ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

回顧2018 多様性認め寛容な社会を

2018年12月30日 16時41分20秒 | 障害者の自立

 道内初の震度7を観測した胆振東部地震をはじめ、今年は数々の自然災害が日本列島を襲った。

 1993年の北海道南西沖地震、95年の阪神大震災、2011年の東日本大震災。振り返れば、地震と津波だけでも、これらの大災害が「平成」の間に起きている。

 平成最後の年末を締めくくる「今年の漢字」には「災」が選ばれた。無理もなかろう。

 多難な時代こそ、熟議の政治が求められる。なのに、安倍晋三政権の国会を軽んじる姿勢はむしろ強まっている。重要な法案を数の力に物を言わせ、押し通す乱暴な手法が常態化してしまった。

 海外に目を転じれば、今年もトランプ米大統領の場当たり的な言動に世界が振り回された。国際秩序の守り手たるべき超大国の指導者本人が、先行きを読めなくする波乱要因になっている。

 国内、外で分断と混迷が深まった1年と言えよう。

■防災の盲点をなくす

 9月6日未明に発生した胆振東部地震による大規模な土砂崩れなどで41人が犠牲となり、多数の負傷者が出た。加えて、道内全域が停電する前代未聞のブラックアウトが道民を不安に陥れた。

 積雪で交通や移動が制限される厳冬期に起きたらどうなるか、と懸念する人も多いだろう。

 決して杞憂(きゆう)ではない。

 実際、札幌市は、震度7の直下型地震に見舞われた場合、2時間以内に救助できなければ6千人余りが凍死し、避難者は20万人を超えると予想している。

 異常気象により、台風や豪雨も過去の常識や経験がそのまま通用しなくなっている。

 情報伝達、避難路の確認など防災態勢について、行政でも家庭でも入念に点検し、盲点をなくしていく努力が欠かせない。

 光明は、阪神大震災以来、被災地に駆けつけるボランティアの活動が定着したことだ。胆振東部地震の復旧も後押してくれた。

 道内の約半分の電力を供給していた北海道電力苫東厚真火力発電所が地震で停止したために起きたブラックアウトは、電源一極集中のもろさを突きつけた。

 苫東厚真火発や泊原発といった大型電源への依存を続ける北電の姿勢は、時代に逆行する。

 地産地消の分散型電源である再生可能エネルギーの普及は地域振興にもつながる。北電にも積極的な導入への協力を求めたい。

■審議の形骸化極まる

 安倍政権は今年も、問題の多い数々の法案を強引に成立させた。安倍1強の下で、こうした横暴が繰り返されるうちに、国会審議の形骸化も極まった感がある。

 政府・与党は、野党と合意を形成する努力を最初から放棄したかのようだ。端的に表れたのが、外国人労働者の受け入れを拡大する改正入管難民法である。

 社会の姿を大きく変える政策転換であるにもかかわらず、根幹部分が政省令に丸投げされ、短い審議でも問題が噴出した。

 特に、新制度とつながる技能実習生の人権侵害状況は深刻だ。

 3年間で69人の実習生が自殺などで死亡した事例について、首相は「今初めて聞いたので答えようがない」と耳を疑う発言をした。

 外国人を「労働力」ではなく、共に暮らす隣人として気遣う感覚があまりに希薄ではないか。

 米軍普天間飛行場の移設問題で、政府が名護市辺野古の沿岸部へ土砂投入を強行したのも、沖縄県民の思いを踏みにじる暴挙だ。

 米中間選挙で与党共和党が下院の過半数を失ったが、トランプ大統領の態度は変わらないどころか一層かたくなになった。

 異論に全く耳を貸さず、マティス国防長官ら意見の合わない閣僚を次々に交代させるのは危険な兆候と言わざるを得ない。

 史上初の米朝首脳会談を実現させたものの、北朝鮮の非核化には進展がない。独善的な外交は、中国との貿易摩擦をはじめ、国際情勢を揺るがしている。

■じっと耳を傾けたい

 天皇陛下は最後の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに心から安堵(あんど)している」と振り返り、戦争の犠牲者、災害の被災者や障害者に寄せてきた思いを語った。

 会見が共感を呼んだのは、戦地や被災地で陛下が相手の言葉にじっと耳を傾ける真摯(しんし)で穏やかな姿が思い出されたからだろう。

 自力では避難もままならない災害弱者、目の前の美しい海が埋められるのを怒りを持って見つめる沖縄県民、同じ社会で過酷な労働を強いられる外国人―。

 私たちは、こうした人たちの声を聞き、伝える努力を続けたい。不条理な出来事をわが身にふりかかったこととしてとらえたい。

 それが多様性を認める寛容な社会につながると信じるからだ。

12/30         北海道新聞


「フィッシャーズパーク」の全貌&オープン日が明らかに!

