りました。

 

 街なかカフェとしても営業していますので、御覧の通りのメニューがあります。志摩リンが食べた「まめもち」および「甘酒」も実在しますので、迷わずに二つともチョイスしました。

 

 一階部分の一室はこのようにギャラリー兼売店となっています。

 

 他の部屋は全て休憩室となっています。まだ寒いので、コタツとストーブが稼働していました。

 

 二階へあがる階段です。途中の踊り場から二方向に分かれて階段が付けられています。

 

 このアングルで、志摩リンが二階へとあがるシーンが原作コミック第7巻35ページ4コマ目に出ています。

 

 二階の休憩室は二つの部屋をつないだ広い空間でしたが、床の間の設えが残されているので、もともとは身分の高い人が泊まる上座の空間として機能したことがうかがえます。

 

 反対側を見ました。原作コミック第7巻35ページ5コマ目に、そのまま出ています。奥のコタツ席が、志摩リンの位置にあたります。

 

 まもなく、注文した「まめもち」と「甘酒」が運ばれてきました。原作コミック第7巻37ページ1コマ目に、そのまま出ています。

 

 「まめもち」です。名前の通り、豆やナッツ類を混ぜてサッと焼いたお餅です。

 

 閉められていた障子を開けて、外の景色を眺めながらいただくことにしました。

 

 「甘酒」です。といってもお酒ではなく、米麹の絞り汁であるそうです。なので車の運転に差し支えはありません。

 

 あたたかい麦茶もセルフサービスで自由にいただくことが出来ました。

 

 食べてみますと、志摩リンの感想どおり、ちょっと柑橘系っぽい味がしました。豆やナッツ類の他に柚子も混ぜてあるからです。美味しくいただきました。

 

 食後の安穏に身を任せようと思った途端、コタツの中の足がつったようになりました。「ぎゃあああ、しまった、妖怪コタツ河童に捕まってしまったかー!」とお約束のポーズをとりました。 (アホかお前は)  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く6 その5  早川の赤沢宿にて

2019年05月06日 | ゆるキャン△

 早川町の赤沢宿は、中世から近世にかけて身延山と七面山の両信仰拠点を結ぶ参詣ルートの宿場として栄えたところです。全盛期は江戸期の半ば頃で、徳川幕府が七面山の女人禁制を解いたことにより、女性の参詣客が急増し、山岳信仰の富士講や身延講などの講が盛んになったといいます。
 また、身延山の開祖日蓮に関しても、中世期には反政府勢力としての批判および思想的制約があったのが、徳川幕府においては思想史の先人と再評価するスタンスがあったため、身延山久遠寺に対しても保護を与えています。それがさらに参詣客の増加と宿場の隆盛を招いたことは想像に難くありません。

 かかる歴史を伝えてなお往時の面影を残す赤沢宿は、国の文化財保護法改訂にともなう保護対象区分の選定を受け、国内では類例が稀な山岳内村落の遺構として平成5年7月に重伝建に指定されました。それにともなって殆どの指定建造物が修理および補修を施されて近世の景観になるべく戻され、歴史的風致地域としても有意義な状態になっています。

 その赤沢宿は、場所的に行きにくいところにあり、アクセスも容易でないため、全国各地の重伝建のなかでは一般の知名度も低く、歴史マニアでもなかなか行かない、行きたくても行けない、というような所であったそうです。
 それが、「ゆるキャン△」にて志摩リンが訪れた地の一つとして登場したことにより、一気に全国区の知名度を得られる状態が整いました。アニメ2期で登場すれば、間違いなく全国から巡礼ファンが訪れることでしょう。

 しかし、大勢がやってきても気軽に入れるようなエリアではないため、駐車場一つとっても問題が発生しますし、飲食店も最低限であるうえに、トイレすら自在に使えません。色々と不都合が発生するのは目に見えています。何よりも国指定の重伝建でありますから、文化財保護の観点による観光客立ち入り制限も有り得ます。
 なので、地元赤沢地区および早川町当局におかれては、今からでも遅くは無いので、巡礼者が殺到した場合の諸問題に対する対策および情報発信に努めていただければ、と思います。