2018年12月30日 16時31分09秒 | 障害者の自立

シルクが夢のアスレチックを案内

 7人組の人気YouTuber・フィッシャーズは12月29日、「【完成】フィッシャーズパークがついに完成したのでクリア見せます!」と題した動画を公開。安全性に配慮した一部施設の見直しのため、オープンが延期されていたスポーツテーマパーク「フィッシャーズパーク」だが、ついにその全貌と、正式なオープン日が明らかになった。

 動画では、フィッシャーズメンバーのシルクロード(シルク)、ンダホ、モトキ、マサイが、完成したフィッシャーズパークを案内。入り口にはバスが設置されており、後方から降りると、広大なアスレチックが広がっている。「うたた寝していたら、夢の遊び場に到着していた……」という、楽しい演出だ。ンダホがシルクの家にドッキリで仕掛けた、あの有名な自動販売機も設置されており、ファンにはたまらない空間が広がっている。

 パルクールエリアに、タイムアタックコースなど、次々に紹介されていく施設は、アスレチックのビギナーから上級者まで、誰もが楽しめるものになっている。とはいえ、高さがあったり、腕力や脚力が求められたり、難易度の高いものも少なくないため、何度も「無理はしないでください」という注意が行われた。いずれにしても、運動不足でチャレンジするより、少し体を動かしてから挑んだ方が、より楽しめそうだ。SASUKEのように、チャレンジャーの姿を見ているだけでも盛り上がりそうで、体力に自信がなければ無理はせず、応援に回るのも一つの楽しみ方かもしれない。

 動画の後半では、シルクの家にあったアイテムを使ってのコースづくりも行われ、なかなかの難易度に仕上がっていた。有名YouTuberから譲り受けたもので構成された、あの障害物競走もリニューアルされており、こちらは体力に自信のない人もチャレンジできそうだ。

 最後にはモトキがクッションマットに飛び込み、自ら安全性を確認。とはいえ、体全体を使って楽しむアスレチックにおいては、いくら対策を重ねても、怪我をする可能性は排除しきれない。その点を了承し、自分で怪我のリスクを抑えながらチャレンジするよう、フィッシャーズメンバーはパークを楽しみながら、注意喚起を行なっていた。

 フィッシャーズが所属するUUUMは、以下の内容を認識した上で来場してもらうよう、周知徹底を行なっていくとしている。

・アスレチックパークという性質上、様々な危険が伴う施設となります。
・骨折等の重篤なケガ、場合によっては生命に関わる事故が発生する可能性があります。
・自身の運動のレベルを確認し、絶対に無理をしないよう十分にご注意ください。
・必ず準備運動を行っていただき、運動に適した動きやすい服装でご利用ください。
・必ずスタッフの指示に従って行動してください。
・設備の故障や不備による場合をのぞいて、ケガをされた場合、ご利用者ご自身の責任となります。

 ついに決定したオープン日は、2019年1月12日。参戦を検討している人は、寝正月にせず、少し体を動かしておくとよさそうだ。フィッシャーズメンバーのアイデアが満載の「フィッシャーズパーク」を、安全に楽しもう。

■フィッシャーズパーク         https://fischerspark.com


一般色覚者にはほぼ分からない“小さくて大きな違い”

2018年12月30日 16時18分01秒 | 障害者の自立

 JIS改訂で「日本社会における色のルール」はどう変わったのか

 道路工事中の赤ランプ、踏切、非常口のマーク—— 2018年4月、JIS(日本工業規格)の改訂に伴い、こういった場所に使われている「安全色」が変わったことをご存じでしょうか。
 設備の入れ替わりに時間がかかるため、ひょっとしたら、まだ“新色版”を目にしていない人もいるかもしれません。ですが、仮に見ていたとしても、多くの人は気付かないままでしょう。というのも、一般的な色覚を持つ人には、“小さな違い”しか分からない調整が行われているからです。
 しかし、この改訂により、あるタイプの色弱者には「色味が感じられなかった標識がカラーになる」など“大きな変化”があるのだといいます。安全色に起こった小さくて大きな変化とは、どのようなものなのか。CUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)副理事長・伊賀公一氏に話を伺いました。
●約60年前から配慮されていた「色覚の多様性」
—— 基本的な話になりますが、規格化されている「安全色」とは何でしょうか。
 JISでは、工業製品などの規格が定められています。例えば、「全国各地の工場で、作られているネジの長さ、形状の単位や規格がバラバラ」という状況だと、どれを使ったらいいか分かりにくて不便ですから、そこを統一しようというわけです。
 同じように、色に関してもJIS規格があって、安全色はその名の通り、「安全に関する注意警告、指示、情報」などを示すのに使われます。具体例を挙げると、立入禁止などの標識や各種信号灯、駅の出口表示、気象情報……と多種多様です。
 安全色にはそれぞれの色に意味があって、例えば、赤色は「禁止」「停止」、緑色は「安全状態」「進行」などを表します。
—— 色と意味の対応は、直感的に理解しやすいですね。
 ただ、色弱などによって色の見え方には個人差があって、「ある人には見やすい色を使った標識などが、別の人には見にくい」という可能性があります。
 例えば、一般的に“目を引く”と考えられている色が、人によっては“目立たない色”に見えることがあります。「白い紙に黒色で文字などを書き、重要なところを赤色で強調」というのはよくある書き方ですが、ある種の色弱では、濃い赤と黒が似た色に見えるんですね。
—— 「ここは重要だよ」という意味を込めて、色を変えて目立たせようとしたところが、かえって見にくくなってしまうわけですか。
 赤・黒とは別の色の組み合わせになりますが、ゲームの世界にも似た話があります。
 PS4用ソフト「アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝」は開発中、マルチプレイのチーム分けに「赤色・緑色」が使われていたものの、ある開発者の意見から「赤色・青色」に変更されたといいます。動画内では、その方は色弱で「一部の赤と緑を区別できない」と説明されています。
—— そういえば、安全色にも緑色と赤色がありましたが、これは問題ないのでしょうか。
 アンチャーテッド開発者が区別できなかったのは「“一部の”赤と緑」。裏返すと「その一部を除けば、区別できる」わけです。緑色と一口に言っても黄緑色、濃い緑色のように幅がありますから、色合いを調整することで“他の色と見分けるのが難しいゾーン”を外すことができるんですね。
 この点については、1956年に施行された安全色のJIS規格でも考慮されていて、「色神異常者(色弱者のこと)にも、誤認・混同のおそれがない」色を使う、と明記されています。
—— 半世紀以上前から「色弱者にも見やすい色を使おう」という考え方があったんですね。
 ええ。でも、「とにかく他の色と見分けやすければいい」という発想だったようで、実は別の問題が起こっていたんですよ。
●“カラー化”された安全色
 そもそも人間が色を認識できるのは、錐体という視細胞があるからです。多くの場合、この錐体は3種類機能していて、乱暴に言うと一般色覚者は「3つの原色を持つ3色覚の世界」。強度の色弱で、錐体のうちの1つが全く機能していない場合、「2つの原色を持つ2色覚の世界」になります。
 美術の授業を思い出してみてください。3原色を均等に混ぜると色味がなくなって、灰色や黒色になりますよね。同じように2色覚の場合は、2つの色がバランスした地点に、“色味が感じにくいゾーン”があります。従来の安全色では、緑色がこのゾーンに入っていました。
———「色弱者の見え方シミュレーション画像」によくある誤解———
 伊賀氏によれば、「このような再現画像は、まるで『色弱者の世界が青、黄、灰色で構成されている』ように見えてしまう。だが、『赤が黄土色になったり、緑が黄土色になったりする』という理解の仕方は、厳密には誤解」とのこと。例えば、同氏が所属するCUDOが開発に協力したIllustrator、Photoshopのシミュレーション機能は、“同じ色に見える複数の色を、便宜的に特定の色で表示する”仕組みになっているという。
 「『赤色=緑色に見える人』の見え方を再現するなら、『両方の色を赤色だけで表示する』『緑色だけで表示する』のどちらでもよい」というような考え方。つまり、表示される色はあくまでもシミュレーションの都合上選ばれているだけ、というわけだ。このため、「こういった再現画像を見るときは色ではなく、色同士の距離(どれだけ違う色か)に着目してほしい」とのこと。
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 標識などに色が使われている理由の1つは、色に「目立つ」「人目を引く」という特徴があるから。安全色の赤、緑色は確かに区別しやすくなっていたものの、こういったメリットが生かせておらず、見にくかったんですね。ですので、新しいJIS規格では「色弱者が色味が感じやすい緑色を使う」などの変更が行われています。