 さて、「ゆるキャン△」に登場している赤沢宿の景観は、原作コミック第7巻の33ページから38ページまでの範囲に色々と登場していますが、重伝建地区のなかで俯瞰すると妙福寺門前参道エリアから下の清水屋付近までの約200メートル範囲のみに限られており、赤沢宿のなかでも古い時期の建造物が集まっている区域に当たります。赤沢宿を代表する建造物群の外観および景観の殆どがそのなかにおさまっているため、志摩リンの足跡をたどるだけで、赤沢宿の大体の雰囲気、歴史的風情を味わえます。

 上図は、原作コミック第7巻の33ページ3コマ目の元景観です。左の建物はかつて旅籠を務めていた大黒屋、右手奥の建物はこれもかつて旅籠を営んでいた喜久屋の建物です。いずれも伝統的建造物の指定を受けています。

 

 大黒屋の軒下にずらりと並ぶ、「板マネギ」と呼ばれる標札です。これは、かつてここを参詣の定宿とさだめた全国各地の講中が自らの講名および代表者名を記した板です。
 講中とは、全国各地にあった、講(集会、集まり)を作って神仏にもうでたり、祭りに参加したりする信仰者の団体のことで、「こうじゅう」と読みます。

 甲斐国つまり山梨県エリアは、富士山を霊峰と崇める富士信仰の中心的位置を占め、近世のピーク期には全国に約3000の富士講があったといいます。講ひとつの参加者が多くて100人、少なくても20人は居た時代ですので、講中で参詣に行くというのは、現在でいうと社寺参拝観光ツアーにあたります。その関係者が甲斐国へ祈りの旅を行う際には、たいてい身延山や七面山にも寄るのが普通でしたから、赤沢宿のような拠点に定宿をさだめておくことになります。宿のほうでも、講中の参詣客は年中入れ替わり立ち代わり来てくれる上得意さんですから、優先的に対応することになります。
 つまり、「板マネギ」とは、簡単に言うと常連客の標札であるわけです。ある地方の講の人が身延山参詣を思い立った場合、宿はどこかと講中の世話役に相談し、「赤沢宿なら〇〇屋だ」と教えられるわけです。そして現地に着いて泊まる際に、自身の講の標札を確認して、宿の人に「ウチの講の札です」と言えば、割引料金で泊まれたわけです。

 

 大黒屋さんの庭先には、このように大黒天の像が祀られています。たぶん、これが大黒屋の屋号につながったのであろうかと推察します。
 この大黒天像は、そのまま原作コミック第7巻の33ページ4コマ目に出ています。

 

 こちらの建物は、かつて旅籠をつとめた喜久屋ですが、このアングルで原作コミック第7巻の33ページ5コマ目に出ています。

 

 喜久屋の建物は、現在は休憩処として公開されていますが、私が訪れた時には戸を全て閉めきってあって、公開しているという雰囲気では無かったので、中には入りませんでした。その軒下の水溜めを見たにとどまりました。

 

 萬屋、吉田屋、とかつての旅籠屋が並びます。このあたりは傾斜地で、御覧のように左の萬屋の地面の高さが、隣の吉田屋の屋根のあたりになっています。石垣を段段に積んで敷地を確保していますが、その段差が最も大きい区域です。

 

 いっぺん、下りてきた道を振り返りました。右手前が萬屋、奥の二階建てが大黒屋です。

 

 萬屋が旅籠屋であったことは、この軒下の「板マネギ」からも分かります。講中の名称も色々にあったようで、江戸期の日本各地の講の形態がさまざまに在ったことを伺わせます。右端の白っぽい標札は近代のもののようで、「神心会」という、いかにも宗教的な集まりといった感じの団体名称が記されています。

 

 喜久屋と萬屋の間の石畳道が、一気に傾斜度を増して急な下り道になっています。

 

 その先の景観はこんな感じです。カーブの向こうの建物は市下家住宅です。急坂には、見学客の安全のために階段が設けられており、おかげで歩きやすくなっています。
 そして、その階段を志摩リンが下りています。このアングルで、原作コミック第7巻の34ページ1コマ目に出ています。

 