—— “安全色がカラー化された”というわけですか。
 他の色にも手が加えられているのですが、気付かない人が大半だと思います。一般的な色覚を持つ人にとっては「新旧の色を並べて比較して、やっと気付く」くらいの調整ですから。逆に言うと「既存の色を大きく変えずに、より多くの人が見やすい色を作る」ことができたんですよ。
●ここ15年間で発展した「より多くの人に見やすい色の使い方」
—— 半世紀以上前から「色覚の多様性」への配慮が必要視されていた安全色。どうしてそれが今になって、より見やすくなったのでしょうか。
 CUDOは「色弱者などにも見やすいように製品の色を変えたいのだけど、どうしたらいい?」といった企業の相談にのっているのですが、新しい色を考えても、結局、変更できないことがあります。よくある理由の1つが「使うべき色が法律で決まっているから」というものです。
—— “個々の企業レベルではどうにもできない問題”になっていた、と。
 だから、CUDO内では「社会的に決められている色のルールを変えないと、世の中は変わらないんじゃないか」という声が挙がっていました。もちろん、色弱者などにも見やすいデザインを実現するには、色以外の要素を利用する方法もあるのですが、「色のおかげで一般色覚者に分かりやすいのなら、色弱者だって同じように分かりやすい方がいい」という思いがあります。
 2011年にISO規格(国際的に標準化された規格)で安全色の改訂があって、私はそのワーキンググループの日本委員に選ばれ、提言を行う機会がありました。でも、世界の壁は厚かったというか、あまり注目してもらえませんでした。「色に関する社会のルールを変えること」は、まるで遠い夢のような気がしていましたね。
 その10年後、今度はJIS改訂で委員に選ばれて「また、ダメかな」と思っていたら、日頃からアクセシビリティーや色覚問題にも取り組んでおられる方々も参加していて、「ユニバーサルデザインに関する規格が、世界で最も進んでいるのは日本。色も大事な要素だから変えていこう」という意見が出て。さまざまな色覚特性を持つ100人超が参加する大規模な調査を行うことができ、その結果が今回のJIS改訂に反映されています。
—— 素朴な疑問なのですが、色に関する社会のルールを変えることは、なぜそこまで難しかったのでしょうか。
 まず、色弱に関する研究自体は昔からあったのですが、実践レベルに落とし込んだものがあまりなかったんですね。ここ15年くらいでNPOなどの活躍もあり、その取り組みが進んで、「どうすれば色覚の多様性を考慮した配色デザインが作れるか」という具体的な提言ができるようになりました。
 JIS規格を変えるというのは、「個々人ではなく、社会の側で問題を解消していこう」という“障害の社会モデル”の解決策。しかし、以前だったら、私たちも「世の中には色弱者に見にくいデザインがあるから、各人で注意しましょうね」というような“障害の個人モデル”の解決策しか提示できなかったかもしれません。
 もう1ついえるのは「当事者(ここでは色弱、白内障などの人たち)が、安全色のJIS改訂に関わったのは、今回が初めて」だということです。「色の見え方には個人差がある。それなら一般色覚者だけでなく、いろいろな人の意見を聞いた方がいい」というのは普通の発想だと思うんですけどね。
—— でも、今まではそうではなかった、と。
 「自分が置かれている状況の不便さに気付く」のは意外と難しいことだと思います。
 例えば、あるタイプの色弱者で非常口のマークが色味なく見えていたとしても、その人にとってはそれが“自分にとっての色”だから、「何だか目立たない色をしているけど、そういうものなんだろう」と感じるものなんです。だけど、周囲に話を聞いてみると、「え、“あなたにとっての色”だとそんなに分かりやすいの?」という。
 こんな風に「実は問題がある」ということに気付くためにも、話し合いの最初の段階から、いろいろな人たちに参加してもらって、それぞれが少しずつ遠慮しあいながら、みんなにとって良いものを考えることが必要だと思います。今回の改訂が、社会がそういうことに気付くきっかけになったら、うれしいですね。
 また、世の中には自分の主張ばかりを声高に主張する人もいますが、そういうのも良くないですね。「色弱者には分かりにくい色があるから、白黒のデザインしか認めない!」みたいになってしまうのも、正しい解決ではないと思います。
—— 今回の改訂は今後、どう影響するのでしょうか。
 すでに施行されていますから、現在作られている標識、公共交通機関のサイン類などは新しい規格に準拠しています。既存設備の撤去などが行われるわけではないので古いものも残りますが、2020年にオリンピックがあるので、東京都は変化が早いんじゃないかな、と。
 時折、「標識やランプの色が見分けられないかもしれないから、色弱者は安全管理に不向き」とする意見が見受けられるのですが、JIS安全色をきっかけに分かりやすい色があまねく広がっていけば、誰にとっても安全で暮らしやすい社会が実現できるのではないでしょうか。
 それから、「JISとISOはなるべく合わせていく」という方向性があるのですが、今回の改訂は「日本が世界に先駆けてより良い規格を取り入れたことで、ズレが生まれた」という意味を持つと思っています。将来的な話になりますが、これがISO改訂に良い影響を与えたら、カラーバリアフリーの取り組みが世界的に広まってくれるのではないか、と期待しています。
※「色弱者」と同じ意味を持つ表現として「色覚異常者」「色覚障害者」などが用いられる場合もありますが、本記事では「『色弱者』の方が差別感を感じる人が少ない」というCUDOのアンケート調査結果に即して、「色弱者」を使用しました。


世界から答えが消え去った

2018年12月30日 15時51分11秒 | 障害者の自立

 混迷の時代を生きるために、 自分の頭で考えるとはどういうことかを問う―小坂井 敏晶『答えのない世界を生きる』はじめに

◆世界から答えが消え去った。 混迷の時代を生きるために、 自分の頭で考えるとはどういうことかを問う

世界から答えが消え去った。「答えのない世界」とは近代のことである。

臓器移植・人工授精・代理母出産・人工子宮・遺伝子治療・人工多能性幹細胞(iPS細胞)など、生物科学や医学の発展と共に、過去には不可能だった、あるいは想像さえされなかった技術を人類は手に入れようとしている。それらは近代精神が成し遂げた偉業だろう。しかし、神は存在せず、善悪は自分たちが決めるのだと悟った人間はパンドラの箱を開けてしまった。生命倫理の分野だけでなく、同性結婚・性別適合手術・近親相姦などの是非を判断する上で、近代以前であれば、聖書などの経典に依拠すれば済んだ。あるいはその解釈だけで事足りた。だが、〈正しさ〉を定める源泉は、もはや失われた。どんなに考え抜いても、人間が決める以上、その先に待つのが〈正しい世界〉である保証はない。無根拠から人間は出発するしかない。どうするのか。これが本書の問いである。

私はパリの大学で社会心理学を教えている。フランスに住む前にもヨーロッパ・中近東・アジアの各地を旅したり、技術通訳として北アフリカのアルジェリアに滞在した。還暦を迎えた私は人生の三分の二近くを外国で過ごした計算になる。家庭環境からも関心からも、フランスと私に接点はなかった。ところが不思議な偶然がいくつも重なり、想像しなかった歩みを辿っていった。ほんの小さな偶然が人の一生を左右する現実に幾度も驚かされてきた。そんな軌跡を綴りながら、異文化の中で私が考えたり感じたことを語ろう。

外国生活にはどんな意義があるのだろうか。自分の生まれ育った土地を離れ、異なる世界観を持つ人々と一緒に暮らすことで何が得られるのか。逆に何を失うのか。あるいはそのような損得勘定で考えること自体がまちがいではないか。

紆余曲折を経た後にたどり着いたフランスの学問界に対して、私は三重の意味で異邦人の位置にいる。第一に母語も文化も異なる環境に生まれ育った外国人として、フランス人とは発想の仕方が違う。第二に普通の大学ではなく、社会科学高等研究院で学際的な研究姿勢を身につけたために、社会心理学に従事する同僚と視点をかなり異にする。そして第三に、そもそも学問が私にとって異質な世界であり、私は学者になるタイプではなかった。以上三つの理由から、フランスの学問界で異邦人として、よそ者の立場から思索を紡いできた。