 集落内の各所で見られる、格子状の板塀です。これらも伝統的建造物の一部に含まれています。外側に支え柱を設け、透かし窓を多く取って風通しを図っているのは、現地が山中の降ろし風の強さに悩まされてきた歴史をうかがわせます。完全な密閉式の板張にすると、風の抵抗が強くなって破損や倒壊のリスクが増すので、このような造りになっているのでしょう。

 

 急坂カーブ地点を下から見ました。石の大きさを揃えて緻密に積み上げられた石垣が、その堅牢さを示しています。こういうタイプの石垣が地震に最も強いです。中世戦国期を通じて飛躍的に発達した石積みの技術が、城郭だけでなくこのような山岳地域の集落の構築にも如何なく発揮されています。

 

 坂道を下りながら、車で登ってきた下の道を見ました。

 

 重伝建エリア内では唯一の飲食店である、蕎麦処の武蔵屋の店先階段です。この日は休業日にあたっていました。

 

 石畳道の急坂を下り切ると、私も車で登ってきた下からの車道に出ました。だいたいこのアングルで、原作コミック第7巻の34ページ2コマ目に出ています。次のコマで志摩リンがスマホで写真を撮っています。  (続く)

 


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ゆるキャン△の聖地を行く6 その4  早川の赤沢宿へ

2019年05月05日 | ゆるキャン△

 丸一食堂での昼食を終えて外に出ました。少し時間があったので、近くの湯之奥金山博物館へ行ってみようと思いつきました。今まで訪れたことが無かったからです。

 

 早速、下部川に架かる歩道橋を渡って行きましたが、なんとこの日は休館日でした。次の機会にしよう、と考えて駅前広場駐車場に停めておいたレンタカーに戻りました。

 

 下部温泉から波高島の横を通り、富山橋をわたって上沢の交差点で真っ直ぐ行って県道37号線に進みました。早川沿いの快走路をしばらく進み、角瀬の辻で左折して林道に入り、上図のような山の中の曲がりくねった道を10分ほど登りました。このルートはずっと坂道だったので、今回のレンタカーがいつもの軽ではなくて普通車であったのが幸いしました。

 

 山林を抜けてパッと視界が開けたかと思うと、まもなく道の右手に上図の案内板が見えてきました。横でいったん車を停め、国指定の重要伝統的建造物群保存地区の一つとして知られる、早川の赤沢地区であることを確認しました。

 

 案内板の横からは、重要伝統的建造物群保存地区の下の範囲が見渡せました。上図の範囲で保存地区全体の四分の一ぐらいに相当します。
 私自身は、歴史や文化財に関心があり、大学や大学院でもその関係の専攻でしたので、重要伝統的建造物群保存地区というのは、行ける限り訪ねています。平成30年時点で全国に118ヶ所がありますが、行ったことがあるのは78ヶ所です。そして今回訪ねた赤沢が79ヶ所目になりました。

 重要伝統的建造物群保存地区、略して重伝建と言いますが、アニメやポップカルチャーの聖地巡礼においてはけっこう事例があります。「ひぐらしの鳴く頃に」の白川郷、「たまゆら」の竹原、「氷菓」の高山三町、「ひなビタ」の倉吉打吹玉川などが挙げられますが、いずれも古い街並みの優しい表情がアニメの世界観に深みを与えています。
 そして「ゆるキャン△」ではここ赤沢へ志摩リンが行っていますので、おそらくアニメ2期でも原作ストーリーそのままに赤沢が登場するものと思われます。そうなったら、ここを訪れる巡礼ファンは劇的に増えることでしょう。

 

 ですが、山の斜面上に立地する密集型村落の形態をとどめるため、道も駐車スペースも狭いです。道なりに上に登って、上図の妙福寺本堂の裏手まで行くと、駐車場があります。

 

 その妙福寺裏手の駐車場に、私のレンタカーを停めました。全体スペースがこの程度で、10台も入れば埋まります。他にも駐車スペースがあることはありますが、数台程度しか停められないので、この妙福寺裏手の駐車場が広いと思います。
 赤沢宿のマップを見ますと、さらにその先にも広い駐車場があるようですが、このときは通行止めになっていました。いずれにしても、道が細くて大型車は入りにくいので、観光バス等は入れないみたいです。