遠くから眺めるか近づいて凝視するかによって、世界は異なる姿を現す。外から見るか内から見るかで、同じ対象も違う意味を持つ。だから外国人の著す日本論や、海外に住む日本人の体験には意義があるだろう。しかし私がここで語りたいことは、それとは違う。異邦人という位置は外部にあるのでも内部にあるのでもない。遠くにあると同時に近いところ、そんな境界的視野に現れる世界を描いてゆこう。

本書は、二〇〇三年に現代書館から上梓した『異邦人のまなざし 在パリ社会心理学者の遊学記』の改訂版である。出版から一五年近く経ち、学問や大学に対する私の思いは少なからず変化した。新たに考えたことを加筆し、私のフランス生活を再び反省してみた。そして自伝的性格の強かった原著の内容を一般化して、考えるための道しるべとして書き直した。異邦人や少数派が果たす役割をより掘り下げ、開かれた社会の意味を考察する。それに伴い、タイトルを『答えのない世界を生きる』に変更した。大幅に書き直したので、原著の面影はほとんど残っていない。現代書館版を読んだ人にも新たな本として手にとっていただけると思う。

本書の構成を簡単に紹介しておく。第一部では、自分の頭で考えることの意味について議論する。その端緒として、勉強とは知識の蓄積であるという常識を第一章で崩す。知識を増やすのではない。壊すことの方が大切だ。慣れた思考枠を見直すのである。問いとは何か。新たな角度から考える上で矛盾が果たす役割を明らかにしよう。

常識を崩した後に、知識をどう再構成するか。第二章は、その構築プロセスに光を当てる。その際に重要な機能を担うのが型(パタン)である。そして変化や断絶を生む契機について考えよう。高校生にも読んでもらえるよう、平易な記述を心がけたが、この章では、今までに私が発表した考察の論理構造や背景を解析するので、他の章に比べると少し難しいかも知れない。

第三章では大学に視点を移し、人文・社会科学の意義について議論する。自分の頭で考えることの重要性をここでも取り上げる。そのために大学は役に立つのか。文科系学部を縮小・廃止する動きが顕著になってきた。その傾向に警鐘を鳴らし、人文学を守れと反発する識者も少なくない。

「理科系と違い、短期的な経済効果を見込めない文科系も、長期的展望に立てば、経済効果を持つ」

という主張がある。あるいは

「技術やノウハウを教える専門学校とは異なり、価値を創造する場である大学に実利など必要ない」

という意見もある。本書の立場はどちらとも違う。経済効果や価値を重視する見解は原理的な誤りを犯している。正しいとは何を意味するのか。そこから考え直す必要がある。

最初二章の内容は前著『社会心理学講義』(筑摩選書、二〇一三年)と部分的に重複している。考えるためのヒントというテーマが共通するので、繰り返しを避けられなかった。新しい材料を多く追加したし、練り直した論点も少なくない。だが、基本的な議論は削れない。

重複の理由は、私にとって書く意味にもつながっている。本書の叙述が進むにつれて明らかになるが、私は今までずっと一つのことしか追ってこなかった。異文化受容・集団同一性・自由・責任・裁判・正義・宗教・迷信・イデオロギーなど、具体的テーマは変遷しても、その核になる視点はずっと一貫している。そのため、最低限の論点を確認せずには先に進めない。特に、常識に反する主張を頻繁にする私の場合、前提を明確にしておかないと誤読を誘ってしまう。それまでに上梓した拙著全体を読者すべてが知っているわけではないので、不可欠な基礎的事項は繰り返さざるをえない。新しい材料に替えるべく努力はしたが、私の知識や能力では無理な場合が少なくなかった。読者の理解を乞う。

第一部で示す考えに至った背景を第二部で明らかにする。自らの実存に無関係なテーマで人文学の研究はできない。どう学び、考えるか。それは生きる姿勢を問い糺すことに他ならない。第四章では先ず、私が日本を離れ、アルジェリア滞在を経てフランスに定住するまでの道程を綴る。平凡な若者が様々な偶然や困難に出逢い、そのつど真摯に立ち向かってきた。参考書やハウツー本が教えるノウハウには限界がある。学問は頭だけでするのではない。身体の声、魂の叫びが背景にある。