 

 重要伝統的建造物群保存地区はどこでもそうですが、原則として車の通行は制限されるか禁止されているかのどちらかです。そもそも保存地区内の道は路地道や階段であることが多いので、車が通るのは不可能です。ここ赤沢においても、集落内の道の大半は歩道レベルの幅で、階段や段差、急な坂道をともないます。
 上図の妙福寺門前辻の道は、昔ながらの石畳道を保持しているため、地元住民でも許可された車でしか通れないそうです。

 

 赤沢は、かつての身延山参詣道の宿場として栄えた歴史をとどめ、重伝建の指定名称も「赤沢宿」となっています。保存地区内に計84戸の伝統的建造物つまり民家建築が含まれますが、上図はこのうちの川戸家住宅です。比較的古式をとどめた講中宿の建物のひとつです。

 

 川戸家住宅付近より東を見ました。右に玉屋家住宅、左奥にえびすやが見えます。えびすやは、かつては旅館を営んでいたそうで、若山牧水が泊まったことで知られ、彼の碑もあります。

 

 玉屋家住宅に近寄りました。かつては旅籠屋であったそうで、廻り縁を長くとって母屋の二面にまわした形式が、山梨県の民家の特徴の一つとしても知られています。
 昔、身延山への参詣客が、この廻り縁に腰を下ろし、茶菓子を買って休憩していたのでしょう。

 

 玉屋家住宅付近から西を見ました。この石畳道が、集落内のメインルートであり、保存地区内の全ての路地道がこの道から枝分かれしています。

 

 集落内のあちこちの道端に置かれている水溜めです。このような木製のものはわりと珍しく、現地が山の斜面上であるので山からの湧水も下に流れてしまうので、こうやって丸太をくり抜いた水桶に溜めておき、毎日の洗い物や牛馬の飲用に供していたのです。
 この種の水溜めは、だいたい二段か三段に作られることが多く、上図の遺品は二段になっています。上段が飲用など、下段が洗い用など、と用途を分けてあることが多いです。

 

 妙福寺門前の辻に戻りました。上図のように交差点は十字形ではなく、クランク状になっています。
 近世までの日本では、交差点はこのようなクランク型が主流でした。中世戦国期に防御を意識してこのようにしたという説もあるようですが、もともとは古代の条里制においてまず田畑や宅地の範囲を決めてから道路を引いたため、どうしても道が屈折して真っ直ぐにならないからです。道が屈折することが普通であれば、交差点でもピッタリ十字形には交わりませんので、こうしたクランク状になりやすいわけです。

 重要伝統的建造物群保存地区というのは、だいたい近世つまり江戸期までの街並みをそのまま保存し維持していることが多いので、道も古い形状をとどめているケースが一般的です。上図のように交差点がクランク状になっていれば、間違いなく江戸期までの状態をとどめているとみて間違いないでしょう。

 

 妙福寺の門前に向かいました。境内の桜が満開になっていました。

 「ゆるキャン△」の原作コミック第7巻の33ページ目から、ここ赤沢宿の景色が登場します。志摩リンが歩いた範囲の風景が幾つか出てきますが、その範囲は、上図の妙福寺門前を過ぎた辺りからになります。とりあえず、志摩リンのたどったコースを、歩いてみることにしました。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く31 その18 「ラリー仕様の戦車です!!」

2019年05月04日 | 大洗巡礼記

 梅原屋さんの展示ガルパンプラモデル戦車の続きです。今回見学のラストは、上図のⅣ号戦車です。前日も見ていて、これ何だろう、Ⅳ号戦車みたいに見えるけどな・・・・、と思っていたのですが、Nさんに聞いてみたところ、Ⅳ号戦車D型で間違いない、との事でした。

 

 ですが、我々が知っている、あんこうチームのⅣ号戦車D型とは、えらく外観が異なります。まず、転輪が銀色に光っています。サイドスカートが付けられています。車外装備品の類が一切見当たりませんので、全体的にスッキリしています。

 

 よく見ると、車外装備品は、全て背面に集められています。左右のテールライトは、戦車というよりスポーツカーのそれみたいに変えられています。気になるのが、車体下に突き出ている二本の排気管です。まるで自動車のそれです。

 

 本来は背面上部についているマフラーも、車体の下にセットされており、二本の排気管もその脇から出ています。自動車みたいな構造です。
 Nさん曰く、「戦車道復活前に、自動車部が先に倉庫のⅣ号を見つけて、勝手に改造してしまったら」というテーマの作品で、戦車を自動車っぽく、しかもラリー仕様に仕上げた、とのことです。

 

 つまり、これでパリ・ダカールラリーに参戦するぞ、ということではなく、Nさん自身がこの戦車に乗って首都高速を200キロで飛ばして白バイ隊に追われたい、ということではなく、単に公道走行の利便性を最優先しての改造、ということだそうです。

 なので、マフラーも排ガス規制対応排気系、だそうです。どこがどうなって、そんなんになるんやねん、と突っ込みたいところですが、これもNさん一流の妄想・・・いや哲学なのでしょう。
 テールライトは自動車レベルのものに改造し、ヘッドライトも同様です。サイドスカートだけでなくバンパーも装備していますが、前面の写真を撮り忘れました。
 さらに低車高化が図られているのですが、ちょっと見ただけでは分かりづらいかもしれません。サイドスカートに半分隠れている起動輪および誘導輪が、通常よりも低い位置にセットされています。実際にこの種の改造をやると、連結式履帯パーツでは不足が生じて対応出来なくなるため、Nさんの作品では珍しいベルト式履帯パーツがそのまま使われています。

 

 とりあえず、今回の展示品見学取材はこれで終了となりました。Nさんによれば、今後もこうした自由自在な発想によるガルパン戦車の作品は製作してゆくとの事で、既にⅣ号戦車フルインテリア、およびマークⅣフルインテリア、などの構想があるそうです。
 それらはいつ頃に見られますか、と聞いたところ、Nさんは「まあ、半年ぐらい後かな」と答えました。色々作る予定があるから、少なくとも半年は待ってくれ、という意味だな、と受け止めました。楽しみです。

 そうすると、次の大洗行きも、それにタイミングを合わせることになりそうだな、と思いました。

 

 13時半頃に、来店する巡礼ファンが増え始めました。たぶん、ガルパン声優陣のトークショーが終わったんだろう、と話していると、お店の方が「星野さん、山梨に行くんだったら、もう今ぐらいから出たほうがいいんじゃない?臨鉄、満員で行列になるからね、時間通りに乗れなくなっちゃうかもよ」と言いました。

 実は、それがずっと気にかかっていて、自身も予定を早めて出発するのが良いかな、と考えていたところでした。それでNさんとも挨拶し握手して、再会を約して出発し、大洗駅へと急ぎました。途中、きらめき通りの海側を振り返ると、上図のように多くの人々が駅に向かって移動中でした。

 

 それで、予定では16時に大洗駅から出発、であったのを2時間早めて、14時前には大洗駅に行けるようにしました。駅前は再開発工事が進んでいました。
 次にここに来る時には、工事も完了して、駅前ロータリーが見違えるようになっているのだろうな、と思いました。

 

 大洗駅に着いたのが13時56分でした。急いで切符を買い、すぐに改札口を通りました。

 

 14時3分発の水戸行きの列車に乗りました。よく見たら、ラッピング車輌の最新型である4号車でした。もちん初めて見ましたが、ゆっくり見物している暇はなく、上図の写真を撮るのがやっとでした。
 そして、発車時には満員に近い状態でした。危惧していた通りでしたが、ダイヤに乱れはまだ出ませんでしたから、幸いでした。

 

 水戸への移動中は、上図の位置に立っていたので、前面連絡用ドアのBC自由学園チームの校章マークを身近に見ることが出来ました。これが今回の海楽フェスタ初見物行における最後のガルパン成分だったかな、と思います。

 水戸駅には14時21分に着きました。すぐにみどりの窓口へ行き、昨日買っておいた切符を一端キャンセルして、二時間早めた列車のそれに変更してもらったうえで、14時52分発の特急に乗りました。

 