第五章では、私がフランスで学び、大学に就職した経緯を辿る。入学試験どころか、授業も進級試験もない、社会科学高等研究院という風変わりな学校で私は一〇年間学んだ。指導教官と相談しながら論文を書くだけの時間。このような自由は何を意味するのか。そもそも大学は何を学生に教えるのか。フランスと日本の大学はどこが違うのか。学位の内 情を明らかにするとともに、フランスの大学制度や教員への就職事情を分析しよう。

第六章では、私が学問界の周辺に留まった事情に触れながらも、私個人の枠を超えて少数派の存在意義を問い直す。頭だけでは考えられないし、学べない。考えるとは、学ぶとは、感情に抗いながら身体全体を投入する運動である。グローバル人材や国際人がしばしば評価される。だが、それは情報の蓄積に価値を置く常識の踏襲にすぎない。そこがすでに誤りの元である。加算的アプローチでは思考枠を壊せない。逆に、慣れた情報や考え方を疑問視する引き算に注目しよう。そこに異邦人の役割がある。

終章では異邦人の葛藤に的を絞る。日本人は明治以降、ずっと西洋を手本にしてきた。今も比較の対象は欧米だ。そこでも加算的発想に囚われている。私はこの現象を〈名誉白人症候群〉と呼んできた。各分野に老舗があり、それを目指して追いつき追い越せという、主流追従の姿勢である。どうしたら二番煎じのアプローチを脱して、自分自身を取り戻せるのか。周辺性・少数派性の意義を正面から見つめ、異質性という埋もれた金脈を掘り起こそう。

「答えのない世界に生きる」

これは、混沌とする社会に生きながらも答えを探せというメッセージではない。

画一的で個性がないとは、日本人自身が繰り返し反省してきた自己像だ。そして、その反動として異端が称揚される。異端を勧める本が巷に溢れる。だが、その異端とは何なのか。犯罪者や精神障害者を含む、すべての逸脱者を肯定する覚悟があるのか。

“小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
NO.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one ”


SMAPの歌、『世界に一つだけの花』(作詞作曲・槇原敬之)の最後に出てくる有名なフレーズだ。この考えを甘いとか、自己満足だと笑うこともできる。しかし、ここに大切なものが隠れていると私は思う。異端を勧める本が認めるのは、独創性としてすでに受け入れられた価値観にすぎない。このような馴致された異端を持ち上げても何も変わらない。常識をなぞっているだけだ。

日本人の画一性の原因は、よく言われるような主体性の欠如ではない。移り変わりが激しい流行も、単に他人を模倣するのではなく、本当に素敵だと感じるから、自主的に取り入れているのだろう。だが、同じ〈良いもの〉に皆が引きつけられ、結局、社会全体が均一化してしまう。異端の称揚も根は同じだ。だから、「独創」的な生き方を皆が真似をし、「独創」的な人間が街を埋め尽くす。

「正しい世界に近づこう」

「社会を少しでも良くしたい」

この常識がそもそも問題だ。善意の蔭に潜む罠を暴こう。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」

敵は我々自身だ。

祥伝社       12/29(土)


強制不妊手術問題で相談窓口

2018年12月29日 17時46分48秒 | 障害者の自立

佐賀県手をつなぐ育成会が設置

 旧優生保護法(1948~96年)下の障害者らへの不妊手術問題で、知的障害者の家族らでつくる「佐賀県手をつなぐ育成会」(村岡洋会長)は、相談窓口を設置している。日本弁護士連合会と連携し、当事者の救済を支援する。

 同会によると、会員は約1200人。知的障害者の社会参加や地域移行促進、共同生活援助などの事業を手がけている。相談窓口では、当事者が被害救済を求める場合、弁護士を紹介する。相談者に費用負担は発生しない。救済支援だけでなく、情報提供や困っていることなども相談として受け付ける。

 全国手をつなぐ育成会連合会は今月10日、会の機関誌「手をつなぐ」の記事内容を検証し「育成会が強制的不妊手術の実施を助長したことは否定できない」とする声明を発表した。この経緯を踏まえ、佐賀県の育成会でも県総合福祉センター(佐賀市天祐)内の事務局に相談窓口を設置した。

 これまで会に旧優生保護法に関する相談は寄せられていないといい、県育成会の船津悦子事務局長は「過去の反省を踏まえて相談窓口を設置した。当事者やご家族の方で困っている人は相談してほしい」と話す。相談窓口は県育成会、電話0952(29)7342=受け付け時間は平日の午前8時半~午後5時。

佐賀新聞ニュース       12/28