 東京駅には、16時14分に着きました。そして中央本線の16時45分発の特急あずさに乗り換え、甲府へ向かいました。

 これで、数えて31度目のガルパン大洗巡礼が終わりました。以後は、ゆるキャン山梨巡礼に移りましたので、続きのレポートはこちらになります。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く6 その3  栄昇堂、不二ホテル、丸一食堂

2019年05月03日 | ゆるキャン△

 なかとみ和紙の里から国道52号線、次いで県道9号線を経て、上図の身延駅前しょうにん通りに移動しました。

 

 身延駅の北の線路沿いにある広い商店街駐車場へ車を停め、上図の聖地のベンチへの歩道に渡って桜並木の風情を楽しみつつ歩きました。

 

  次のスタンプミッションのポイントが栄昇堂でした。

 

  斉藤恵那のパネルも健在です。

 

 

 スタンプ前のミッションは、みのぶまんじゅうを買って食べる、でした。

 

 スタンプは、みのぶまんじゅうを美味しそうに頬張る各務原なでしこの図でした。やっぱりこのシーンを採ったか、と納得しつつ笑ってしまいました。

 

 この日はお店も閑散としていて、店員さんものんびりと構えていました。

 

  外に出て、聖地の歩道を引き返しながら、春爛漫の富士川の景色を眺めました。こういうふうに大きな川に鉄橋がかかっている風景というのは、岐阜県各務原市出身としては大変に馴染みがあります。

 

 さて、次のスタンプポイントでのミッションを、ここ波高島駅で遂行しました。駅舎の写真を撮る、でした。

 

 その足で細い道と橋とを渡って、次のスタンプポイントの不二ホテルに行きました。ここでも桜は上図のように満開に近づいていました。

 

 ここでスタンプもゲットしましたが、もう一つ、重要な用事がありました。というのは、4月中旬に予定している三泊四日のマイカー巡礼時において、身延エリアではこちらの宿に泊まる積りでしたので、その予約を直接行いました。

 身延エリアでは、巡礼時の宿泊候補地として下部温泉郷の各宿泊施設が挙げられますが、一人旅で泊まるには敷居が高い感があり、料金も安くないうえに、ゆるキャン△とのコラボに乗り気でない様子が感じられます。ガルパン大洗の各宿泊施設が「ガルパン応援宿泊プラン」と銘打った特典付きのお得なプランを幾つも用意して情報発信もツイッター等で盛んにやっていたのとは対照的です。

 なので、下部温泉郷の各宿泊施設は、スタンプラリーの企画にもあまり協力的ではなかったらしいのですが、こちらの不二ホテルさんだけは以前からノリノリであったようで、既にゆるキャン△朱印帳などのグッズ類も販売していました。こういう宿が、ファンにとっては、利用しやすくて助かります。
 泊まってみて気に入ったなら、ファンは何度でも利用しますから、アニメ人気に合わせて色々と試みる、というのは聖地エリアの宿の経営戦略の一つとしては間違っていません。むしろ正解であることは、他のアニメ聖地の宿泊施設の成功例をみても分かります。

 周囲には長らく下部温泉郷の一施設と間違われ、最近までオーナーさんも同じように思っていたそうですが、観光ガイド雑誌社の指摘および掲載によって、下部温泉とは別の、湯沢温泉の宿として定義されることになったのは記憶に新しいです。
 元は戦前に開業した高級旅館の一つであったらしいのですが、経営者が今のオーナーさんに変わってからは、宿泊料金もリーズナブルな価格帯に下げられて利用しやすくなっています。源泉かけ流しの温泉を利用しての休憩のみでも部屋を利用出来るプランがあるので、ゆるキャン△巡礼中の休憩スポットとしてもおすすめです。

 そしてもう一つ、個人的に重視していたのが、この不二ホテルさんは日帰り銭湯感覚で利用している地元の方が多い、という情報でした。今回も三、四人ほどの常連客が出入りしていましたが、これは温泉の質が良くて支持されている証拠です。それと、他よりも温泉の営業時間を長くとって夜でも利用出来るようにしており、その方針もまた支持されているのでしょう。
 さらにオーナーさんが気さくな方で、柔軟な発想を持っておられ、新しい事に絶えず理解がある方、というのも大きいです。アニメの話をしているときにも、ファンから色々情報を得ようとする意欲が感じられました。こういうスタンスは、アニメ聖地で何かコラボをやろうとする場合、有意義な方向に生かされる可能性が大きいので、ファンの側からみると、また立ち寄ってみたいな、という期待感にも繋がります。
 ともあれ、次の巡礼時にここに泊まりますので、楽しみです。

 

 続いては、下部温泉駅前広場に面した、上図の丸一食堂さんにやってまいりました。

 

 このお店もスタンプミッションのポイントですが、スタンプ条件はただ一つ、「食事をする」であるので、最初からここで昼食をとる、と決めてありました。

 

  御覧の通り、スタンプコーナーの案内パネルにも、「食事をする」とだけ書かれてあります。

 

 メニューを見て注文したら、「ちょっと時間をいただきますんで、スタンプどうぞ」と言われました。そこでスタンプをいただき、上図の各務原なでしこ状態にて注文料理が出てくるのを待ちました。

 

 色々ありますね。下部名物の「やまめそば」というのは何だろうか・・・。やまめ、って川に棲むサケ科の魚のことでしょうから、それを具に添えた蕎麦なのでしょうか。

 

 注文した「ロースカツ定食」です。地元の常連客の人気定番メニューの一つであると聞いていたので、迷わずチョイスしましたが、噂に違わぬ味でした。美味しくいただきました。

 

 食後のお茶を飲んでいる際、この表示が目に入りました。見た瞬間に「バカ丼」と読んでしまいましたが、正しくは「うまか丼」でした。これ、絶対にウケを狙って付けてるネーミングだな、と思いました。

 

 どんな食べ物なのかは、テーブルに置いてあった案内メモによって分かりました。私みたいなバカが食べるものではなく、ジビエ系の品であるようです。
 いやー、バカの食べ物かなと思って、富士そばの「よくばりコンボ」を連想してしまった私は、全くのアホですな・・・。

 

 壁に貼られてあった、初めてみる公式イラストでした。地元の山梨放送さんの65周年記念のコラボ画であるようです。新聞紙の一面を飾っていますが、たぶん限定でポスター化もなされているのではないかと思います。  (続く)

 


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く31 その17 「梅原屋のティーガーⅡです!!」

2019年05月02日 | 大洗巡礼記

 梅原屋さんに再び入り、お店の方やNさんと語らいつつ、Nさん制作の展示プラモデル群の詳細取材の残り分の撮影を進めました。上図は、梅原屋ガルパンプラモデル展示の目玉とされている、黒森峰女学園チームのティーガーⅡの分割インテリア表示モデルで、御覧のように車体から砲塔が切り離されています。

 

 そして砲塔は、透明ブラ材で組まれたディスプレイスタンドに載せられ、内部空間は精密に作り込まれ、カラフルに塗り分けてあります。あちこちにユーモア溢れるネタが仕込んであります。

 

 Nさんによると、お題は「抜き打ちオーバーホール」だそうです。抜き打ち、を示す表現の詳細を聞き忘れましたが、オーバーホール状態であることは車体が複数のパーツに分解されていることで分かります。これによってフルインテリアキットであるモンモデル製品の魅力と見どころを目一杯に楽しんで頂きましょう、というNさん一流の哲学が織り込まれた造形美の結晶です。

 

  ティーガーⅡといえば、逸見エリカの搭乗車であることはガルパンファンの基礎常識です。逸見エリカが信奉し慕う隊長西住まほのポスターが砲塔内壁にズラリと貼られていても、何ら違和感はありません。むしろ、こうでなければエリカ車ではないな、という納得感のほうが大きいです。

 

 細部に至るまで忠実に再現された状況は、さすがにモンモデルの真骨頂、と思わせるものですが、さらにボイジャーのエッチングパーツも駆使してより細密再現がはかられています。ボービントン戦車博物館のベテラン学芸員も一度はこれを見ておくべきではないか、と思ってしまうほどの教科書的精密模型の粋です。

 

 そしてNさんならばでの、仕込まれたガルパンネタが笑いを誘います。あちこちに格言や台詞が貼られていますが、これを再現すること自体が、サイズからして大変な作業です。視線を低くして見上げないと捉えられない範囲に、こっそりと笑いの要素を仕込んでおく。これによってフルインテリアの奥行き感にもより深みが加わります。このあたりが見事です。

 

 車体内部は御覧の通り、細かい塗り分けによって、実物の状況よりもカラフルに仕上げてあります。インテリアは全て現代のメカ風にした、とのことですが、確かに現在の新製品のメカのような色彩感と清潔感でまとめられており、それがよりティーガーⅡの内部状況を分かりやすくアピールしています。

 

 本来、ガルパンの戦車には泥などの汚れや油汚れなどは一切見られませんから、ガルパンプラモデルにおいても汚し表現をかけないのが普通です。むしろこういうピカピカでカラフルな表現が王道です。
 汚しが無けりゃ戦車に見えない、などというAFVモデラー陣の強迫観念的な思い込みによる上から目線の決まり文句も、世界のNさんの緻密な仕事と尽きない情熱の前には、あっけないほどに脆く崩れて僅かな説得力すら持ち得ません。

 ここには、既にガルパンプラモデルの基本的な表現法が既に確立されているのです。私自身もガルパンプラモデルの製作においては汚し表現は対象外としています。アニメとリアルの境界線を明確にしておく、という意味合いもありますが、それ以上にフィクションとノンフィクションの二つの世界観をしっかりと識別すべきだという要旨を可視化しておきたい、という切実な思いを常に抱いているからです。

 

 しかし、改めて見ていて、モンモデルのフルインテリアキットというのは凄いもんだな、と感心しました。ライフィールドモデルやタコムの製品群に関しても言える事ですが、最近のフルインテリアキットの出来というのは、従来の模型感覚よりもはるかに進んだ感性と技術によって昇華されているという感があります。本物よりも本物らしくなっている、という評価を聞くことがありますが、あながち誇張でもないな、と思います。

 なので、製作の時点では相当な根気と持久力とテクニックと作業量が要求されるなあ、と製作経験の無い私でも分かります。ゾッとするぐらいに感じられます。

 

 例えば、このエンジンフードも、一体成型かと思いきや、グリルやハッチ、フレームが別パーツになっているため、今回のような分割式ディスプレーに作ると、車体から外すことになって接着面積も最低限となり、脆くてバラバラになりやすいです。それで裏にブラ材で支持補強材を追加して各パーツを繋ぎ止めてありますが、こうして外から見るとグリル部分内に支持補強材が見えないようにも配慮されています。
 なので、車体にはめ込めば、内部のエンジンも見えるようになっています。

 

 見ていて、この中の重要かつ欠かせない一部のインテリアパーツが見当たらないことに気付きました。戦車のプラモデルをフルインテリアキットで作った経験のある方なら、分かる筈です。

 

 

 そう、御覧のようにエンジンと前輪駆動機関部および操縦装置の一連のパーツが外されて別に展示してあります。片側の砲弾収納ボックス列も同様に並べてあり、砲弾は実際同様に取り外しが可能なようです。

 

 あの巨体を動かすにはやや能力不足だった、とされるマイバッハのHL230P30、4ストロークV型12気筒水冷ガソリンエンジンです。タミヤから出ている同エンジンの整備セットの品よりも精密に出来ており、これを見るだけでも最近のインテリアキットの品質が格段に向上していることがうかがえます。

 

 そして前輪駆動機関部および操縦装置です。Nさんの仕込みネタ「猪突突進」が笑いを誘いますが、逸見エリカって猪突突進タイプだったかな、とも思いました。むしろ冷徹で現実的な判断に基づいて、どちらかといえば身を固めつつ攻勢に重きを置く、という印象があります。
 本当に猪突突進タイプだったら、黒森峰の副隊長を務めるのは難しいですよ・・・。

 なので、猪突突進というフレーズは、むしろ製作者のNさんの心象そのものじゃないか、と感じました。これだけの素晴らしく精密かつ深みに満ちた面白く楽しいガルパンプラモデルを幾つも作ってしまうこと自体、モデラーとしては猪突突進以外の何者でもないではないか、と思うのです。  (続く)

 

コメント (2)
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